こころ勇ましく 旅を続けゆかん
「お祖父様はなんて?」
部屋に戻るなり、待ち構えていたかのように母が訊ねた。
「気をつけてお帰りください、って」
「他には?」
望は口を閉ざした。祖父との約束もあるが、母が求める返答がわからないせいでもあった。祖父が気になるのなら自分で電話すればいいのに、と望は思った。
「……顔色を窺っているんだ」
信一の呟きはとても小さかった。聞こえたのは、たまたま近くにいた望一人だけだろう。
「え?」
「お祖父様のご機嫌は損ねたくない。でも近づきたくもないし関わりたくもない」
信一は読みかけの文庫本を閉じた。
「だからお祖父様が絶対に嫌わない孫を使って、お祖父様の動向を探っているんだよ」
信一の言うことは難しくていまいち理解できない。が、母に対する悪口であることはわかった。
「隠し事してるだろ?」
望の沈黙を肯定と受け止めたらしい信一は、口の端をわずかにつりあげた。
「せいぜい頑張って隠し通すことだね。母さんにバレたらそれこそ面倒なことになる」
言われるまでもない。祖父との約束だ。望は希とトランプをして夜の九時には寝た。
明日になれば犯人は逮捕される。事件は解決する。祖父が嘘をついたことは一度だってない。
だから望はいつも通り起きて、朝ごはんを食べて帰る支度をした。祖父へのお土産も忘れずに買っておく。家族旅行は今日でおしまい。東京に帰るのだ。
「突然すみません」
車に乗ろうとしたところで呼び止められた。両親と同じくらいの歳の痩せた男性だった。狐に似ていると望は思った。男は周囲をはばかるかのように声を潜めた。
「実は私はこういうものでして……」
胸のポケットから取り出したのは黒い手帳。ドラマでよく見るものだった。両親の顔が揃って曇る。この展開は今までろくなことがなかった。
「警察の方が、何か……?」
「隣町の強盗殺人事件をご存知でしょうか。犯人達を追跡している途中でして」
即座に検問を張ったので犯人達が県外に逃げた可能性は低い。県内をしらみつぶしに捜索しているのだという。
「怪しい人物や、何かお心あたりがありましたら伺いたいのですが」
母と父は顔を見合わせた。希に至っては望の背中に隠れてしまっている。
「いいえ、別に何も」
「私達は家族旅行に来ていただけですし……」
口々に言う両親に警察の男は「そうですか」と頷いた。
「お嬢ちゃんは何か知らないかい?」
知っている。心当たりはある。しかし望は首を横に振った。まるで興味を示さなかった信一が、視線だけこちらに向けているのがわかった。それでも望は何も言わなかった。
何故祖父が秘密にするよう念押ししたのか。その理由を望は理解した。
最初から小学三年生の返答になど期待していなかったのだろう。男は別段落胆する様子もなく、あっさりと引き下がった。
「お手間を取らせてすみません。よいご旅行を」