三
鬼島天下。
家族構成は父と母、弟が二人。
公立高校に通いながらも二年生時に行われた全国模試で総合順位三十四位という驚異の結果を叩き出している。当然ながら今の国立大学もストレート合格。
勉強だけでなく部活動も積極的に参加していたらしく弓道の全国大会に出場している。副部長だというのだから、人望もあったのだろう。
品性良好、成績優秀、文武両道。おまけにあの容姿だ。神様、ちょっと贔屓じゃないですかと問いかけたくなる恵まれっぷりだ。
『すごいよねー』
個人情報をあらかた調べ終えた希が言う。美加子から話を聞いてすぐに動いたようだ。いい意味でも悪い意味でも驚くべき手際の良さだった。
「異能者の可能性は?」
『んー、たぶんないと私は思う。のんちゃんは?』
「私もないと思う」
望は希の部屋の扉に背中を預けた。
「確かに優秀過ぎる気はするけど、レオナルド=ダ=ヴィンチに比べたら可愛いものだよ。美術だけでなく科学的創造力でも一般人とは比べるべくもなかっていうんだから」
『その代わり、暗算は苦手だったみたいだけどね』
「仮に異能だとしても、文武両道で性格もよくなる異能なんて聞いたことがない」
タラント〈異能〉は千差万別だが、共通しているのは「他者に影響を与える」点だ。自分を変えることはできない。
『それはさておき、一つ気になる情報がありまして』
扉の隙間からチラシが差し出される。望は手に取って掲げた。オペラ『トゥーランドット』の公演案内だった。
「プッチーニがどうかしたの?」
言ってから鬼島天下がオペラなどのクラシック音楽を嗜んでいることを思い出した。
「たしかに、公立高校の普通科に所属していた人の趣味にしては個性的だね。部活は弓道部だったって言うし」
『……美加子さんの影響とは考えないの?』
「高校三年間一人暮らししていた息子が、同居するなり突然母親の趣味に目覚めるとは考えにくいね。一人で観に行くとしたら相当好きな人だよ」
とはいえ、鬼島天下が一人でオペラを観に行くとは望も考えていなかった。同級生か教師か、美加子以外の誰かの影響を受けた。オペラを観に行くのはその延長だろう。
『さすがのんちゃん』
心なしか希の声は弾んでいた。
『公立高校にしては珍しく音楽科がある学校なんだって』
ではほぼ決まりだ。高校生時代に誰かの影響を受けた。その人が今も天下と交流があるのなら、高級ハンカチの贈り先とも考えうる。音楽科に進学するような女の子は総じて裕福な家庭だ。相応のブランドの物を身に付けるだろう。
「姉ちゃんこそ、三十分でよくそこまで調べたね」
美加子が帰ったのはついさっきだ。いくらネットが発達しているとはいえ全国模試の順位までわかるものなのか。
『情報源がありますから』
「誰?」
『統くん』
思わぬ伏兵がいた。次男だ。
「そんなに親しかったっけ?」
タラント〈異能〉を恐れて、希は教会員の前に姿を見せない。特別礼拝の時にこっそり牧師館から顔を覗かせたりする程度だ。元々そう頻繁に教会に来るわけでもない次男との接点があるとは思えない。
大前提として、鬼島統は少々、いやかなり無口だ。挨拶はするが頭を下げる程度。声を聞いた回数は片手で足りる。基本的に統は是か否かの質問には首を振って答えるのだ。会話が膨らまないので5W1Hの質問をしてようやく口を開く。が、どれも単語だ。
望の考えを見透かしたように、希は『彼、ちゃんと喋るのよ』と得意げに言った。
『祝会の時にひとりぼっちだったから話しかけてみたら、結構気があって』
「牧師館から出たの?」
『ううん。書斎の扉越しに話しかけた』
「……よく逃げ出さなかったね」
扉越しにいきなり話しかけられたら気味悪がりそうなものだが。
『ID交換して今ではライン友達』
「仲がよろしいことで何よりです」
これは本音だった。極力他人と関わらないように生きている希が、自分から誰かに話しかけたことが望には嬉しかった。
健気な妹の心情など露知らず。希は呑気に『洗濯物、そろそろ取り込んでね』とお天気の心配をしていた。