二
望はドライヤーのスイッチを切った。水気の取れた髪は早速好き勝手に跳ねている。先ほどまでクシで梳かしていた努力を嘲笑うかのような奔放さだった。
どうにもならない天パはさておき、びしょびしょのスーツは大袋へ。シャツや下着は洗濯機に放り込む。礼拝後だったのが不幸中の幸いだ。遠慮なくジーンズにTシャツというラフな格好になってから、望はリビングに顔を出した。
「的場牧師、この度はとんだご無礼を……」
「お気になさらず」
美加子が慌てて立ち上がろうとするのを止めて、向かいの椅子に腰掛ける。
「元々スーツはクリーニングに出すつもりでしたので」
「まあ、そうでしたの……では大丈夫ですね……」
かといって大丈夫というわけでもないのだが。口にしても無駄と判断し望は黙っておいた。美加子はうつむきぼんやりとしている。心ここにあらず。
「何かあったのですか?」
「いえ、別に、大したことでは」
「ありますよね。丸屋長老も心配していましたよ」
自覚があるのか美加子は口をつぐんだ。
「お力になれるかはわかりませんが、話せば多少重荷も軽くなると思いますが」
牧師にそこまで言われて突っぱねられる信者はいない。先ほどずぶ濡れにした負い目も手伝って、美加子はおずおずと語り出した。
「悩みと言うべきなのか……私の一番上の息子のことで考えておりました」
「ご長男、ですか」
望の記憶にあるのは次男の顔だけだった。それもそのはず。長男は小学校卒業以来、一度も教会に足を運んでいないという。
「親の私が言うのもはばかられるのですが、長男は本当に出来た子でして」
美加子が語るには、こうだった。
長男は都内の国立大学に現役合格した秀才。特定のサークルには所属していないが大学内のイベントやアルバイト、趣味や勉学に忙しい大学二年生だ。
「最近はオペラやクラシックに興味があるらしくて、話を振れば乗ってくるので、仲もさほど悪くはないと自負しておりました」
家庭の事情で高校三年間は一人暮らしをしていたのだが、大学入学を機に実家に戻った長男。兄弟間の仲もさして悪くもなく、特に同じ部屋で寝ている次男とは時折外食するほどだ。おまけに一人暮らしの間に培った家事力を発揮し、休みの日には掃除、洗濯、必要ならば炊事もこなしているという。
「すごくいい息子さんじゃないですか」
「そうなんです。親の私が言うのも本当におかしいのですが、時々自分の息子なのか疑ってしまうくらいでして」
反抗期らしい反抗期もない、絵に描いたような優等生。そんな息子の部屋に洗濯物を置きに足を運んだ時、美加子は床に落ちていたレシートを発見した。そこそこ高級なブランドのハンカチを購入した履歴が書かれていた。
「大学生ですから背伸びしたかったのでは」
「女性用、と書かれていたんです」
美加子はさらに深くうなだれた。
「最初は、その……母の日も近かったので、あの、そういうことなのかな、とか思ったりもして、いえ、別に期待していたわけではないのですけど! そつのない息子なので、ちょっとうかつだなとも思ったんですが!」
勢い込んで取り繕う美加子。望は一通り言い訳に耳を傾けてから訊ねた。
「で、母の日には……」
沈黙は雄弁で、残酷でもあった。
「でもほら、ゼミの教授とか、バイト先の先輩が退職するからみんなでお金を出し合ったとか、色々ありますよ」
「そう……ですよね」
自分に言い聞かせるように美加子は呟いた。が、他ならぬ自分自身が納得していないことは自分で気づいている。
「変ですよね。大して母親らしいことをしているわけでもないのに。息子は本当に優しくて、私に向かって文句一つ言ったこともなくて……私の方が息子に酷いことをしてきたのに」
息子を持つ母親の心境は、望には理解しきれない。が、美加子が他の、世間一般的な母親に比べて劣っているとも思えなかった。
「話を聞く限りではしっかりとした息子さんのようですし、しばらくは様子をみた方がよろしいかと」
もっともらしい助言をしてから望は『長男』の名前を聞いていないことを思い出した。次男は知っている。漢字一文字だった。三男もそうだ。
しかし長男は少し違うらしい。というのも、三兄弟をつなげると四字熟語になるように名前をつけたそうな。
「一番上の息子の名前は『天下』と言いまして」
美加子はスマホを差し出した。
「大学二年生です」
ざんばら髪に鋭い双眸をした三兄弟集合ショット。小生意気に仏頂面をしている弟二人に挟まれながらも、そつなく映る長男は、どことなく大人びた印象を受けた。