十
目が点になった望に、洋平は先ほどの電話の件を包み隠さず自ら暴露した。
「というわけで、今夜九時までにFAXが送られてくるはずだ」
「ごめんツッコミ所が多過ぎてわけわかんない。FAXが送られてきてその後どうするの?」
「俺が添削して返信する」
洋平は胸を張って答えた。
「安心しろ。どれほど信仰者として未熟で例えようもなく文章能力が低い者が考えた稚拙で意味不明な祈りだろうが、俺の全力を用いて公の場に相応しい祈りに昇華させてやる」
そういう問題ではない。望が言いたいのは絶対にそういうことではない。牧師とはいえ何故他教会の信徒を叱咤し「性根を叩き直す」などと物騒な台詞を吐くのか。
しかし、今の望には追及するだけの余裕もないらしい。早々に諦めて「勝手にやれば」と投げやりに言った。
「遅ればせながら的場牧師、お邪魔しております」
「あれ、もういいの?」
挨拶する尊の姿を見て、望はきょとんとした。
「もっと話せばいいのに」
それで尊はおおよそを理解した。平然としている洋平の横顔を睨みつける。さしずめ尊と希を二人きりにするよう、望に余計な助言をしたのだろう。あっさりと信じる望にも腹が立った。
「別段、話すことがありませんので」
深く追及される前に「来客があったようですが、もうよろしいのですか?」と強引に話題を変えた。
「うん。三十分くらい身の上話を聞いて、そしたら満足して帰った」
話し相手を求めて教会に足を運ぶ者もいるようだ。いずれにせよ、歓迎できる客ではない。特に体調を崩している今は。
「休まれてはいかがです?」
「そんな暇はない。教会員が教会員ならば牧師も牧師だ。なんだこの説教は。誤字脱字、解釈に疑問を覚える箇所も散見している」
洋平は赤字が入った説教の原稿を望に渡した。
「なんで勝手に説教の原稿を読むのかね、あんた」
「貴様が説教する頃には俺は飛行機の中だからだ。そんなことよりも問題はここだ。何故ボンヘッハーの注解書から引用しない? 貴様の得意分野だろう」
「いや、最近ボンヘッハー先生に頼りっきりだから、少し趣向を変えてみようかと」
「貴様の壊滅的に少ない知識でなんとか説教を完成させたとしても、敬虔な信徒に鼻で笑われるのがオチだ」
洋平は断りもなく本棚から日本語訳のボンヘッハーの著書を引っ張り出した。
「でも……」
望は煮え切らない。気分以外にも理由があると見た。
「何か嫌な理由があるのですか?」
「嫌いというわけじゃないんだけどさ……あんまりボンヘッハーばかりやるのも」
「飽きたとでもほざく気か」洋平の声が低くなる「著書を暗唱できるようになってから言え」
望は口を噤んでうつむいた。拗ねている子どものようだった。
「信徒に何を言われたのかは知らんが、付け焼き刃の薄っぺらい知識で説教をするなど笑止千万。説教は神の栄光を語るためのもの。牧師の豊かな知識をひけらかすためのものではない」
「毎回一時間以上延々と説教する奴に言われたくない」
反論したものの、望は小さく頷いた。胸のわだかまりはなんとかとけたようだ。洋平は手にした本のページをめくって望に向けた。
「ここから始めたらどうだ」
「それ最初に考えたんだけど『共に生きる生活』は先週の説教でも引用したから、似た展開になりそうなんだよね」
「来月まで『ヨハネ』が続くのならばいっそ全てボンヘッハー注解で統一すればいい」
にわかに始まった説教の添削と指導。尊などそっちのけで望と洋平は意見を言い合う。同期ゆえの親しさもあって、非常に慣れている印象を受けた。
尊は二人が話に夢中になっている間に、書斎を後にした。