9 女神の祝福はとても苦い
夜明けを迎えたばかりのまだ早い時間に俺は一人目覚めた。
隣には昨日出会ったばかりの女の子――アリアが寝ている事もあって、あまり深く眠れなかったのだ。
『ねぇ、考えたんだけどさ。ボクはホクト君の夢を応援してあげようって思ったんだ』
おい。何を唐突にそんな事を言い出す。てか俺の夢ってイキナリなんの話だよ?
『君の夢ってたしか"運命の女性と互いに清らかな立場で結ばれる事"だっけ? ぷぷっ、青臭すぎて笑っちゃうよねー』
うるさいな。大体それ、どうやっても叶わないだろうが。もう忘れたっての。
『ふぅん。とか言ってる割に未練たらたらな事くらい、ボクにはまるっとお見通しなんだよー?』
くそっ、なんだかんだでリンカはガチの女神なのだ。きっと人間の心を読むなど朝飯前なのだろう。
「で、何が言いたいんだ。わざわざ周囲の時間を止めてまで」
気が付けば俺以外は静止していた。アリアやリズがまだ寝ていたせいで気付くのが少し遅くなったが、どうも目覚めてすぐには既にこの状態だったようだ。
『いやねー。一応昨日はホクト君に成長が見えたから、何かご褒美でもと思ってねー』
成長か……。まあそうかもな。理想しか見えていない餓鬼から、ちょっとだけ現実が見える餓鬼くらいにはクラスアップしたのかもしれない。まあ、だからなんだって話なんだけどな。
「しかしご褒美ねぇ。だったら元の世界に帰してくれないか?」
正直、こんな過酷な世界は俺には荷が重すぎるんだ。
アリアとリズの2人を連れてさ。現代日本でのんびり暮らせたらそれが一番なのだ。
『それはダメー。君の異世界チーレム生活は決定事項なんだよ』
まあ、だろうとは思ったよ。
「んじゃ、特に欲しいモノなんてないな」
多分、この世界で必要となるものは既にほとんど与えられてしまっている。チート能力という形で。
ただ俺がそれを行使するのに躊躇を覚えているだけの話に過ぎないのだ。
『ふふっ、まだボクのことを過小評価してるみたいだねぇ? 確かに君に与えた力は絶大さ。けど所詮は人間のそれ。ボクみたいな超級の女神の力には遠く及ばないのさー』
まっ、そりゃそうだろうな。
じゃなきゃリンカみたいな性悪女神、力を与えた連中にとっくに殺されているはずだ。
『ホクト君ってば昨日はあんなにデレてたのに、もうそんな態度なの? ひどーい』
「あのなぁ。確かに俺も色々と悪かったよ。それは認める。けど、お前も大概じゃないか?」
チート能力有りとはいえ、いきなりこんな過酷な世界に連れて来たあげく、俺の童貞を奪いやがったのだ、コイツは。
「その事で一体俺がどれだけ悲しんだか、お前に分からないはずないだろ?」
『うんうん。その一件については、ボクも一応反省したんだよ。だからさ、その埋め合わせをこれから提案しようとしてるところなんだよー』
「埋め合わせ?」
『そっ、ボクが童貞を奪っちゃった事。アリアちゃんが盗賊に襲われた事。その2つのせいで君の夢は潰えちゃったんだよね。だからさ、それをボクの力でちょちょいーって解決しようと思ってね』
「……また時間を巻き戻すとか、そんな話か?」
だがそれをすれば、やっぱりリズの存在が……。それは俺にとって無理な決断だ。
『うーん。発想は惜しいけどちょっと違うかな。何より女神であるボクとの行為は、例え時間を巻き戻したってもう取り消せないんだよー』
なんだよ呪いかなんかかよ、それ。
「んじゃ、やっぱりどうしようもねぇじゃねぇか」
『ふふっ、だから君はボクを見縊ってるって言うのさ。例え君がボクと寝ちゃった過去自体は消せなくても、君の始めての相手を別に用意してあげる事なら出来るのさー』
「なるほど……。お前に童貞を奪われる前に、別の相手と寝ればいいと?」
『そだよー。そうすれば君の童貞を奪った相手は、ボクじゃなくなるよね?』
「……言いたい事はまあ分かった気がする。だがそれに何の意味がある? 初めての相手が別人に変わったところで、それで何が変わるとも思えないんだが……」
『うーん。まだ分かんないかなぁ。ようはその相手をアリアちゃんにしてあげるって話なんだよ』
「……そういう事か。俺とアリアがお互いに初めての相手になれば、俺の夢は叶うかもしれないのか」
後は俺がアリアの事を運命の相手だと思えるか、そして彼女が俺を愛してくれるか、それに掛かってくる訳か。
「なんだよ。なんかお前にしては、やけに良心的な提案するじゃないか!」
はぁ、色々と警戒して損したぞ。
『もうー。ボクはそんな悪い女神じゃないんだよー』
「すまんすまん。ちょっとお前の事、誤解してたかもな」
第一印象は最悪だったが、今となってはそれは単に思想の対立が大きかったようにも思う。
異世界チーレムを嫌う俺と、それを推進する立場のリンカ。
まあ揉めても仕方がないだろう。結果、彼女によって俺は童貞を――夢を奪われた。
だが彼女としてもこの世界を救う為に色々と考えた末の行動だったのかもしれない。
だから今のように反省し、その埋め合わせをしようと動いてくれている訳だ。
『ふふっ、誤解が解けたならもうそれで十分だよぉ。それじゃ、今から埋め合わせとして過去を改変してくるね』
「過去を改変か。そうするとどうなるんだ?」
『うーんとね。時間なんかは巻き戻ったりはしないけど、そういう記憶が君たちに刻まれる事になるね。もちろん過去改変による影響が他の事には極力出ないようにちゃんと調整するから安心してね』
要するに俺の始めての相手がアリアに変わっても、それ以外の事柄についてはほとんど影響が及ばないという話のようだ。
初めての相手が別人になるなんて普通なら色々と余波が大きいだろうに、流石は女神と言う事なのだろう。
『それじゃ早速今から始めるね』
そんな声が響いてから、俺の感覚ではわずか10秒ほど後。
『終わったよー』
おいおい随分と早いな。
『どうかな? いやー、これでも現状との整合性を取る為に色々と苦労したんだよー。ついでにちょっとサービスもしておいたから、喜んでくれると嬉しいなぁ』
てへへと、可愛く笑いながらそう告げるリンカ。
「へぇ、サービスねぇ」
そう呟きながら、俺は改変された過去を確認すべく自身の記憶へと潜る。目的地はもちろん俺の初体験だ。
「……て、おい。何だよ……これ……」
『んんー、どしたのさ? 君の初体験の相手はちゃーんとアリアちゃんになってるでしょ?』
いや……まあ、そうだけどさ。でもこれは……ちょっと、いくらなんでもあんまりじゃねぇか。
「いやいや。ちょっと待てよ。てか、マジでふざけんなよお前っ!」
『ええー、何が不満なのぉ? 出来るだけ君の望みに沿うように頑張ったんだけどなぁ』
「だとしてもこれはおかしいだろ! なんで俺がアリアをレイ〇した事になってるんだよ!!」
そう。俺に新たに刻まれた記憶は、昔にアリアを襲ったという過去だった。
5年程前、唐突にリンカによってこの世界へと連れてこられた俺は欲望のまま彼女を犯し、しかもその事実を今の今まで忘れてのうのうと暮らしていた事になっていた。
『えー。だって今への影響を極力抑えるためには、それしか手は無かったんだから仕方ないじゃんさー』
「はぁ、どういう意味だよ?」
『まったく、君ってば案外自己中だよね。自分のことばっかりで、リズちゃんの事なんてすっかり忘れてたでしょ?』
「あ……」
『リズちゃんが生まれた経緯は覚えてるでしょ? その相手を君に変えてあげたんだよ。だから今のリズちゃんは君の実の娘なのさ』
……おい、まさかサービスってその事かよ。
『そだよー。それに大丈夫だよぉ。君は親兄弟を殺した盗賊たちとは別枠だって、アリアちゃんにはそう認識されてるからさ。単に人生のどん底に突き落とされてた彼女を、通りすがりに性欲を持て余してつい襲ったレイ〇魔程度にしか思われてないよー』
「いやいや待て待て待て。その話のどこに大丈夫な要素があんだよ。普通に最悪の状況じゃねぇか!」
『そう? 君の望み通りお互いに処女と童貞同士で初体験出来た訳だし、後はお互いに愛し合いさえすれば夢が叶うんだよ? しかもリズちゃんみたいなかわいい愛娘つきでさ。そんな状況の一体どこが最悪だって言うのかな?』
確かに夢の成就への道に光が戻ったのは事実だった。けどな……。
「その互いに愛し合う事のハードルが、なんかすげー上がった気がするんだが?」
アリアの俺に対する印象は、ただの金づるから初めてを無理矢理奪ったクソ野郎へと無事変化を遂げた訳だ。
下手すりゃ今更リズの父親面をしてる、なんてさえ思われているかもしれん。
何だよこの状況……マジ意味わかんねぇ。
『かもねー。けど夢なんてそんなものさ。簡単には叶わないからこそ、それは尊いものなんだよ』
そんなリンカの言葉が、俺の脳裏をむなしく通り過ぎていった。