32 勇者ホクト
リンカの覚悟の果てに、俺は過去を――かつての魂の輝きを取り戻した。
囚われた常識の檻からも抜け出し、世界を救う勇者様となった。
そんな俺へと背後から声が掛かる。
「あの……。ホクトさん……ですよね?」
見た目は何も変わらないはずなのに、アリアは俺の変化をきちんと捉えていた。
それだけ彼女は俺の事を良くみていたという事なのだろう。
やはり賢く、そして健気な娘だ。
リンカの次に愛するに足る女性である。
「ああ、少しばかり過去の記憶を取り戻したが、君の知っている男で間違いはないさ」
俺は甘い笑みを浮かべて、彼女へとゆっくりと近寄っていく。
「過去の記憶………ですか?」
「詳しい話は後にしようか。後始末をしなきゃいけないからな」
言いながら、俺はリンカの顔へと両手を添える。
「今は俺の勝利を信じて待っていて欲しい」
そしてそっと優しく唇を重ねた。
「……はい」
ボォーっとした表情で、ただそれだけ答えるアリア。
ふふっ、これはもう完全に落ちたな。
ナデポの権能を使うまでもない。
大抵の女性は俺と関わればこうなるものだからな。
アリアほど付き合いが長ければそれは尚更の事だ。
ふと隣へと視線をやれば、リズが何やら不思議そうに2人を交互に見ている。
「リズ。お母さんと一緒にもう少しだけ良い子で待っていてくれな」
その小さな頭を優しく撫でながら、そうお願いをする。
「うん! お父さん頑張ってね!」
やはり俺の子だけあって聡い子だ。
幼いながらに、物事を良く分かっている。
将来が楽しみだ。
やはりこの娘のためにも、この世界の掃除を行う必要があるな。
「てめぇ! 何、俺らを無視してやがる!」
俺がほのぼのホームドラマをやっている間、完全に放置されていた魔王セッテが怒りの声をあげる。
どうやら奴の高慢でちっぽけなプライドを刺激してしまった様子だが、別にどうでもいい話だ。
「ちっ、今の一瞬で何か確実にあったな! てめぇ、何をしやがったぁ!」
強欲そうな女の声がそう響く。
静止した時間での出来事を知っている訳ではないのだろうが、纏う雰囲気がこうも激変すれば、愚かな連中とて察する事もあるのだろう。
「そうだわぁ、奪った力を――時間を巻き戻す力を使えばいいのよぉ」
続いて嫉妬深い女の声が、ふと良い考えを思いついた、そんな口調で言葉を発する。
「ああ、あれかよ。ったく、すげぇ能力もってやがったよなぁ。けど、こうして奪われちまったら何の意味もねぇなぁ、おい!」
さっきは俺に頭を垂れて震えていたくせに、もう自信を取り戻した様子だ。
まったく調子のいい連中だな。
まあ確かにあれは凄まじい能力ではある。
どんな不利な盤面さえもひっくり返す可能性を秘めた、最高の能力の一角だ。
その事自体は認めよう。
「そうか。ならば使ってみるといい
だが今の俺にとって、それを奪われた事実など些事に過ぎなかった。
だから何の気負いもなく、そう告げる。
「はっ! 後で吠え面かいてもしらねぇぞ! おらぁ! 時間よ戻れぇ!」
俺の発した素直な言葉を挑発か何かだと受け取ったのか、憤慨しながらそう叫ぶセッテ。
「……あ?」
しかし何も起きない。
「ああん? どういう事だよ、こりゃぁ? 時間よ戻れ! 戻れやごらぁ!」
焦ったように何度も能力の発動を試みるセッテ。
なんとも哀愁漂う姿だな。
これが魔王? ははっ、笑わせてくれる。
「なぁ、もう諦めたらどうだ?」
あまりに哀れなその姿を前に、俺は同情心を発揮して、そう助言を下賜してやる。
「なんで! なんで発動しねぇんだよぉ! くそがぁっ!」
「やれやれ。お前如きが俺から能力を奪ったところで、マトモに扱える訳がないだろうに。何故そんな単純な事実さえ理解出来ない?」
あれは最強の女神リンカが、俺のためだけに造り上げた最高峰の力の一端だ。
少し前の俺は自身の無力さを嘆いていたようだが、それは大きな間違いなのだ。
リンカから与えられた能力を扱える。
その時点で既に抜きんでた特別な存在だったのだ。
他の魔王(笑)どもを寄せ付けない程に。
まあこうして記憶を取り戻した今の俺と比べれば、その足元にも及ばないけどな。
「な……なんだよ……そりゃぁ」
俺との格の差を思い知ったセッテは、尻尾を垂らして、その身を縮こまらせてしまう。
「さて、それじゃあそろそろ返してもらうぞ」
俺はセッテに奪われた能力の返還を迫る。
「ぐぅぐがぁぁぁぁっ!?」
きっと奴の視界には、俺から伸びる魔手が幻視去れていることだろう。
その虚ろな手が奴から奪われた能力を剥ぎ取り、ついでと言わんばかりに奴の持つ能力全てをも奪い取っていく。
「ちっ、ゴミみたいな能力ばかりだな」
捕食する事で相手を取り込む能力、渇望した能力を奪い取る能力……他5つほどの能力を奴は持っていた。
だが俺からすればどれも下らない……児戯のような力ばかりだ。
「あ、ああ……なんでお前がその能力を……」
「なんだ? もしかして能力を奪い取るのが、お前だけの特権だとでも勘違いしてたのか? その程度、俺に扱えない訳ないだろうが」
リンカが俺に与えたのは、能力を想いのまま生み出す力だ。
かつての俺では欲望が足りず、ロクに能力形成が出来なかったようだが、今となってはもはや自由自在だ。
俺が必要だと感じた能力は、わざわざ生み出そうとしなくとも、その時点で既に俺の手の中にある。
世界とはいつだってそういう風に出来ていた。
「さてと、もう十分だろう? お前の出番はオシマイだ。さっさと退場しろ」
この程度の雑魚、もはや俺の相手にはならない。
他の魔王(笑)どもとて、それは同じ事だ。
「くっ、くそがぁ……」
ゆっくりと迫る俺の姿を見て、悔しさと恐怖の入り混じった声をあげるセッテ。
そして聖剣の間合いへと辿り着いた時、奴は思い出したようにこう叫んだ。
「ま、待て! この人間どもがどうなってもいいのか!」
奴は取り込んでいる人間の盾どもを表出させて、俺に脅しをかけて来る。
「はっ、その人間共がどうした? まさか俺がそいつらを殺すのに躊躇するとでも思ったか?」
縛っていた常識の鎖が剥がれた今、俺に同族殺しへの躊躇いなど欠片も存在していない。
何よりわざわざ俺が労を割いてまで、救う価値など感じていなかった。
「いや……そうだな」
だが、かつての俺が何を望んだか。
それを思い出し、少し気が変わる。
「そうだな。一応、返してもらうとするか」
そう呟いた直後、俺はセッテの懐へと飛び込む。
「は!?」
僅か一歩で彼我の差を0へと縮めた俺は、まずは眼前にある腹を一突きする。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!?」
黒い四足獣が悲鳴を上げた。
「やれやれ、まったく聞くに堪えない声だな」
呆れながらも、俺は淡々と奴の身体を切り刻んでいく。
「な、なんで……」
奴の黒い瞳が、信じられないモノを見るようにして揺れ動いている。
「この程度のこと、俺に出来ないとでも思っていたのか?」
俺の聖剣は肉の盾たちをすり抜けながら、セッテの黒い肉体だけを的確に切り裂いていた。
聖剣は人類救済のための剣だ。
能力を十全に引き出せれば、実はこの程度の芸当そう難しくはないのだ。
「なんだよそりゃ……。チートにも程があるじゃねぇ……か……」
魔王セッテの高い生命力とて絶対ではない。
7つあるコア、その全てを破壊されれば普通に死ぬ。
まして能力を全て俺に奪われた今の奴ならば、それは尚更のことだった。
「俺という存在そのものがチートだからな。今更それを理解したのか。まったく鈍い奴だ」
「ちくしょう……。こんな所で終わり……かよ……」
悔しそうにセッテがそう呟く。
そしてそれが奴の最後の言葉となった。
獅子の頭部にある2つの瞳からは輝きが失われ、その巨躯がゆっくりと倒れていく。
「もう死んだのか。ホント雑魚だな」
満足感など一片たりとて無かった。
この程度の相手に、少し前の俺が苦戦していた。
その事実だけがただ悲しかった。
魔王の死を契機として、周囲に潜んでいた魔物どもが散っていく気配を感じる。
奴らもいずれ殺し尽くす連中だ。
なら別に今殺しても問題はないだろう。
「お前らもついでに滅びておけ。セレスティアルレイ」
俺の手の平から巨大な光の柱が放たれ、それが空の彼方まで飛んでいく。
それらが衛星軌道上で無数の光へと分裂を果たし、再びこの地上へと飛来した。
その光は、セッテが魔王を務めていた鳥獣系の魔物たちの軍団"カルネージビースト"。
それに所属する全ての魔物たちへと降り注いだ。
「……お母さん、すっごくキレイだねー!」
「ええ、そうね。きっとあれが世界を救う光なんだわ……」
背後ではアリアとリズが空を見上げて、感動に打ち震えていた。
無数の流星が断続的に降り注いでいく。
その光景は、俺が演出の一環として夜空に変えた事で、より幻想的になっていた。
愛する2人へのちょっとしたサービスだった。
「さて、これでカルネージビーストは全滅した」
この世界に存在していた鳥獣系の魔物たち、そのすべてが今の一撃によって全滅した。
魔王を失った種族の末路など所詮こんなものだ。
魔王の存在は、種族全体に活力与える。
逆を言えば、それを失った種族はもはや烏合の衆に他ならないのだ。
それを思えば、余計な苦しみの無い全滅を与えた俺は、とても慈悲深い存在なのだろう。
「やれやれ、俺もホント甘いな」
日本の常識の呪縛は剥がれたが、あの世界で過ごした経験や記憶が失われた訳ではない。
今の俺の意識に多少なりとも影響を残しているのだろう。
先程の慈愛に溢れた行為も、きっとそのせいだ。
「さてと、あとは人間どもの回収か」
言いながら俺は横たわる黒の獣――魔王セッテの残骸へと近寄っていく。
その内部には、いまだ取り込まれた人間たちが辛うじて鼓動していた。
だがセッテが死んだことで、栄養などの供給源が失われた。
放置すれば早晩彼らは死ぬだろう。
かといってこのまま取り出しても、既に正しい人間の形を留めていない彼らだ。
処置を施す必要があるだろうな。
全く手間が掛かる話だが、それがかつての俺の望みだったのだから、一応果たしてやるとするか。




