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31 リンカの覚悟

「そういや、なんか覚悟を決めたとか言ってたけど、一体何をするつもりなんだよ?」


 俺の童貞云々については、今は脇に置いておこう。

 重要なのは、リンカの覚悟のその中身だ。


 絶大な力を持つ女神リンカをして、覚悟が必要なことなのだ。

 それがよほどの事であるのは想像に難くない。


「その前に一つ尋ねるよ。君はこれからどうしたい?」


 そう言ってリンカが静止したままのアリアとリズを指差し、続いて魔王セッテに取り込まれた人々を指差していく。


「……俺の命に代えてでも、この2人だけは守りたい」


 色々と考えたが、俺の一番の願いはやはりそれだった。

 この際、もうそれ以外の人々の処遇については目をつぶるしかない。


 だがそんな俺の答えは、リンカにとっては満足のいくモノではなかったらしい。

 桃色の美しい髪を揺らしながら、その首が横へと大きく振られる。


「違うよ。ボクが聞きたいのは、そんなちっぽけな願いなんかじゃない。君が思い描く理想の未来についてだよ」


「俺の……理想?」


「そう。考え得る限り、君にとって最良の未来。それを常に目指さなきゃ。それこそがボクの愛したホクト君だからね」


「……そんな事、急に言われてもな」

 

 かつての俺はきっとそういう存在だったのだろうが、今の俺は違う。

 平和な日本で暮らし、その常識に染められた、ごく普通の人間だ。


「出来る出来ないについては、今はどうでもいいよ。君にとっての一番をボクに教えてよ」


 俺にとっての一番……。


 アリアやリズの2人を守り、魔王セッテによって肉の盾にされた人々も救い出す。

 

「本当にそれだけ? 君の中にはもっと大きな欲望が眠っているはずだよ?」


「……アリアやリズが幸せに暮らせる世界にしてやりたい」


 こんな混沌とした世界じゃ、例えノルテ聖王国まで逃げ延びたとしても、その安全は保障されないだろう。

 ずっと魔物や魔王らの脅威に怯えながら日々を暮らす事になる。


「そうだよね。でもそのためには他の魔王たちを排除して、君がこの世界を統べないといけないね」


 その通りではある。

 けれど今の俺にはそんな事は無理だ……。


「そうかもね。でもかつての君になら出来る。それで君はどうしたい? このままアリアちゃんたちの死を見過ごす? それとも今の自分を捨ててでも、彼女たちを救いたい?」


「……日本で培った常識なんか全部投げ捨てて、かつての俺に戻れと?」


 リンカの語った俺の過去が全て本当ならば、それは完全な狂人に他ならない。

 そんな存在に俺になれと、そういうのか。


「選択は君に任せるよ」


「そんな重要なこと。丸投げしないでくれよ」


 常識人の俺に、その決断は重すぎる。


「仕方ないさ。こんなことを言うと怒るかもしれないけれど。君さえ無事なら他は割とどうでもいいんだよね、ボクはさ」


 多分、それは本心なのだろう。

 その言葉は決して茶化すような物言いではなく、真剣そのものであったからだ。


「今のままでも君だけは死なないだろうからね。ボクとしては、どっちを選んでくれても別に構わないんだ」


 そう言いつつも、彼女はきっと俺の答えが分かっているのだろう。

 

 そうだ。悩んだところで答えは一つしかない。

 アリアとリズの2人のため、俺は決断した。


「……望んだ未来を掴めるように、俺を戻してくれ」


「ふふっ、それでこそボクの勇者さまだよ。だったらボクも相応の覚悟を見せないとね」


「覚悟……? どういうことだ?」


 俺の存在を過去へと戻すことと、彼女の覚悟がどう繋がるのか。


「そのためには、君の魂に大きく干渉する必要があるんだ。そして、その行為もまた神々の理を犯す事に繋がるんだよ」


 魂への直接干渉は、重大なルール違反になるそうだ。

 なら俺の記憶の封印はどうなるんだって話だが、そこはグレーゾーンを上手くすり抜けて行われたらしい。


「そうしたら、どうなるんだ?」


「言ったでしょう? 神々の間でお尋ね者になるって。ボクは当分、彼らとの戦いの日々になるだろうね」


「それって、お前……大丈夫なのかよ?」


「うーん。流石のボクでも、神々全てを敵に回したら勝てるかどうかはちょっと分からないかな?」


 慈愛に――いや俺への深い愛情に満ち溢れた表情で、リンカがそう微笑む。

 どうも最初からこの結論へと辿り着くのが分かった上での会話だったらしい。

 

 とっくの昔に彼女は覚悟を決めていたのだ。


「待てよ! お前はそれでいいのかよ!」


 俺のために、こんな愚かな俺の願いを叶えるために、女神であるお前が犠牲になる意味はあるのか?


「もちろん。それだけボクは君の事を愛しているのさ」


「そんなに俺の事を……。いや違うな。そうまでしてでも、今の俺を否定したいのか? 過去の俺を取り戻したいのか?」


 今の俺自身に価値を見出せない俺は、そんな疑いの言葉を向ける。

 だがリンカはそんな俺を見て笑った。

 

 それは決して馬鹿にするような笑みではなく、出来の悪い息子へと向けるような、優しい母親のような笑みだった。


「誤解があるみたいだから一応言っておくね。今の君だって変わらずボクは愛しているんだよ。どれだけ魂が変質していようとも、君はただ君であるだけで愛しかった。それだけはどうか信じて欲しいかな」


 そう言ってはにかんでから、リンカの身体が眩ゆい光へと包まれていく。


「おい、まだ話はっ!」


「ゴメンね。実はこの時間静止は、他の神々の時間も止めてるから、そう長くは持たないんだよ」


 だからか。

 これまでと違い、俺まで動けなくなっていたのは。


 てか他の神々の時間まで止めるって、お前ホントどれだけチートな女神なんだよ。


「それじゃあね。君が過去を取り戻せば、この程度の世界の危機を救うなんてきっと訳ないよ。でもこれだけはどうか忘れないでね。君の童貞を奪ったのはボクだってことを……」


「ちょっ! 最後に言い残すのがそれかよ! くそっ」


 俺の言葉は空しく宙へと消えていく。

 既にリンカの姿はなく、そうして俺の魂の変質が始まった。


「はぁ、過去の俺にとってはどうだったか知らないけどな。やっぱりお前は俺にとっては邪神だったよ。けど最高の邪神だ……」


 俺にもはや普通の神など必要は無い。

 邪神である彼女さえいれば、他の神々なんてクソくらえだ。


 そんな思いを抱きながら、俺の魂は緩やかに溶けて、かつての形を取り戻していく。



 静止していた時間の針が、歩みを再開した。


「……清々しい気分だな。かつてないほどの解放感だ」


 特に見た目に何か変化が生じた訳ではない。


 だが俺の精神は明らかに別物となっていた。

 とはいっても別に、記憶や想いなどが失われた訳ではない。


 奥底に眠っていた扉が開いた。ただそれだけの事だ。


「ああん? お前何かあったのか?」


 そんな俺の姿を見て、訝しむ声をあげる漆黒の四足獣――魔王セッテだ。


「たかが獣風情が頭が高いぞ。控えろ」


 俺はそんなセッテに対し、ごく自然にそう命じた。


 それを聞いたセッテは、尻尾を巻いて震えながら伏せをする。

 怯えた獣の如き哀れな姿だった。


「て、てめぇ。何をしやがった……」


「何もしちゃいないさ。お前が勝手にひれ伏しただけだ」


 そう。

 俺は本当にただ告げただけ。


 だがずっと勇者として王として、数多の世界を旅した俺の魂の輝きは果てしない。

 直接目にしてしまえば、本能に忠実な獣など、その命に黙って従う他ないのだ。


「嘘をつきやがれ! 何か能力を使ったに決まってやがる!」


 やれやれ。

 現実の見えない奴は面倒だな。


 俺は溜息を一つ吐いてから、さっさとこの戦いを終わらせる事を決めた。


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