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30 2度目の

 リンカの口から俺の身に起こった出来事について語られたが、しかし本人である俺には実感がない。

 そんな記憶なんて全く身に覚えはないのだ。


 そもそもの話、本当にそれらは――常識や倫理観に囚われることは、悪いことなのだろうか?

 そんな想いがどうしても拭えない。


「君の思う通り、それは別に悪いことじゃない。むしろ正しいことさ。常識や倫理観が形成されなければ、人間は寄り添って生きてはいけないからね」


 そう言って俺の想いを肯定するリンカ。

 しかしその言葉にはまだ続きがあった。


「けどねボクはこうも考えているんだ。その正しさとはいわば調整する力なんだよ。歪に突出したモノを削るには必要だけれど、滅びゆく世界から少ない余力を削ってしまえば、取り返しのつかない事態を招くことにも繋がるのさ」


「常識や倫理観が正しくあれるのは、既に安定している世界だけって事か」


 常識や倫理観は安定を保持するためのいわば支柱たる存在だ。

 だがそれは飽くまで人類の存続という主柱が揺らいでなければこそ。


 崩壊寸前の主柱を立て直すには、時に非常識で倫理から外れた行動が必要とされる。

 そんなところか。


「うーん、まあ大体そんな感じかな?」


「なるほどな……」


「だからこそボクにとっては許しがたい事だったんだよ。滅びゆく人類を救うための存在だった君に対して、その障害となる思想を深く植え付けてしまったんだからね」


 個々を尊重する意思は尊いのだが、上に立つ存在には時にそれらの尊厳を踏みにじる必要に迫られる。

 この世界のように人類が圧倒的弱者であるなら、それは尚更のことだろう。


 100人を救う為に1人を犠牲にしなければならない事は当然のこと。

 時に1人を救うために100人を犠牲にする事さえ必要となる。

 

 その決断が例え人類全体のためであったとしても、犠牲にされた者たちは必ず怨嗟の声をあげる。

 そんな厳しい選択を何度でも乗り越えられる強靭な精神が俺には求められていたのだろう。


 過去の俺はそれを有しており、しかし常識の檻に囚われた事で――有体にいってマトモになってしまった事で、その力を失った。

 そんな話だった。


「この世界に来てから、ボクが君にきつく当たっていたのも、実はその事が原因なんだよ」


「それは……いや良く分からないな。素直に俺にそう伝えれば良かっただけの話じゃないのか?」


 俺だってちゃんと事情を知っていたなら、もっと色々と考えただろう。

 リンカの言葉をもっと真摯に受け止める事だって出来たはずだ。


「もちろん最初はそうしたよ。けど全然ダメだったんだよ」


「……? そんな話、一度も聞いた覚えがないんだが……?」


 そんな滅茶苦茶な話、一度聞いたら流石の俺でも絶対に忘れないぞ。


「……実はね。地球からこの世界に君が転生したのは2度めなんだよ」


「はぁっ?」


 また意味が分からない事を言い始めたな、おい。


「まあ君の感覚としては、今回が初めてだろうからね。その反応も仕方ないことだよ」


「俺の感覚?」


「そう。君は時間を巻き戻す事が出来たよね?」


「ああ」


 つっても今さっきその能力は奪われてしまったけどな。


「それと同じ事を――いやそれ以上の事さえも、女神たるボクになら可能なのさ」


「まあ……。そりゃ当然の話だろうな」


 能力を与えた側がそれを扱えないなんてのは、逆に不自然だしな。


「君がやったように、ただ時間を巻き戻すだけなら実は割と簡単なんだけどね。ただ使えても使っちゃいけないってルールがあるのさ」


「ああ、神々同士でなんか代理戦争みたいな事やってるんだったな。確かにそんな真似を許したら勝負が成立しないわな」


 それを許せば盤面が何度もひっくり返されまくって、絶対に勝負はつかない。

 どれだけ負けが込んでも最初に戻せばいいだけの話だからな。


 そして人間である俺にも扱える以上は、時間の巻き戻しなんて行為、恐らく神々なら誰でも扱える程度のモノなのだろう。

 

「けどそんな能力、俺に与えて良かったのかよ?」


「別にそれは構わないのさ。普通の人間なんかが扱う分には、あんなのただの諸刃の剣だからね。その事は君ももう何となく理解してるんじゃない?」


 リンカの言う通り、あれは人間には過ぎた力だった。


「そうだな……。あんな能力に頼り続けると、遠からず先に待つのは自滅だろうな」

 

 どんな失敗でもやり直せてしまう。

 その空虚さは、人を確実にダメにする。


 実際のところ、俺は既にそうなりかけていたのだろう。

 だからそれを取り上げられただけで、あっさりと心が折れてしまった。


「まあ、そういう事だよね。人間だろうと魔物だろうと、本来なら下界の者たちに使いこなせる領域の能力じゃないのさ。だから別にルール違反とはならないんだよ」


「本来なら……か」


「そう。君は、かつての君だけはそれを十全に使いこなしていた。その類まれな精神性によってね」


 どんだけ図太い奴だったんだよ、過去の俺は。

 我が事ながら、ただただ呆れる他ない。


「少し逸れたね。話を戻そうか。普通に時間を巻き戻せば、ボクはルール違反で神々の間でお尋ね者になっちゃう。けどボクはね。神々にさえも気付かれること無く時間を巻き戻す力を持っていたんだ」


「なんだよそれ。チートだなおい」


 チートを与える女神だけあって、やはり本人も大概チートな存在のようだ。


「と言ってもね。そうポンポン使える能力じゃないのさ。当分は――あと数千年は経たないと、もう使えないだろうね」


 クールタイムが数千年か。スケールが無駄にデカい話だな。

 まあ他の神々の目を欺くには、相応の代償が必要って事なのだろう。


「ともかくその力でボクは時間を巻き戻した。だから今の君の転生は2度目なのさ」


「……で、なんで時間を戻したんだ?」


「君が死んだからだよ」


 まあ口振りから、なんとなくそんな予感は感じていた。


「ボクもね。最初は普通に君と接してたんだよ。今みたいな感じでね。もちろん事情も包み隠さず全部話したよ。けど全然ダメだった。何といってもボクはキミだけの輪廻転生を司る女神だからね。別人みたいになっちゃったキミにどう対応すればいいのか、正直良く分からなかったんだよ」


「え? アリアやリズが死んだ時、そっちに行ったって言ってなかったか?」


「別に嘘は言ってないさ。ボクがいる神々の領域に彼女たちが来たのは間違いないしね。ただ対応は別の女神がやってたけど」


「……嘘はついてないかもしれないが、明らかに騙す意図があっただろ、それ」


 俺はジト目でアリアを睨み付ける。


「そうだね。でもねボクだって苦汁の決断だったのさ。一度目で優しく接した結果、君はあっさりと死んでしまった。それでボクも色々と考えたのさ。心を鬼にして、キミを以前みたいに戻そうってさ」


「で、その為に俺にきつく当たったと?」


「そう。君の精神に強い負荷をかけることで、かつての君が目覚める。そう期待したのさ」


「その判断が正しいのか間違ってるのか、正直良く分からないが。ただまあ、俺のためを思ってやったってことだけは一応理解した」


 別に裏を取るまでもない。

 彼女が嘘をついていない事は、今の俺にはなんとなくわかってしまう。


「そう言ってくれると、ボクも少し気が楽になるよ」


 俺の言葉を聞いて、心底ホッとした様子のリンカ。


「しかしな……なんで俺の童貞まで奪う必要があったんだよ? 明らかに余計な行為じゃないか?」


 話を聞く限り、神々が直接下界に降臨するのは色々とリスクを伴う行為なんだろう?


 なのにそんな危険を冒してまで、わざわざ俺の童貞を奪う意味なんてあったのか。

 それが、どうしても俺には理解出来なかった。


「酷い言い草なぁ。ボクでもちょっと傷つくよ」


「いやだから、なんでわざわざそんな真似したんだよ」


 リスクを冒してまでやるような行為じゃなかっただろ?

 嫌がらせにすらなってないし、全然意味が分からない。


「はぁ……相変わらず君はもう……。とっても簡単な話なのにさ。さっきも言ったでしょう? ボクは君を愛してるって。だから君の童貞は毎回ボクが貰うと、そう決めてるのさ」


「……」

 

「ぶぅ、何さその目はー。なんだかんだで嬉しかったでしょ? ボクみたいな超絶美少女な女神が初体験の相手でさー」


 まあ……正直悪くはなかった。

 なんだかんだであの時のツインテール姿のリンカは、俺の好みにドストライクだったのは事実だしな。


 いや違う。そういう問題じゃない。


「てか、そもそもの話、俺の初体験相手は、今はアリアに変わってるはずだよな?」


 俺の記憶を(さかのぼ)れば、確かにそうなっている。

 他ならぬリンカ自身がそう弄ったはずだ。


「その辺はまあ認識の違いだね。ボクがそう改変したことで、君の認識上ではそうなっている。けどボクは改変前の事も当然覚えているからね。人間と神の生きる時間軸は微妙に異なるから、そういう事だって有り得るのさ」


「分かったような、分からんような……」


 俺が時間を巻き戻しても、神々は影響を受けない。

 多分その辺のことも関係しているのだろう。


 いまだ凡人のままの俺には、スケールがデカすぎて完全には理解出来る気がしない話だな。


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