25 許したかった少女
『最後に一つだけアドバイスをしとくよー』
微妙な空気が流れる中、特に気にした風もなくリンカがそんな言葉を発する。
「なんだ?」
『オルトロスを倒す時さー。なるべく全力は出さないようにね?』
「……なんでだ?」
『所詮あれはただの当て馬ってことだよぉ。向こうだってさぁ。あの程度で君を――同じ魔王を倒せるなんて、全然思っちゃいないのさぁ』
「そういう事か。その目を通じて、この戦いの様子が向こうにも漏れるって寸法か」
俺は目の前の双頭の狼へと視線を向ける。
盗賊の首を咥え、威圧感たっぷりの魔物だが、俺の実力を測る為の捨て駒に過ぎないらしい。
神々は庇護する種族らの視線を通じて、世界を覗き見る。
そうして得た情報は、女神アマルティアから力を与えし魔王セッテへともたらされる。
『そうそう。完全に隠し通すのは無理だろうけど、なるべく弱く見積もってもらった方が、後々楽じゃないかなぁ?』
「確かにそれは道理だな。分かった。なるべく手加減を頑張るとしよう」
とはいえ、俺のやる事は決まっている。
ただ聖剣を振るうだけだ。
上手く手加減できるかどうか、その自信の程は正直イマイチであった。
『それじゃぁ、頑張ってねぇ』
リンカが去り、そして時間が動き出す。
同時に血を吹き出した男の胴体がゆっくりと倒れていく。
この血に塗れた惨状に、背後のアリアから悲鳴の声が上がるかもとも考えていたが、違った。
俺の背後には驚きに目を見開きながらも、どこか嬉しそうに口の端を歪ませる少女の姿があった。
それを見て最初は衝撃を受けて声も出なかった俺だが、やがて別の感情が浮かび上がってくる。
……そこまで連中が憎かったのか。
アリアの盗賊に対する恨みの深さ、それがもはや俺の理解出来ない領域にある事を悟ってしまう。
彼女ににとって、もはや親兄弟を惨殺した張本人かどうかは関係なくなりつつあるのだろう。
その憎悪は盗賊という存在その全てへと及んでいる事がうかがえる。
普段は心優しい少女にして、リズを守り育てる立派な母であるアリアだが、その境遇ゆえの狂気が滲んでいた。
一応、リズを手の内に抱きしめて、その凄惨な光景を見せないだけの分別が残っているだけまだマシ。
そう思うしかないのだろう。
「ひぃっ!?」
「ば、ばけものっ!」
今更ながらに仲間の惨状に――そしてオルトロスの存在に気付いた盗賊たちが、そんな悲鳴の声をあげる。
慌ててバラバラに逃げ出す彼らだったが、しかしもう遅い。
「ガルァァァ!!」
巨体に似合わぬ瞬足でもって、一瞬で盗賊たちへと追いつき、その肉を喰らっていくオルトロス。
ただ一つ気になるのが、一人殺す度にチラチラと俺の方へと視線を向けている点だ。
ただ俺の奇襲を警戒しての事ならそれで良いのだが、どうもその動きに違和感を覚える。
『君の反応を確かめてるんだろうねぇ。盗賊どもが君の弱みになるかどうか、それをゆっくりと見定めてるんだろうさぁ』
リンカの声が、再び俺の脳内に響く。
となるとアリアやリズが危ないか。
彼女たちが狙われる前に、先手を打って仕留めるべきだろうか?
『残念だけど、そっちはもうとっくにバレてると思うよぉ』
言われて思い出す。
俺は明らかにアリアとリズの2人を庇うようにして立っていた事を。
なら様子見か。
盗賊たちの始末は、オルトロスに任せるとしよう。
その方がきっとアリアも喜ぶだろうし。
『そこまで彼らに無関心なのに、どうしてそこまで自分の手を汚すことを嫌がるんだろうねぇ』
独り言なのか俺への問い掛けなのか、そんな不明瞭な言葉をリンカが呟く。
だがそんな事を言われても、無理なモノは無理なのだ。
いざそうしようとすると、手の震えが止まらない。
あんな状態で敵を斬る事など出来ないだろう。
『そうかなぁ? まあいいやぁ。それよりも、そろそろ盗賊たちが全滅しそうだよぉ』
リンカに言われて、俺はオルトロスの動きへと意識を集中する。
盗賊たちが俺の弱みにはならないと知った奴は、次にどう動くのか?
やはりアリアたちを狙うのだろうか?
彼女たち2人が、俺にとってどれほどの弱みになるのか。
もしかしたら、その詳細を探りに動くかもしれない。
だがそんな真似は俺が決して許さない。
相手が人間じゃ無ければ、もはや俺は殺す事に躊躇などしない。
いや普通の犬ならば躊躇したかもしれないが、幸いにして相手は首が2つの馬鹿デカい怪物だ。
日本で見かけた可愛いワンコたちとは、完全に別物だと判断できる。
そもそも既に狼の魔物たちを多数殺した俺にとって、奴の始末を躊躇する理由などどこにも無かった。
「さて、どうする? 俺と戦えばお前は確実に死ぬぞ?」
念のため、オルトロスへと挑発の言葉を投げかけておく。
これで俺の方へと意識を集中してくれれば儲けものだ。
「ガルルゥゥゥ!!」
俺のその言葉が通じたのか、はたまた最初からそのつもりだったのか。
ともかく2体の首が咆哮をあげて、俺を威嚇する。
「戦意は十分みたいだな。ならかかって来いよ」
「ガルァァァァ!!」
そんな俺の言葉が合図となったのか、オルトロスが俺へと一直線に駆けて来る。
常人ならば目で追う事さえ困難な速さだが、生憎と俺はクソったれのチート野郎だ。
チートな動体視力で、その動きを把握し、チートな剣をその首元へと振るう。
二閃――
俺の傍まで走って来たオルトロスの首が2つ、ゴロリと地面へと転がり落ちる。
だが勢いを保ったままの胴体の勢いは止まらない。
「おらぁ!」
だが、どれだけの運動エネルギーがこもった突進だろうと、聖剣で強化された俺の身体能力の前では無意味だ。
右足で思いっきりその腹を蹴飛ばす。
それだけでベクトルが反転し、巨体が宙へと舞って遠くへと吹き飛んでいった。
「……見かけ倒しだな」
思った以上に楽に倒せた事に対し、俺は拍子抜けしてしまう。
『そりゃぁね。魔王以外の魔物じゃ、君の相手にはならないよ』
それだけチート能力の有無に違いがある訳か。
ははっ、なんてすば……クソッタレな力だな。本当に反吐が出る話だ。
「アリア、怪我は無いか?」
「あ、はい。その……ありがとうございました。助けて頂いて……そして約束を守っていただけて……」
柔らかな金の髪を弄りながら、視線を左右に泳がせながら、やや伏し目がちにそう述べるアリア。
反してその言葉は至って素直なものだ。初めて聞いた程に。
「約束……? ああ……」
しかし、どうもアリアは少し勘違いをしている風だった。
俺が彼女との約束を守って、オルトロスを利用して盗賊たちを殺した。
そう思っている様子だ。
間違ってはいないのだが、しかし俺が進んで約束を守ったかと言えば正直微妙なところだ。
オルトロスがもし現れていなければ、恐らく俺は盗賊どもを見逃してしまっただろう。
「私には……あなたがかつて住んでいたという世界のことは良く分かりません」
そりゃそうだろう。
言葉を尽くして俺は説明したつもりだが、常識も何もかもが異なる別世界のことを、言葉だけで理解するのは難しい。
「ただ、幼い頃からの言いつけ。それを破り難い事くらいは私にも理解できます」
大きな商家生まれのアリアは、幼い頃から躾として色々と教え込まれた事も多かったのだろう。
彼女は「捨てたくても捨てれない何かに縛られている」その点に共感してくれたのだ。
きっとそれは彼女にとって苦痛を伴い、そして勇気が必要なことだったはずだ。
この世界の――そして彼女の常識において、盗賊などはすべからく殺すべき存在であり、そして彼女は盗賊の存在そのものを酷く恨んでいる。
「それを乗り越えて、私の想いを汲んで頂けて……」
言いながらアリアの目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。
別に彼女の両親の仇を倒した訳ではないが、それでもその同類たちが目の前で滅んだ。
その事実に僅かな充足感を感じている。
そのような想いも確かに持ち合わせているのだろう。
だがそれ以上に彼女は辛かったのだと思う。
確かに俺には酷い事をされた。
だがそれでもリズの父親であり、今では唯一彼女が頼れる人間でもあるのだ。
そんな相手を恨み続けてしまう、そんな現状が辛かったのだろう。
だから彼女はずっと俺を許したがっていた。
その為に彼女が自身に課した条件こそが、俺が盗賊を殺す事だったのだろう。
「けど……俺は……」
実際のところは、俺自身が手を汚した訳ではない。
アリアのその許しは有難いのだが、しかしこの誤解は放置すべきではないと俺は思った。
「分かっています。それ以上は今は言わないで下さい」
いや違った。
アリアはそんな誤解をするような視野の狭い少女では無かった。
けれどずっと俺を許したがっていた彼女は、自らに課した条件を敢えて捻じ曲げた。
「その……悪い……」
なんだかんだと、結局は俺は彼女に甘えてしまっていた。
俺が一向に歩み寄ろうとしないから、彼女の方が必死で近寄ってくれたのだ。
そこにはきっと大きな心痛を伴ったはずだ。
そうまでして彼女は俺に許しを与えてくれた。
「いえ……ぐすっ……」
俺を許せたことでホッとしたのだろう。
アリアは堰を切ったようにして泣き出す。
『やっとでアリアちゃんと仲直り出来たみたいだけど、残念ながら問題はまだ残ってるよねぇ。だって君が人間を殺せるようになった訳じゃないものねぇ。さてさて、これから君はどうするのかなぁ?』
そんなリンカの軽口が、今の俺には深く突き刺さる。
アリアに許された俺だが、その事に俺自身が納得出来ていなかった。
このままではダメだ。
次こそ俺の方から彼女へと歩み寄り、今度こそ正しい許しを勝ち得るのだと。
俺はそう誓った。




