10A 憎しみのアリア
今回はアリア視点となります。
私の名前はアリア。
昔はもう少し長い名前だったけど、家を追い出された私にもうそれは名乗れない。
私に手を引かれているのは、娘のリズ。
父親は……名前も知らない誰かよ。
あれは、もう5年も前になるのかしら。リズが今4歳だから、ちょうどそのくらいよね。
あの日、炎に燃える私の実家で。
お父さんとお母さん、そして2人のお兄ちゃんが盗賊に殺されて。
震えていた私の前に現れたのは、同じ年くらいの男だった。
初めて見るようなデザインの変わった服を着てたわ。
血走った目をしていて、何かを求めてさ迷ってるようにも見えたわね。
私に気付いたその男は、獲物を見つけた獣みたいな表情を浮かべて、こっちへと走ってきたわ。
「あひゃひゃひゃひゃっ!」
怯えて声も出せない私に近寄ると、狂ったみたいに笑いながら服を破り捨てたわ。
彼が何をしたいのか全然分からなかったけど、それでもなんとか逃に出さないと、とは思ったの。
でも身体が竦んで言うことを聞いてくれなかったわ。
そうしている内に今度は私の胸を揉みしだき、舐め始めて……。
あの時は何をされているのか全く理解出来なくて、ただ悪夢が通り過ぎるのを神様に祈りながら目を瞑ったわ。
けど、祈りは届かなかったわ。
「い、痛いっ!」
気が付いたら鈍い痛みが奔ってて、それから逃れるようにますます強く目を閉ざしたわ。
何か野獣のような声が聞こえたような気もするけど、正直よく覚えてないわ。
だって、そのまま気を失っちゃったから。
◆
悪夢が終わり助け出されても、お父さんお母さんお兄ちゃんたちが死んだ事を受け入れられなくて。
でも、お父さんの友達だって人たちが色々と良くしてくれたの。
お蔭でなんとか立ち直りかけてた私を襲ったのは、酷い現実の連続だったわ。
最初にやって来たのは親戚だと名乗る人達。
ずっと笑顔を浮かべてたけど、なんだかちょっと怖かった。
うちの家業を手伝うと言って、その手伝いをしてくれてたお父さんの友達を追い出して。
それでも最初はまだ良かったわ。一応、本家の娘として扱ってもらえてたから。
でもそれもすぐに終わっちゃう。リズを妊娠してた事が分かったせいだった。
「ふんっ、どこの誰とも分からぬ男の子など身籠りおってからに!」
リズを生んでからは、その世話と家事だけにただ追われる毎日だったわ。
リズは泣いてばかりだし、それ以外の人達はただ怒鳴って私に命令をするばかり。
でも飢えることだけはなかったから、今よりはまだマシだったのかも。
「お母さん……お腹すいた……」
「ごめんね、リズ……」
手切れ金を渡されて家を追い出された私はすぐに途方に暮れたわ。
手持ちのお金もすぐにつきて、食べる物にも困って……。
でも親も後ろ盾も住むところもない、その上小さな子供を連れた17の娘を雇ってくれる場所なんて見つからなかった。
リズがいなければ……何度もそう思ったけど、すぐにこの娘がいなければ他に生きる意味を持たない自分に気付いてしまうの。
そんな時だったわ。
何食わぬ顔をして私たち母娘の前に、再びあの男が現れたのは。
私が最初に見つけた時は、はぐれたリズに食べ物を与えていたわ。
5年も経ってたし、背も伸びてその表情は穏やかに見えたけど、私はその顔を忘れていなかったわ。
すぐに分かった。この男がリズの父親だって。
でもホクトと名乗ったその男は、リズはもちろん私の事さえ覚えていなかった。
「あ、あのよろしければ、一緒に食事に付き合って貰えませんか? 一人で食べるのはなんかちょっと寂しくてですね。もちろんお代はこちらが持ちますよ」
あまつさえ、そんな風に恩着せがましく私たちを食事へと招待した。
何日もロクに食べて無くてフラフラだった私は、その提案に乗るしかなかったわ……。
男が連れて来たのは場末の飲食店。世間知らずの私でもすぐに分かったわ。
ここは男が女を買うお店であると。
だからこのホクトとかいう男はきっとこの店に私たちを連れて来たんだわ。
5年経って見かけの雰囲気は変わっていたけど、その野獣みたいな本性までは変わってないみたい。
「ではいただきましょうか」
「うん! お父さん!」
注文した食事が揃ったことでホクトがそう合図をすると、リズがそんな声を上げたわ。
「リズ! ダメよ! この人はお父さんじゃないのよ!」
子供って凄いのね。初めて会った相手でもすぐに父親だって分かっちゃうみたい。
でも私にはホクトの事をリズの父親だって、どうしても認められなかった。
だってこいつは、どん底の私を凌辱して、リズ《あなた》を見捨てた酷い男なのよ?
「なんでー? この人凄くカッコいいよー。お父さんじゃないの?」
でもまだ4歳のリズにそんな想いは通じなかったみたい。
前々から父親のことを、とってもカッコいい人だと言い聞かせてたから仕方ないわよね。
でもホクトは、確かに顔はまあまあ整ってはいるけど全然頼りない感じだし、私の好みとは真逆だったわ。
「本当にすいません……」
色々と言いたい事は山ほどあったけど、ここで食事の機会を逃したら私たち母娘はおしまいだわ。
だから今は気持ちを全部押し殺して、ただただ下手に出ることにした。
「あのつかぬことをお伺いしますが、旦那さんは……」
「……この子に父親はいません」
けどホクトは、そんな私の地雷を簡単に踏みつける。
怒りを抑えきれなかった私は、下を向いて必死に表情を隠したわ。
「えっとアリアさん。一つ提案があるんだけどいいかな?」
「……なんでしょうか?」
ホクトはそんな私の心情を知ってか知らずか、思わぬ追撃をしかけてきたわ。
「あーえっと、俺もこういう事言うの初めてだからさ。その、単刀直入に言わせて貰うね。……どうか俺と結婚して欲しい」
「はい……?」
その言葉の意味をまったく理解出来なかった私は、思わず首を傾げてしまう。
「実はね、知り合いから君たちの境遇を少し聞かされててね」
けどその直後に放たれた言葉で、察してしまったわ。
「そう、ですか……」
ホクトは最初から全部分かっていたみたい。
私とリズの置かれた悲惨な境遇について。
今更何をしに来たのかしら?
でも結婚しようと言い出したからには、もしかしたら少しは責任を感じてくれてるのかも?
だったらそこに付け込んで生きるために利用させて貰おう。そう考えたわ。
「もちろんまだ出会ったばかりで、戸惑う気持ちは分かるよ。けど今のままじゃ君たち母娘に先が無いのも分かるよね?」
「……はい」
けど違った。
その言葉に私たち母娘への気遣いなんてまるで感じられなかった。
どこまでも上から目線で、ただ可哀想な私たちを憐れんでる。そんな言葉だったわ。
「え、えっと、ともかく俺と結婚してくれれば、君たち2人の事は絶対に守るから。だから……その、どうかな?」
これまでの人生でこんなにも無力な自分が嫌になったのは、これが2度目だったわ。
だって私とリズはこんな男にでも頼らないともう生きてはいけないのだから。
「……ホクトさんの申し出は理解しました。謹んでお受け致します。ただ私のことはどう扱っても構いませんので、どうかこの子だけは……」
自分の無力さを呪いながら、それでも大嫌いな男へと必死に縋りつく。
そうしてでもリズだけは――私の唯一の宝物だけは、絶対に守るとそう決めていたから。
そしてその晩、私はホクトに抱かれた。
別に何も感じなかったわ。
彼は私の上に跨って必死にも何かぞもぞとしていたけど、声一つさえ上げなかった。
でも行為が終わって、少しだけ傷ついたようなホクトの顔を見て、ほんの少しだけ心が安らいだ気がしたわ。
それこそがきっと、無力な私に出来る精一杯の復讐だったのかもね……。
久しぶりに安心したせいか、そのまま私は眠りへと落ちていく。




