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 青大附属は結構広い。中学、高校、大学の三点セットときたもんだ。

 どこも白い建物だらけで、パンフレットに載っている地図を見ながら、三人でうろうろしたものの、なかなかたどり着けなかった。

 『中学館』『高校館』『大学館』の三棟に分かれている。ペンキででっかく書いてあるからそれは読めるのだが。

「たしか、『大学館』の隣に学生食堂があるはずなんだ」

「中学にはなかったっけ?」

「あるけど小さい。大学の学生食堂の方が、広いらしい」

 立村がパンフレットを指差した。さすがさっきから繰り返し読んでいただけある。暗記してたなこいつ。、

「一緒に学生生協もあると聞いているけど、今日はまだ行けないな。俺たちの格好だといかにも、中学入学したばかりだとわかってしまうだろうし」

 知ったようなことを言い、立村はまた空をちらと眺めた。

「そんなに詳しいのに、なんでまだ俺たちたどり着けないんだ。ほら、見せてみろよ」

 実は十分くらいうろうろしているんだが、お目当ての学生食堂にはなかなかたどり着けなかった。立村がそこまでパンフレットを読み込んでいるのだからお任せしときゃそれでいいか、なんて思っていたが甘かった。どうやらこいつ、地図で正確な位置をつかむのが苦手らしい。すっかり途方に暮れている。俺たちも一緒に頭を抱えているわけにはいかない。こういう時こそ、俺の出番だ。

「とりあえず、あっちに言ってみよう!」

 促した。 嗅覚でなんとなく、わかるもんだ。

 教室に居たときと同じようにパンフレットを覗き込み、俺は立村の手から受け取った。「でもなあ、確かにわかりずらい地図だよ。おい、美里。もし見つからなかったらどうするんだよ」

 広げてみて現在位置を確認した。いきなり美里が「うるさいわね。くどくくらいなら探してよ。ほら見つけた!」なんだ、目の前に俺たちいるじゃねえか。俺は回れ右して、まん前の建物を指差した。戸口のガラスがぎらぎら光って、たまたま上の方に映っている文字「大学館・青潟生徒協会」の文字が読み取れなかっただけだ。

 いやいや、その文字が見えなかったのは他にも理由がある。

 入り口の柱には、ビラが汚く張り巡らされていたからだ。

「入学式後のおとうさん、おかあさん、お食事は生協で」

と看板がでているのが笑えた。いるんだろかと周りを見渡すと、結構親子連れで来ている奴らがいる。中学生同士というのは、どうやら俺たちだけみたいだ。

「あれ、なんだろ。変な文字」

 美里が向かい側の壁に立てかけてある、畳八畳くらいの白い看板を指差した。

 『原発反対!』『学長選挙に学生の投票権を認めよ!』と、赤い文字で、刷毛をそのまま縦線、横線引いた感じで書いてある。こんな文字で試験用紙に名前書いたら、一発でアウトだな。立村は少し立ち止まり、首を傾げるように眺め、

「たぶん、大学の思想系サークルの、立て看板だろう。学生運動関連。下火になっているとは聞いたことがあるけど」

 注釈を入れた。ここんとこだけ妙にはきはきしている。

 学生運動? なんだそれ? 美里と顔を見合わせた。

「お前そんなこと、誰から聞いたんだよ。よっくわからねえ」

「うちの親が話してた」

美里も身を乗り出して割り込んだ。立村目当て、とだけ言っておこう。

「なあに、学生運動って」

 立村に並びかけた。自然とふたり、くっつくかっこうになる。

「俺もあまりわからないけど、大学内に『セクト』と言われるものがあるらしいんだ。たまに大学内で集会開いたり、デモ行進をしたりしているらしい。ヘルメットと手ぬぐいで顔を隠している人がそうなんだって、親から聞いたことがある」

「良く知ってるのね、すごい、どうして知ってるの」

 語尾を延ばさず、また美里は笑顔を立村に向けた。

「父さんがマスコミの仕事してるせいか、なんとなくそういう話、出るんだ」

「マスコミって、どんなの? ラジオとか、テレビとかの?青潟有線放送とかの?」

「『週刊アントワネット』の記者やっている」

 かすかに聞こえるか聞こえないかの声で、立村は『週刊アントワネット』のところだけささやいた。俺もかなりびくんとした。なんてったって『週刊アントワネット』ってのは青潟発のちょっとやらしいことも書いてある週刊誌として有名なんだ。よくとこやに置いてある。残念ながら俺は手に取ったことがない。だって優ちゃん出てねえもんな。

 美里は密かにスケベ情報に詳しいのか、「週刊アントワネット」に思いっきり反応している。俺の顔を見ながら、意味ありげに頷きながら尋ねるのはやめろと言いたい。

「『週刊アントワネット』って、なんか、すごい雑誌だよね、貴史」

「なぜ、そういうことを俺に聞く。」

 これ幸いと話に加わった。俺も美里の隣に並んだ。三人くっついた格好になった。

「だって、貴史そういうの詳しそうだもん。芸能人ネタ詳しいよね、鈴蘭優命だもんねえ」

 そこんところは無視して、俺は立村に尋ねた。ちな

「立村、お前、自分の親が書いている記事とか、わかるのか、やっぱ、やらしいこととかも、あるんだろ? そうだ、お前も読んだことあるのかあ? 教えろよ、なあ教えろよ」

「そんなの、わからない」

 少し機嫌悪げに立村は答えた。なんだか険悪なムードが漂いそうだった。けどな、立村、お前が「週刊アントワネット」とか「マスコミ」とか「学生運動」とか、そんなわけのわからんこと言ってかっこつけようとするから、ひっかかっちまうんじゃねえか。なんでいきなりガラスで跳ね返そうとするんだ? そうだな、理科で使う短冊形のガラスあるよな、あれを身体にぴしぴし貼り付けているような感じがした。こっちで「おいおい、もっと話せよ」とつっこもうとするたび、ぴし、と跳ね返されそうになる。

 美里が急いで話の方向を変えようとしていた。こういう時、女子は頭がよく回るもんだ。

「ねえ、おなかすいた。早く入ろうよ」

「あそこでいいんだよな」

 まだむすっとしている立村の背中を押しながら、俺と美里は貴史は目指す学生食堂の建物へと走っていった。立村も少し頷くように頭をこくっと動かした。


 一皿五十円くらいからご飯もの、とんかつ、メンカツ、サラダ、煮付けなどが並んでいて、好きなだけ選べるようになっている。俺は小銭入れをポケットから引っ張り出し、百円玉三枚を握り締め、ざっと頭の中で計算した。どんぶり大盛り一杯、とんかつ、味噌汁、さらにじゃがいもサラダもくっつけて、四点セットでジャスト三百円。余裕だ。

 美里と立村もそれぞれ食いたいものをそれなりに選んでトレイの上に並べていった。やっぱり三百円以内を意識しているんだろうな。美里はメンチカツに珈琲ゼリーを、立村はサトイモの煮っ転がしと味噌汁、生卵を選んでいた。

 三人それぞれそろえたところで、俺が指揮を取った。

「ここでいいだろ」

「文句なし」

 一応OKが出たところで、俺は四人掛けの小さいテーブルを押さえた。長いテーブルも空いていないわけではなかったんだが、私服姿の図体でかい大学生ばかりの中で食うのも気分いいもんでない。まずは席取り、かばんをテーブルの上に載せた。全員座った段階でどかし、さっそく俺は飯をかきこむことに専念した。横の席をひょいと見ると制服姿の親子連れが黙って味噌汁をすすっていた。会話は、ない。

 美里を中心に、貴史が左、立村が右。

「なんだか私ってお誕生日席にいるみたい」

「好きなんだろ。そういう風に女王さまっぽい顔してるのがなあ、美里」

「あんただって王子さまになりたいくせに」

「俺は鈴蘭優ちゃん以外の王子さまになんぞなりたかねえや」

 どんぶり飯はかなり大盛りだったはずだが、俺の腹には物足りない。これはもう一杯、もらってくるか。いざとなったら美里に借金しようか。箸を口につっこんだまま思案すると、美里がすげえ眼でにらみつけてきた。

「貴史、その食い方、なんとかしなよ。犬食いって奴だよそれ。立村くん見なよ」」  

 目の前にいる立村の食い方を見ると、箸をうまく使い、静かにサトイモを口に運んでいる。。米粒を落とすことなく、小さい口でちょびちょびと。

「うるせえ。うまいものはうまそうに食うのが常識だろが。どこかの誰かと違ってお嬢さまぶりっこして食うほど、俺は意識してねえもんな」

 さりげなく嫌味を混ぜてやったつもりなんだが、はたして美里は気付いただろうか。

「そんなに、おいしいか?」

 ぽつりと立村がつぶやいたのを、美里は聞き逃さなかったらしい。さっそく追求し始めた。全く俺の言葉は耳に入ってないらしい。

 

「あの、立村くん、味に結構うるさいほう?」

「そうでもないけど」

「和食と洋食、どちらが好き?」

「自分で作るんでなかったら、なんでもおいしいって思うけどさ」

 きょとんとした美里に、立村は戸惑った風にまたうつむいた。下向いて少しだけ笑った。

「うちは作ってくれる人がいないんだ。だから俺が自分で用意しないと食べるものがないんだ」

「だって、お母さんは、いるんでしょう」  

 立村はあっさりと答えた。

「卒業式の後、出て行ったんだ」  


 こいつのうち、母さんいないのか。

 なんだかとんでもないこと追求してるぞ、美里。

 おい、いいかげんにしとけよ。 話が暗くなるだろ。

 美里はちっとも退く気配ない。立村もそれがどうしたって顔している。そんなあせることでもないか。俺はやたらとかたいとんかつを噛み切りながら二人の様子を眺めていた。

「ふうん、そうなんだ。でも、親がいないといろいろ楽よね。いくらテレビ見ていても怒られないし」

「それはある」

 大きく頷いた立村。

「母さんがいなくなって最初にしたことは深夜放送を徹夜で見たことかな」

「ホラー映画とか」

「外国のテレビドラマの再放送もよく見てた。夜中のって、吹き替えがぜんぜんないから、面白いんだ」

 言っている意味が俺にはぴんとこない。俺からしたら深夜放送って、やたらと胸と尻のでかいお姉さんが水着姿でポーズ取っているところしかイメージわかない。当然、つっこんでやりたいところだ。美里、お前の気になる奴がどういう顔するか、よっく見とけ。

「やらしい番組も当然、チェックしたよなあ、立村」

 美里がすんごい眼でにらんだが、当然無視。立村の反応を待つと、

「も、あったから、観たよ。一応」

 全く同じ調子で返事してきた。なんだ、やっぱり同じじゃねえか俺と。ちっともやましいこと考えていないって顔しているのは、隠してるのかそれとも、本当に興味ないのか、どっちかだろう。立村はふつう盛りの茶碗飯を、また一口箸で運ぶと、

「でも三日見つづけたら、そういう番組飽きたな。テレビ自体あまり興味なくなったしさ。今はほとんどラジオばっかり聞いているよ。天気のいい日、うまく電波を捕まえられると、洋楽専門のラジオ放送番組をエアチェックできるんだ。百二十分テープで三日分録音して、ヨーロッパチャート100あたりを一日中流しっぱなしにして聴いてた」

 ──なにその「エアチェック」ってのは? 

「なあにその『ヨーロッパチャート100』って? 青潟のラジオ局でそういう番組、なかったよね、貴史? あんた、知ってた?」

 美里に聞かれちゃやばい話に持っていかれないように、立村が意識的にそらしていたらしい。俺がそれに気付いたのは、すべて皿の中のものが腹に全部おさまった後だった。  


 美里のつっこみはかなり激しかったが、立村は顔色を替えずにさらりと流し終えた。

「水、どこかな」

「あそこだよ」

 立村は水を汲みに立った。一緒に美里もくっついていくかと思ったが意外、俺の隣にしっかりひっついてきた。なんか言いたいんだな。言えよ。

「立村くんって、なんだか良くわからないよね、ね? 今の話、聞いてた?」

「聞いてねえわけねえだろうが。目の前だっつうのに」

「それにさ、それにさ、ものすっごく、大人っぽくなあい?」

「お前よりはなあ」

 瞬時に俺の足元へ、強烈な蹴りが入った。いつもだったら手でやるんだろうが、目の前には立村がコップを持って席に戻ってくるのが見える。さすがに爆弾女子の美里も、初対面の奴に本性見られるのはいやらしい。俺は美里が食いかけている珈琲ゼリーを箸で無理やりどんぶりへ流し込んだ後、一気に口の中へ放り込んだ。ざまみろってんだ。

「私のゼリー、食べないでよ! もう貴史ったら、ほんっとに下品もいいとこ! あとでおばさんに言いつけてやるんだからね! それやだったら、あとで私にアイスクリーム、おごりなさいよ」

「今度の小遣いが出るまで待ってろ」

 どうせその頃には美里も忘れているだろ。俺はぶんむくれた美里の腕を叩き、こっちを向かせた。

「なあ、美里、お前さあ、沢口が『あひるが催眠術かけられて、白鳥だと思い込んだ』って話、したこと覚えてるか」

「あったね、そんなこと。よく覚えてるねめずらしく」

「俺だって思い出したかねえけどさあ。なんかな」

 うまく言葉が出なかった。なんでいきなり俺もそんなこと言いたくなったのかよくわからん。やたらと濃い珈琲ゼリーの味が、舌に残っている。美里がすげえ早口で俺の耳にささやいた。

「私たちが白鳥のみずうみに来たおばかなあひるだって、沢口は言いたかったみたいよね。ああいうタイプの人ばっかしなんだから、白鳥に見えるように演技しなさいってことかな」

「別に演技しろとは言ってねえけどな」

 俺の語彙からなかなかぴったりくるものが見つからない。水を飲み干した。ほとんどなくなっていた。ああ、立村に頼んで二人分汲んでもらえばよかった。

「けどな、さっき立村にしてたお前の突っ込み」

「突っ込みってなによ」

「ほら、親がいるとかいないとか、あいつ聞かれたくねえことをさらりと流してただろ。大抵の奴ならさ、絶対言われた段階でぶん殴られるぞ」

「他の男子だったらね。私だってそのくらい、わかってるわよ」

「じゃあなぜ、立村の親についてあそこまで突っ込んだんだ?」

「ただ、知りたかっただけ。悪い? 立村くんはぜんぜん怒らなかった。それだけよ」

 あっさり美里は答えた。

「ただ美里。向こうにだってな、」

 立村がコップを持って戻ってくる前に、俺は強く、駄目押ししておいた。

「知られたくないことだってあるだろ。それ、考えろよ、ばーか」


 むっとした表情の美里は放置しておき、戻ってきた立村に俺はいくつか質問を投げかけることにした。こいつがほんとの白鳥なのか俺たちがあひるなのかよくわからんが、とりあえず立村という奴には興味大有りだったからだ。美里が何か俺に文句を言いたそうにしていたが当然無視だ。遮って浴びせ掛けた。

「立村、入試、何点くらい取った? 俺は算数と理科、すげえ簡単でほとんどパーフェクトだったんだけどな、国語がえれえ難しかったなあ。あんな漢字普通使わねえよな。『鳳凰』とかさ『潅仏会』とかな」

「反対だったな。国語はある程度点数稼いだけど、算数は……ほとんど白紙だった」

 んなわけないだろう。受かってるわけないじゃねえか。ふむふむとうなづくと、また美里が割り込もうとしやがった。

「私も国語得意よ!満点だもん」

「自己採点でだろ。当たってねえぞそんなのは」

「うるさいわね、あんただって数学と理科、満点取ったって自慢してたじゃない!」

 どっちがうるさいんだか。俺は美里を適当にあしらいながら、次の質問を考えた。

 そうだ、面接だ。青大附中入試では第一日目に学科試験が、二日目に面接が行われたんだった。一人十分程度で、「君の好きな食べ物はなんですか」「あなたの好きな動物はどんなもので、どうして好きなんですか」といった質問を投げかけられる。で、その十分間好きなことを受験生は喋る。とにかく言いたいことなんでも喋りつづける。美里と母ちゃんズの情報もあって、それなりに俺も対策を練ってはいたんだが、やってみたら見事にアドリブの嵐だった。そんな堅い雰囲気じゃなかったし、難しいことなんて全く聞かれなかったし。

 ちなみに受験生ひとりひとり、聞かれる内容は違っていたらしい。。美里の場合だと『好きな洋服の好みと選び方』だったそうだ。きっと履歴書の「好きなこと、関心のあること」の欄に「おしゃれをすること」と書いたんだろな。俺も「すべての運動においてぶっちぎりの勝利を収めること」と堂々と黒いマジックペンで書いてやったから人のことは言えない。美里は思う存分、自分のおしゃれ哲学「フレアスカートとトレーナーのコーディネイトについて、自分なりのこだわり」を思う存分しゃべってきたんだそうだ。さて、立村、こいつはどんなことを聞かれたんだろう。

「好きな本はなんですか、感想を自分で説明してください。だった」

 ──そんなの聞かれたらマンガしかねえだろが。

 よかった、俺はそんなネタじゃあなかった。もしそんなネタ振られたら今ごろ俺はここで飯食っちゃいねえ。美里も隙あらば、とばかりに俺の顔を覗き込み、

「そんなの、聞かれなかったよね、貴史」

 立村に向かい、ちらと視線を流す。見え透いてるなあ。俺は美里の色ぼけした眼を覚ましてやらねばと一案練った。

「どうせお前は洋服のことばっかりしゃべってたんだろ、耳にたこできるほど聞いたからもうしゃべるなよ」

「うるさいわね、貴史こそ何よ」

「俺は小学校の思い出についてしゃべれって言われたぜ」

「それは知ってるけど、あんた面接の内容ちっとも教えてくれなかったじゃない! 何話したのよ、修学旅行の枕投げやって徹夜で正座させられそうになったこと? それとも運動会の徒競走で六年連続一位だったこと?」

 意外にも立村が笑みを浮かべて乗ってきた。

「俺も聞きたいな」

 ほほう、聞きたいか。それなら教えて進ぜよう。俺は背を伸ばし、人差し指をついと立て、ゆっくりと言い放った。

「四年生の時の、お泊り会脱走事件」

 美里の眼がいきなり釣りあがり、すげえ形相に変わった。

 口が半開きだ。両手をテーブルぶっこわしそうな勢いでたたきつけた。

 もう目の前に立村がいることなんて、見事に忘れているんじゃないだろか。

「貴史!あんた、まさかあの時のこと、しゃべったんじゃないでしょうね!」

 美里に絶対知られないようにしとかなくちゃまずいネタだった。

 だから今日まで、俺は口をつぐんできたんだった。

 まあいいさ、美里、いいかげん往生しろよ。立村の前でかわいこぶっても、なにやっても、結局お前は俺とのペアで六年間、戦ってきた仲なんだって認めたらどうなんだ?  


「本当のことをしゃべって合格したんだ。問題ないんじゃねえの」

「じゃあ、あのこと学校の先生みんな知ってるってわけ?」

「みんなじゃねえよ。俺を面接した先生だけ」

「そんなのすぐばれるに決まってるじゃない! 貴史の非常識!」

「ばれたらまずいのかよ。俺はぜんぜん間違ったことしてねえのにな。お前だってそうだろが」

「それはそうだけど!」

 俺は平然と言い返した。

 立村はというと、コップを持ったまますうっと見上げていた。

 美里もさらに噛み付こうとしたらしいが、立村の視線に何か感じるものがあったらしくゆっくりと腰掛けた。

「いい、もう。ばれたらばれたで。でも、責任とってよ」

 むすっとした顔で小さな声でつぶやいた。

「責任ってなんだよ責任って! まるであれじゃねえか、『お父さん、お宅のお嬢さんを』って奴か?」

 『嫁にください』、口に出そうになった。慌てて飲み込んだ。 思いっきり勘違いもいいとこだ。美里がさっさと言い返したおかげで、「嫁」なんて言葉は屁といっしょに腹の中に消えた。

「私たちがしたこと、当然のことだったんだって、ちゃんとここで説明してよね。私とか貴史と同じ立場だったら、誰だってそうしただろうってわかるようにね!」

 想像していた言葉とは全く違っていた。

 ──お前を嫁にくれってか、責任取って。

 言わなくて、よかった。本当によかった。 

 しゃれにならないことに、なるとこだった。


「あの、いいかな」

 立村が遠慮がちに、コップをテーブルに置いた。

「脱走って、どこからどこに脱走した? 学校から外に出たってだけか」

 ちらちらと美里の方に視線を送りながら、かすかな声でささやいてきた。

「うちの小学校一階に図書館があるんだ。体育館でみな、布団をしいて『お泊り会』をやったんだけどな。男女混合で。そん時いろいろあって、まあ、俺と美里が図書館に閉じ込められたんだ」

「誰に」

「担任に」

「信じられないことするよな」

 美里の顔、真っ赤になってやがる。かまわず俺は続けた。

「たいした理由じゃねえよ。クラスの男子と女子が四年生の時、妙に対立しててさ。体育館のマットレスを布団代わりにして、男子の場所、女子の場所って分けたんだ。黄色いビニールテープでまっすぐ仕切って『ここから先は女子、ここから中は男子』ってわかりやすくしたんだ。一歩でも入ったら半殺し、ってルールにしたってわけ」

「ずいぶん細かいことやってるんだな」  

 不思議そうな顔で立村は答えた。

「そいでだ、夜になって全員寝る準備するだろ。たまたま、黄色いビニールテープを俺が踏みそうになっちまったのがきっかけでな、女子連中にすげえ責めらちまってさ。こええぞ女子。ビニールテープを挟んで、とにかくわめくわめく」

「わかるな、その雰囲気」

 その女子の中に美里はいないことを付け加えようと思ったがやめておいた。 

 話が進めば違うってわかるだろう、。

「『男子って不潔! ここから入らないでよ!』とかわめき出したんだよ。たまたまそん時担任がいなかったってのものもあって、バトル状態だったってわけだ。たしかそんな感じだったよな、美里」  

 視界の隅で怒り狂わんばかりの形相でいる美里に、あとで足蹴りされるのは覚悟の上だ。

「立村、品山小ではそういうことなかったのかよ、お泊り会とかは」

「あったとしても無視していたと思う。あまり俺はクラスの行事に関知していなかったから」

「かんち?」

「関わらなかったってこと。その後、どうして図書館に閉じ込められることになったのかな」  

 先を聞きたがる立村、せかせるでもなく、でも関心はあるって顔をしていた。俺が答える前に美里が割り込んだ。

「貴史が悪いのよ。だって、あの時いきなり私を名指しで呼びつけるんだから。私は面倒なことに関わりたくないから、ずっと無視してたのに」

「まともに話が通じるのって、お前しかいなかったんだから、しゃあないだろ。美里だったらあの意味不明な女子集団を黙らせられるだろうと思ったんだ」  

 はあ、と美里はため息をついた。わざとらしいぞ。

「結局、貴史が騒ぎ起こしたそのとばっちりが私に回ってきたってわけよ。立村くん、たとえばけんかしている奴がいたとするじゃない。そうしたら中に入って『まあまあ』って言うよね。私がしようとしたのはそういうことなの。想像つくよね」

「そういうことを『仲裁』って言うんだぞ美里」

「うるさいわね、わかってるわよ。とにかく、貴史たち男子は、ビニール線の中に入ろうなんてしなかったって言い張るし、女子たちはそれぞれ、貴史たちが踏み込んだとこ見たって証言し、意見まっぷたつ。そうしたらね、貴史がね、私を呼んで『美里、お前見てただろ、俺たちなーんも、入ろうなんてしてなかったもんな』って言い張るんだから」

「清坂さんはその時、どうしていた?」  

 立村は美里の方に身体を向けた。質問を続けていった。頭の中で話のつじつまを合わせたさそうな面していた。

「私? 例のビニール線の近くにしいたマットレスに座って、ぼーっとけんかしてるところ見てた。貴史と関わるとしゃれにならないことになるってわかっていたから。それに」

 美里はいきなり俺を真正面から見据えて言い放った。

「今だから言えるけど、貴史、あんたさ、思いっきりビニールテープから足、はみ出してたよ。私見てたんだから。あれ見てて、『俺は踏んじゃいねえよ』なんて、よく白々しく言えたよね、心臓に毛、何千本生えてるのよ!」

「あ、はみ出てた、か?」

 とぼけてみた。俺も正直なこと言うと、その辺も確信犯だった。

「思いっきり! 言い合いになる前にさ、本当のこと認めて、女子たちに謝っておけばよかったのに! あんたの尻拭いをなんで私がやらされなくちゃいけないのよ」

「俺の目では、ちょこっと踏んだだけだと」

「大うそつき! あんた、思いっきり女子の陣地に入り込もうとしてたよね。何をしたかったわけ? 私だって気付いていたんだから、別の女子はばればれだったはずよ。嘘ついてまでなにやりたがってたのよ、ったく、もう」  

  立村は美里がわめく様を、ものめずらしそうに眺めていた。ゆっくりと。

「喧嘩両成敗で、二人、図書館に閉じ込めたのか、担任が」

「その通り。話が早い」

 ビニールテープの境界問題説明は美里に取って代わられた。事実を捻じ曲げないことを祈りながら俺は立村と美里を交互に眺めた。一対一、なかなかいいムードだぜ。

「早い話、担任に私たち二人は思いっきり嫌われていたの。いっつも私たちが文句言ってたから、また首謀者はお前達だって決めつけたんだと思うんだ。ほんとはぜんぜん私関係してなかったのにね。たまたまちょっと手を出しちゃったせいで、『羽飛、清坂、現行犯だ、牢屋に入れ!』って怒鳴られて、ふたり襟首つかまれて図書館に投げ込まれたってわけ」

「図書館か。広いところに閉じ込められたのかな」

「広くないよ。畳三枚分の広さ。図書館を改造している時期でね、一時的に本棚を移動させたちっちゃな部屋だったの。ほんっと、めちゃくちゃ狭いの。うなぎの寝床ってあんな感じなのかなあ。南京錠かけられて、電気だけつけてもらって、『しばらく反省してろ』とか言うのよ! 最低でしょ!」

「とんでもない先生だな」

「戸を蹴りつけたり、体当たりしたりしていたよね、貴史」

「今の俺だったら壊すことできるけどなあ。やっぱり俺も四年生の時はさすがにできなかったよなあ」

「途方にくれていたんだけどね、よおく見たら窓だけ開けられるの! 引き戸だったから、中からぐいっと開くの。一階だからそんなに地面まで距離ないし、安心して猫の気持で飛び降りれば十分だったの」  

  美里は俺に相槌を打てと言いたげにじろっとにらむ。上目遣いだ。

「窓が空いているのに気付いたのは俺だからな。それだけは忘れるなよ、恩知らず」

「うるさいわね。とにかく、その窓から脱走して、自転車でふたり、いろんなとこ真夜中の探検をして遊んだの。はたして本当に夜中のお寺の境内にお化けはいるのかとか、こういう時でないと、できないじゃない。一通りやりたいことやって、疲れきって鍵のかかった図書館にもどって、床に転がって寝ちゃった。気が付いたら、入り口の南京錠が開いていてびっくりしたよね。担任、あけてくれたみたい」

「あれな、絶対、沢口の奴、気付いていたよ。気付かないうちに私たちが脱走しちゃたから、惨めで何にも言いたくなかったんだろうね」

 立村は黙ったまま聞いていた。ゆっくり表情がほどけていった。

 美里の言葉に酔っちまったようだ。

「夜中、外に抜け出して過去の人と出会うって本を読んだことあるんだ。いつかそういうことできればいいなとは思っていたけどさ、本当に出来たんだな、うらやましい」

「今だってやろうと思ったらできるよ。今度やるときは、立村くん、絶対誘ってあげるね」

「おい、美里、しゃれにならない発言気をつけろっての」

 俺の親らしい態度も無視しやがった。美里はすっかり舞い上がっちまった。立村に向かい、テンション高く言い放った。

「青大附中では宿泊研修とか、合宿とかたくさん行事あるんだよね。だから、機会を見てまた脱走やりたいよね。一緒に計画立ててやろうよ、ね、立村くん!」

 立村を巻き込む形でさらに広がっていく。まことにもって恐ろしい女子だ。美里って奴は。


 もっと立村から根掘り葉掘り聞かれるのではと思っていた。俺もあたりさわりのない答えを用意し、それなりに取りつくろうつもりでいた。ずいぶんわくわくしながら立村も美里の話に耳を傾けている。ただ美里もやっぱし初対面の男子相手に、具体的になにやらかしたかまでは説明しようとしなかった。立村が聞かなかったってのもあったしな。

 なんやかやしゃべくっているうちに、立村は手首を少し上げるようなしぐさをして、

「そろそろ、帰らないとまずいな」  

  腕時計に目を走らせた。なんか俺たちに「わかってくれよ」って言いたげな顔をして見せた。俺も釣られて時計を覗きこんだ。「14:10」と蛍光緑が訴えている。

 美里が口を尖らせた。

「まだ二時過ぎたばかりよ。何か用事あるの?」

「夜の六時くらいから親戚の人がうちに来る予定なんだ。早く戻れって言われている」

「入学祝い持ってきてくれるんでしょ。いいなあ、お金持ち」

「そんなわけじゃないよ」  

 俺も美里もせっかくもらった入学祝を、全部母ちゃんズに吸い取られるってことを俺は知っている。それで美里は、せっかく新しい洋服を買ってもらうつもりだったのがはずされて、すねてるってことも知ってるぞ。

 ごねるのはあきらめたらしい。美里はまた笑顔をくりっとこしらえた。

「どうせ明日も、授業、早く終わるよね。また明日、立村くんの話、聞かせてよ」  

  立村が息を呑んだ。俺もびっくりだ。

「美里、おまえさ、女子との付き合い、あるだろが」

「なに言ってるの。女子が男子としゃべっちゃいけないわけ?」

「悪いとは言わねえけどさ」

 ──なんでおまえ立村にくっつきたがるんだよ。  

 胸につっかえるもんがある。情けねえ。美里はもう言いたい放題だ。勝手にしろ。

「せっかく同じクラスなんだから男女関係なく仲良く遊びたいもんね。貴史だってそうじゃないの? 私、立村くんみたいな人、小学校であまりしゃべったことないもん。もっとしゃべろうよね、ね?」

 いつもだったら俺も頷いて、「まあそうだな、俺もお前みたいな奴、見たことねえし、美里の言う通りかもなあ。ま、よろしくな」くらい言って、肩を組んで記念撮影くらいするだろう。けど、どうもそういう風に身体が動かない。春休み中で身体がなまったのか?

「とにかく、さっさと行くぜ、ほら、早くしろよ」

 美里の目を見ず、俺は立村に眼で合図した。一年D組の教室内で、哀れにもこれから美里にひっつかれる運命となった立村に、ひそかに合掌した。  


 方向音痴が判明した立村を無視し、俺が先導して無事、自転車置き場に到着した。

 立村はかばんをさくっと開けて、すぐに鍵らしきものを取り出した。

「今日は、ありがとう」

 礼儀正しく、俺と美里に笑顔を見せた。初対面の時とは違い、だいぶ普通の人間らしい面になってきている。少し美里の方へ身体を斜めにし、

「脱走の続き、今度、もっと教えてほしいな」

 相当、気に入ったらしい。変な奴だ。

「うん、いいよ。こんな話でよかったら、もう山ほどあるもんね!」

 美里の答えを聞いてるかどうかわからんが、立村はすぐに目をそらした。次は俺に身体を向けた。俺の自慢の愛車をじいっと見つめた。

「スピード、結構出るだろ」

「そりゃあ、使い込んでるもんな。一度、スピード勝負してみるか」

「やってみたいな」

 さらりと言葉を返した後、もう一度立村は頭を軽く下げた。自分の自転車を押し込んでいる方へ向かい、

「また明日、よろしく」

 小さい声で挨拶した後、背を向けた。けっ、どうせだったら校門まで一緒に行こうと言えばいいのにだ。ものすごい勢いで自転車をひっぱりだし、またがったと思うや否や校門目指して全速力で突っ走っていきやがった。


「相当、急いでるんだね」

「品山ったら、遠いもんなあ」

 俺と美里はふたり、自転車を引っ張り出すのも忘れて、ぼけっと見送っていた。  

 

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