四
入学式入場前、廊下に二列で並ばされた俺たちは背の順に並べ替えられた。
どちらかいうと、男子よりも女子の方がでっかい奴が多かった。横ではない、縦だ。
「おい、お前、前に行け。うーんお前らふたりはなあ……」
菱本先生は俺と立村の頭を交互に撫でまわしながら、
「とりあえずお前、前に来い」
俺を立村の前に押し込んだ。席と同じ順番だ。後ろからだいたい四番目。少々納得いきがたいものもあるのだが、そこんところは飲み込んだ。立村は髪の毛がそれなりに生えててふくらんでいるが、俺はかりかりのスポーツ刈りでごまかしがきかない。そのあたりしか理由が見つからん。まあいい、逆転の機会はあるだろ。
美里より俺の背が高いのは当然だ。男女の列で並びあうわけがないとは思っていた。あいつどの辺か、と女子列を目で追うと、前から五番目くらいのとこに突っ立ってた。俺が思っていたよりも、あいつはちびだったんだな。
さて俺の隣にきた女子と目が合った。ブレザーのボタンが腹のところでぴちっとくっついていた。他の奴らを見る限り制服がぴったり身体に合っているなんてめったにいなかったのだが、その女子だけは違った。みるからに、ぱんぱんだ。
向こうからにこっと笑ってきたので、俺も一言、
「よろしく」
と渋く決めてみた。やはり第一印象は、大切だよな。するといきなり
「清坂さんと同じ小学校なんだよね」
いきなり話し掛けてきた。美里の苗字をすでに覚えているってのがすごい。まだ前の列が動いていないので、俺もつきあってしゃべった。
「あいつと俺だけなんだ、うちの小学校から受かった奴」
「そうなんだ、でもいいなあ、仲がよさそう。羽飛くんだっけ?」
なんと俺の苗字も覚えている。
「そんなに俺、インパクト強かったか?」
「そりゃあもう」
大福餅に目の部分だけへこませたような顔で、隣の女子は笑った。
「だって、男子と女子、いきなり仲良くおしゃべりしていたのって、羽飛くんと清坂さんくらいだよ。ああ、いいなって思っちゃった。楽しそうで」
「あいつと俺とが特別なだけなんだ。あ、言っとくが付き合ってるとかそういうんじゃねえぞ」
「うんうん、わかるわかる。私も男子の友だちたくさんいるから、よっくわかるよ。そうだよね。楽しいよね」
意外とこいつ、話が合う。一方的に名前を覚えられているのもなんなので、俺はその子の胸ポケットに縫い付けられている金色のネームプレートをちらと見た。「奈良岡」と黒く彫り込まれていた。
「羽飛くんが席に戻ってから、清坂さんと話をしてたんだよね。楽しそうな人ってきっと楽しい人だから、きっと友だちになれるかなって思って。美里ちゃんいい子だよね」
なんと、もう奈良岡は「美里ちゃん」と「ちゃん」付けで呼んでいる。
あんなに俺に張り付いていたくせに、離れるやいなや、あっさり女子友だち作って盛り上がるとは、なあんだ美里も心配する必要なかったじゃないか。
「ちゃん付けしているとこ、悪いけどな。美里の性格は見た目よりも過激だぞ」
列が少しずつ動き出した。階段のところでまた止まった。
女子としゃべっている美里の方を見ながら歩いた。
「つきあうとかつきあわないとか、そういうの関係ないんだって清坂さんも言ってたよ」
「気の合う奴としゃべるだけなんだから、男子でも女子でも関係ないだろ」
「うんうん、そうだよね、わかるわかる」
ほっぺた大福餅女子・奈良岡は次に、俺の後ろへ視線を移した。おそらく立村だろう。少し遠慮がちに尋ねている。俺もつられるような感じで振り返った。やはりあいつ、うつむき加減のまんまだ。さすがに手元には本がない。文章読めないからごまかせないで困っているようだ。
「品山小学校なんだって」
立村は頷いた。なにか口篭もるように、無理やり笑おうと頬をひきつらせていた。もろわかる、「つくり笑い」だ。
「一緒に受けた人、他にいなかったの」
奈良岡も俺に対してするのとは違って、かなり戸惑っているようすだった。
低い声で、目を足元に向けるようにして、ようやく立村は答えた。
「受験したのは俺だけ」
「そうだったんだあ」
「三年ぶりにうちの学校から受験したんだ」
そうか、じゃあ友だちいないわな。俺は心でつっこんだ。奈良岡はまだしつこく粘っている。
「そうなんだ、小さい学校だったんだね」
「二クラスだけだった」
奈良岡がにっこり笑顔で話そうとするのに、立村は消えそうな声で苦しそうに答えていた。せっかく楽しくやろうぜと盛り上げようとしている奈良岡には悪いが、立村という奴、かなりのりが悪い。もうそろそろ解放してやったらどうかと俺は言おうとした。すると、
「おーい、もしもーし」
立村の後ろから一声かかった。どっかかっこつけたような言い方、聞き覚えがあった。立村が一瞬振り返った。奈良岡もひょいと視線を後ろにずらした。
「はいはーい」
「そ、こ、の。お嬢さん、新入生インタビューはぜひ、この俺にもお願いできませんかねえ」
「名前なんだったっけ、ええっとええっと」
「覚えてくれてなかったんですかあ、そりゃあ残念。それじゃあ言ってきかせやしょう!」
──なんだよあいつ。
そんなの聞く気にもなれなかった。階段を下りて体育館前廊下で入場を待ちながら、俺は立村へ話し掛けてみた。奈良岡はすでに立村後ろのきざな喋り野郎のインタビューに回っていた。立村みたいな奴には、それなりの話し掛けるコツってのがある。俺だってそのくらい、小学時代でマスターしてるんだ。女子にはそこんとこ、やっぱしわからないべな。
ゆっくりゆっくり前に進む。けどまだ動かない。体育館入り口はやたらと冷える。手をすりすりしながら俺たちは入場指示を待っていた。みんなそれぞれ隣、前、後ろと適当に話し掛けて友だちをこさえようとしている。俺もそうだ。背中にいる立村にあらためて声をかけた。まずはさっきと同じパターンで。やっぱし塾だろな、こいつも。
「お前さ、どっか塾行ってたっけか」
立村はきょとんとした顔でしばらく黙っていたが、俺の顔をちらっと見て、
「うちでひとりでやってたけど」
口先で素早く答えた。そうそうびびらなくてもいいじゃねえか。笑顔でもっと聞いてみる。
「俺と同じじゃねえか。俺も一度も講習会だとか塾だとか行ったことねえけどな。ほら、さっき他の奴がお前見て言ってたぞ。模擬試験を受けた時顔見たことあるってな」
「模擬試験、ああ、一度だけ」
またか細く答える立村。すぐに目をそらそうとする。無理に話をやめたそうにする。そうはさせねえ。これから付き合いは長くなるんだ。俺の腕が鳴る。
「で、今日は、親と来たわけ」
ずっと伏せ目だった立村が俺に向かって初めて正面から答えた。
「普通、そんなものかと思っていたけど」
二重まぶた、一重まぶたっぽく見えた。うまく言えねえけど、日本人系の顔ってとこだった。目だつわけじゃないんだが、礼儀正しく坊ちゃんっぽい雰囲気がする。俺とは別世界の奴だという気はするが、それでもまだしつこく話を持っていく。
「へえ、じゃあ、家族記念撮影なんてしてなかったってわけだ。えらい、えらい」
「そんなのしている人いたのかな」
「いたぞ、校門でピースしてる奴とかな。うちの父ちゃん母ちゃんそういうの大好きだし、俺は入学早々恥もかきたくねえし、じゃあってことで先に一人で到着ってわけだ」
「これから毎日通うんだから、そんな目だつことしたくないよな」
妙にふむふむ納得している。小さい声だが、俺と会話は成り立っている。
「まっとうな中学生だよなあ、お互いに! 立村って、言ったよな。」
俺は立村の肩に手を置き、大きく頷いた。ついでにもっかい名乗っておいた。たぶんこいつ、俺の名前覚えてねえだろう。
「俺は羽飛。はとばたかし。良く覚えておいてくれよな」
返事がなかった。戸惑っている様子だった。唇を振るわせるようにして何かを言おうとしているのはわかるんだが、視線をさまよわせておろおろするのはどうかと思うぞ。そうとうこいつ、人見知り激しそうだ。ようやくこくりと頷いた時、われらが担任、菱本守先生の声が遮った。
「さあ、入場行進だ。手と足を一緒に出したりするんじゃないぞ」
入場行進曲は、今年の選抜高校野球のと同じ曲だった。のりのりだ。思いっきり高校球児になった気分で俺は前に踏み出した。立村をはじめ他の連中もみな無言のまま、行進していた。
学校長、教育委員長、その他いろいろな関係の祝辞が続く。きっとあの人たちも生徒に祝辞を聞いてもらっていないことをわかっているだろな。棒読みだもん。「もっと俺の話を聞いてくれ!」っていうような、うちのクラス担任・菱本守ティーチャーのようなサービス精神に欠けてるぜ。俺は首筋がひりひりするシャツの衿をひっぱり、ネクタイを緩めた。一度結び目をやわらかくするとなんかもとにもどせない。しょうがないので思い切ってはずした。もう一度結び直そうとして結局単なる二重結びになってしまった。先っぽをいじりながら、俺は天井を見上げながら少し哲学した。
──立村みたいな奴、今まで会ったことねえな。
なんってんだろう。他の奴もそうだと思うけど、クラス替えなんかで知らない奴と喋ろうとする時、なんとなく「おっ、こいつは」って思う時がある。まだ一言も交わさないってのに、ちらと目が合っただけでちくちくいらいらする。
これがもし、女子相手だったら、「やべえ、また惚れちまったか、こいつに」だろう。
けど、立村に感じたのはそんな気色悪いもんじゃない。
たとえば野良猫の餌場で、いきなりイリオモテヤマネコを発見したような気分だった。
俺が話し掛けるまで、ほとんど……奈良岡を除く……の連中は立村に声をかけようとしなかった。俺もいつもだったら、「めずらしいやつもいるよな」と無視するだけだったろう。イリオモテヤマネコなんて、飼いたくもねえもんな。仮に立村が六年時の同級生だったら、即、浮いてたことは間違いない。
けど、なんか青大附中の校舎の中であいつの姿は、すとんとおさまっていた。
まかりまちがっても俺たちのいた小学校の中では無視対象だけど、あの教室、青大附中の学校内だから、どうしてもイリオモテヤマネコをなでなくちゃあ、そんな気持ちにさせられる。俺としゃべった時の口調だって、普通だったら「かっこつけるんじゃねえ、ばっかが」と張ったおすのが俺流だ。けど、なんかそういう気にはなれなかった。妙な話、他の奴とぜんぜん違う喋り方にもかかわらず、俺はこいつと話がしたくてならなかったんだ。
──こいつ、いっつもこんな喋り方してるのかなあ。信じられない奴だぜ。立村って、あの調子で小学時代すごしてきたんだろうか。めがね面の過保護お坊ちゃん・水口要もかなり変人だけどな、立村みたいななまっちろい奴がすげえ面白い奴に見えるのが、やっぱり変だ。
死ぬほど眠くなった以外、式には印象が何にも残らなかった。父母席の方ではなぜかいきなり泣き声が聞こえたが、それ以外はたいしたこともなく俺たちはそれぞれの教室へ戻った。少し間があって、今度は父母連中がずらずらと教室の後ろ扉から入ってきた。もちろんうちの母ちゃんもいる。美里の母ちゃんもいる。殆どが女ってことだから、母親だろうな。男はふたりだけ。俺と美里の母ちゃんズは、きゃあきゃあ騒ぐこともなく、黙って菱本先生のお言葉を聞いていた。内容は俺たちにしゃべったこととほぼ変わらない、実に熱い内容だった。まあプリントの内容をそのまま、感情たっぷりに語っただけとも言える。さすがに「みなさまの大切なお子さまを」などと、敬語はまぶしてあった。やっぱ、大人だなあ。
一通り終わった後、「起立、礼」の一声で立ち上がり、一礼した。俺はプリントをかばんにつっこみながら流れで頭を下げた。
新皮の匂いは、なんとなく快感だった。癖になりそうだ。金具が硬くて開けずらかった。コツを覚えれば早いと姉ちゃんが言ってたけど、すげえ指が痛くなった。俺がかばんの金具と格闘している間に、美里は別の女子たち三人くらいとおしゃべりに興じていた。横目で見ると、さっきの奈良岡とあと、下ネタ突っ込みやってた髪の短い女子のふたりが混じっていた。俺にさっきピースしてきた女子だ。あっという間に友だち作るのは、美里の得意技だろう。あいつ、しゃべるからなあ。
ようやく外れた金具にもらったばかりのプリントを押し込んだ。
それにしても、髪の毛、なんであいつ切ったんだろう。
あいつの見分け方ったら、後ろの髪をたらしたままの、前だけお下げ髪だったのにだ。
六年間、意地で伸ばしてきたはずだ。短くしろって母ちゃんに怒られても、逃げ回っていたって言ってたぞ。いやあ、その気持ちわかる。すげえおっかねえ顔になってるもん。似合わねえ。なんで切ったんだよ。
ま、確実なのは、廊下に出て娘、息子を待っている母ちゃんズが、お互いの子を誉めあってるってとこだろう。美里のうちとおんなじことを、俺がまたうちの母ちゃんにされるのはごめんだ。それにせっかくの入学式、まっすぐ親たちと帰って何が楽しいっていうんだ。いいか、入学式は親のためじゃない。入学した生徒のためにあるんだろ? 頼むから割り込むなって俺は切に訴えたい。
がっちりロックし直したかばんの柄を握り、俺は後ろの立村に声をかけた。もうあっさりと片付け終わったようだ。他の連中がそれぞれの母ちゃんに取り巻かれている中、立村だけひとり静かに帰り支度をしている。
「立村、お前の父さん母さん、来てねえの」
「来ないって言ってたから来ないと思う」
また目をそらして、机を見つめている。ちらと視線を上げ、俺を見てまた逸らす。どうしてもう少し目を見られないのか、俺には謎だがつっこむのはまた後でいい。
「俺のとこもなあ。一応いるんだけどな。邪魔じゃねえか。さっさと帰れって言いたいよな」
「一緒に帰るのか」
「全く、うるさいったらねえよ」
うざったい親が付録でくっついてきてない立村が、この時はうらやましくてならなかった。
俺が肩をすくめて「お手上げ」ポーズをしてみせると、立村は少しだけ口元をほころばせた。
「気持はわかる。俺の親が来ていたら、いったい何言われたか、わからない」
「たとえば」
「式の態度がなってないとか、服の着方がおかしいとか」
「そんなことでかよ、うっそだあ、くだらねえ」
「うちはそういう親なんだ」
どうやら人間の目を見ることに尋常ならざる抵抗を持っているようだ。立村は言いながら時計に目を落とし、ほっとした風にため息をついた。腕時計はアナログ式だった。俺も釣られて、腕の時計を覗き込んでみた。制服を買った店で特典として付いて来た、ちびっこいデジタル時計だった。
「昼ご飯、どうしようかな」
「もうそんな時間かよ」
「あと五分で十二時だ」
昼ご飯のことなど、俺の頭にはぜんぜんない。もちろん、家に帰ってから食うものに決まってる。けど「どうしようかな」ってことはこいつ、家で食べる気ないんだろうか。立村は自分のかばんをかちりと開けて、『青潟大学附属中学パンフレット』を取り出した。初対面から毎度おなじみのポーズ「文章に目を落としたまま周囲を無視」だ。後ろのページからめくって、『校舎説明』の地図をじいっと見つめている。やたらと首をひねっている。なんか言い足そうなんだが、言葉が見つからないと見た。俺の苗字でまよった菱本ティーチャーと同じだぜ。こっちから救いの手を差し伸べてやった。
「何探してる?」
立村は視線をそのまま、地図に集中させたまま答えた。
「大学の学生食堂」
「そこで食ってくつもりかよ、ひえー」
「俺の家、遠いからさ。三百円以内の献立だったら、たぶん大丈夫だと思う」
三百円以内ったって、かなり高いぞそれは。俺の小遣いをかなり侵食する額だと思うんだが、立村という奴、やっぱり俺には理解できん。しゃあないので奴の広げているパンフレットを覗き込んだ。校舎分布図の、『学生食堂』と書かれている部分を見つけ、指差してやった。
「なんだ、すぐ近くじゃねえか。立村、お前一人で行くのか」
「一人じゃなくてもいいけど」
目をそらしたまま返事した。ってことは、俺もくっついてっていいってわけか。ふむふむ。
それならお誘いをかけてみるか。俺流で。
「じゃあ俺が付き合ってやっか」
かちっと音がしそうな視線で立村が見返した。一歩退きそうになった。けどあいつはすぐに元の顔に戻してこっくり頷いた。
「ふたりだったら、たぶん迷わないですむかな」
「俺も親と帰らなくてすむしなあ。うちの父ちゃん母ちゃんと食ったっておもしくねえもんな。じゃあいっかいっか」
俺が気合入れて握りこぶしをこしらえ、「おーっ!」と天高く突き立てようとした時だった。
「貴史、帰るでしょ」
余計な奴が割り込んできた。こういう時腐れ縁の幼馴染女子ってのはじゃまっけだ。いや別に、美里だったら一緒に食いに連れてってもいいんだが、あいつにはすでにもう、女子の仲良し連中がまとわりついてるだろう。美里だけならまだしも、そいつらといきなり仲良しこよしはしたくない。男は男同士の付き合いだってあるんだし。
「ああ、学生食堂、寄っていくんだ」
「いいなあ、私も行きたい」
「女子同士で行けばいいだろ。さっきしゃべってたじゃねえか」
「だって、あの子たちみんなお母さんたちと帰っちゃうんだもの。貴史と一緒だったら、うちの親と一緒に帰らなくても大丈夫だと思うもん、ね、一緒に行こうよ」
ははあ、たぶん俺と美里の母ちゃんズ、青春時代に戻ってぴーちくぱーちくやりたいんだな。よっくわかる。美里もその辺は計算ずみとみた。まあ、美里が混じる分には俺はいいんだが、問題は連れだな。な、立村、どう出るか?
「まあね。いいでしょ、ね」
美里は立村に初めて気付いたような顔して、ちらっと視線を向けた。
はっきり言おう。美里、お前演技してるだろ。下手だぞ。
「あの、あれ、ええと」
。口篭もるのも最初のうちだけ、すぐにかわいこぶった声を作って立村に話し掛けてるじゃねえか。俺の鋭い眼をばかにしちゃあいけない。これはある種のサインだ。美里というよりも、立村の身の安全を考えて俺は観察を続けた。
「どこの小学校から来たの」
人見知りしない美里にしては、珍しいことだった。いつもだったら俺の肩にいきなり腕をまわして、指差しながら、
「私、清坂美里! こいつとは腐れ縁なの、よろしくね!」
そのくらい自己アピールするに決まってる。こいつは男子女子関係なく、俺たちとの腐れ縁関係をぺらぺらしゃべる奴なんだ。なのに、なんでだろう。立村に対しての態度、妙に「女子女子」している。
思った通り立村は思いっきり退いている。俺に「なんとかしてくれ」視線を送りながらも、必死に一言一言発している。哀れだな。たぶん美里のような爆弾女が混じってくるとは考えてなかったんだろう。ご愁傷様って奴だ。
「品山、の方だけど」
「そうなんだ、遠いんだ」
また言葉が途切れた。美里も立村の口調に、一種の「イリオモテヤマネコ」っぽい天然記念物の雰囲気を感じたに違いない。俺たち三人を巡って、残りの連中から視線がびしばし飛んでいる。俺のことを美里がしつこく「貴史、貴史」と呼び捨てにしてたのが、たぶん目だったからだろうな。まあいっさ。一週間も経ったらすぐに他の連中、慣れるだろ。
青潟のエリート中学・青潟大学附属中学校一年D組の教室。
美里はぜんぜん変わっちゃあいない。
髪の毛はばっつり切っただけ。何にも、変わっていないんだ。
「あ、こいつさあ、俺と同じ小学校でさ、きよさか……」
「清潔の清いに坂道の坂。あの、確か、立村、くんでしょ」
美里は俺の言葉を遮り苗字を説明した後、いきなり立村の苗字を呼んだ。
よく覚えてたよな、こいつ。かなりびっくりだ。しかも目つきがかなりやばい。
立村の目をじいっと見つめ、いかにも「目で殺す」って顔しやがった。その顔のまんま、むりやり笑顔を搾り出そうとしてるんだから笑える。殺されたかどうかわからんが、立村は答えている。えらいぞ、がんばれ。
「名前、なんで、すぐ覚えたの」
苦しそうだ。美里から目をそらせながら、それでも口調は変えず、聞き返していた。
美里はまた顔を変に引きつらせながら笑顔をこしらえ、大きく頷いた。
「だって、さっきから貴史とばっかり話していたでしょ。いやでも目立つよ」
──本当のこと言ってしまえよ。美里。立村の名前が珍しかったからだろ。
つっこんでやろうかと思った。けど出来なかった。もやもやじとじとするもんが、腹の中でうねっている。立村の言葉はとにかくゆっくりだ。
「羽飛……とは、結構仲良かったの」
「貴史とつるんで遊ぶのは面白いもん。腐れ縁って感じ」
「どのくらい」
「幼稚園前からだから、十年くらいかな、だよね、貴史」
だから俺に振るなって。
立村は、指で数えてみた後、俺をちらっと見て、美里から顔を逸らしてつぶやいた。
「長いよな、ここでもいっしょなんだ」
「なんだかよくわかんないけどね、けど立村くんってば、すっかり誤解してるでしょ。違うってば。またこれからみんなに、説明してあるかなくちゃいけないなんて、もううんざり。ねえ、貴史」
息をつぐ様子がせわしない。
あのな、美里。相手が何にも言ってないのに、勝手に想像して先回りするのはすっげえ失礼だと思うんだがどうだろうか。そのくせ俺に同意を求めるってのも、なんか違うんじゃねえか。要するに俺とお前とは、周りが誤解したがるようないちゃいちゃした仲じゃなくて、がっちり腕を組んでガッツポーズ組むような仲間だってこと、言えばいいんだろうが。
──美里って、立村みたいな奴が好みだったっけ。
かつて美里が熱を上げていた野郎の顔は大体覚えていた。あいつなりにやっぱり「女子」っぽい恥じらいもあるみたいで、隠そうとはしている。だがやっぱりあいつに演技はむかねえ。俺の千里眼で一発、「誰にお熱」かがばれてしまう。しかもその相手ってのが、らしくもないというか、優等生っぽい感じの男子が多かった。まったく、美里が抱きついたら全身骨が折れてしまいそうな軟弱野郎ばっかりというのはどういうことなんだ? 当然、全く実る気配もなくみんな終わっていたはずだ。
せっかく見えるものを、何にも言わずに終わらせるのもしゃくなので、
「お前、あいつのこと好きだろ」
真実を突いてやる。
「何言ってるのよあんた、ばっかみたい! ふざけないでよ!」
その時は必死に否定する。まあいつものことだから俺は「ふーん」の一言で終わらせとく。
その後一週間くらいしてから、ころあいよしとばかりにもっかい確認すると、
「なに言ってるの、私そういう趣味じゃない。あんな優等生のどこがいいってのよ」
一週間前のパニックぶりとは大違い。冷静に答えが返ってくる。
俺がが突っ込みを入れたとたん、熱が冷めるらしい。俺は冷蔵庫か。
男子たちも美里のことを仲間だとは思っていても、「付き合い相手」としてチェックした奴は、全くいなかった。俺が断言する。絶対いない。もし告白してたとしても、すぐに振られてるだろうな。哀れな奴よ。誰にも、女だなんて、思われてなかったんだ。もちろん俺だって。
お下げ髪を振り回して、はしゃぎ、笑い、泣き、叫んでいた美里。
女子らしさというものがあったとすれば、前髪だけ編みこんだお下げ髪だけだ。
よくひっぱって遊んだ。当然次の瞬間ぶん殴られたが、それはしょうがない。
けどあいつの「女子っぽさ」をかもし出していたものが、今はない。ずっと野郎仲間っぽく「よっしゃー!」と気合を入れてしゃべったっていいはずだった。
なのに、今、立村を相手にして、懸命にこっちを見てもらおうとしている美里の顔は、お下げ髪がなくても女子っぽさがぷんぷんにおっている。
俺に話し掛ける時、あんな頬を赤らめてしゃべったりしたことなんて、一度もないぞ。
さあ立村、こういうタイプの女子、好みなのか?
とうとう立村は陥落した。美里のおしゃべりに押し倒されたんだな。
「それなら清坂さんも、一緒に」
来るか?とまでは口にしなかったが、かなりぎりぎりのせりふを引き出した。何度か下を向いたり、ふらふら視線をさまよわせていたりしたけれど、いやでならなかったわけではなかったようだ。
「いいの? ほんと? ええ? 私女子なのに?」
何勘違いしてるんだこいつ。ひとりではしゃぐな。うるせえぞ。反射的に美里の頭を軽くはたいてやった。恐るべし、仕返ししてこねえときた。猫かぶりもここまできたら本物だな。しょうがない、言葉で責めてやる。
「お前が女子だなんてだあれも思ってねえよ、ばっかが」
聞こえるか聞こえないかの声で俺はささやいた。しっかし聞いちゃあいない。
「私、母さんに言ってくる」
俺のことは見事に無視して、美里は机にぶつかりながら廊下へと駆け出していった。斜めになった机の位置、直せよな。
「かなり驚いていたなあ、立村。ああいう女子、品山になんていなかっただろ」
俺はは疲れ気味の立村にねぎらいの言葉をかけた。
「あまり、女子と話したことなかったから」
「あいつを俺、女子だと思ってねえよ。一番、話が通じる奴なんだがな。何いかれちまってるんだか。まあ、あいつが男子だったらめんどくせくねえんだけどなあ」
「親友か?」
「ん、まあ、そんなとこ」
「一緒のクラスだというのは、いいよな」
立村は窓の方を見たまま、ぽつっと呟いた。気が付いたんで、聞いた。
「品山から、お前の知り合い、誰も来てねえんだよな」
「いない」
あっさりと答えた。立村はふっと息をつき、また顔をうつむけたままで、
「かえってすっきりするかな」
「すっきりかよ」
なんか口の利き方がすげえ冷たく聞こえた。ひっかかる。
美里が行きと同じ猛スピードで戻ってきた。教室には誰もいなくなっていた。声が響いた。
「許可が下りたよ! さ、いっしょ学生食堂ね!」
「うちの親何て言ってたんだよ。」
「『美里ちゃんと一緒なら、ねえ』この一言で、片がついたわよ」
ふんぞり返って俺ににっと笑った。なあに威張ってるんだこいつ。
「優等生の私に感謝しな!」
「どこが優等生なんだか、お前、今日、絶対、変」
「変とは何よ変とは! ったく、貴史ひとりだったらすぐにおばさんが来て、無理やり連れてかれたわよ。私のおかげだってどうしてわかんないのよ、ばーか!」
ふたたび立村の顔がひきつってきた。
気付いたのは美里の方だった。いきなりかわいこぶった声に切り替えて、教室の扉を指差した。大人たちに見せつけるような、それこそ「優等生」の笑顔で立村に語りかけた。
「ね、行こうよ、早く!」