一
どうしても、青潟大学附属中学に行きたかったわけじゃなかった。
たまたま合格発表の日、「羽飛貴史」と合格者の欄に俺の名前が書き出されていたもんだからラッキーってことで入学手続きを親にやらせてしまった。美里の名前も俺の隣に並んでいたけど、そんなのただの腐れ縁だって。気にしちゃいなかった。
ということで、とうとう来ました、今日は晴れの入学式だ。
「青潟大学附属中学校・祝・入学」を果たした感想を、俺はは表向きこんな風にまとめておいた。
「入学式くらい、きちっとして行きなさいよ。ほら、貴史。なにやってるのあんた。ネクタイを蝶結びにするんじゃないって。最初の印象があとあとまで響くんだからね。ああいうエリートのお坊ちゃんお嬢ちゃんがいく学校なんだから。っと、待ちなさい!」
公立の入学式だったら、うちの母ちゃん、決して着ねえだろうな。
黒羽織に紋付の着物を母ちゃんはたんすから引っ張り出し、姉ちゃんに帯持たせてめかし込んでやがる。そんなの俺には関係ないね。無視した。さっさと玄関で靴履いた。父ちゃんが会社にはいていくみたいな黒い靴がたたきにならんでいた。やたら足が痛いんだよなあ。スニーカーでいい。俺はさっさといつものスニーカーで足元を決め、外へ飛び出した。
「なんで自転車なんて引っ張り出すの貴史! 最初くらい母さんと一緒に行くんでしょ! 車で行くんだからね。服が汚れるでしょ、ああ、あんた今度はなにやってるの、ほっぺたになんではみがきの白い泡つけてるの! 顔、洗ってきなさいよ!」
ペダルを踏む前に、一声かけた。
「かあちゃん、あまりけばい顔してくるなよ」
母ちゃんのしたくが完璧に整うまでお行儀よく待っていたら、入学式・初遅刻しちまうのは明らかだ。うちの母ちゃん、どう見てもおかめ顔なのに、なんでほっぺたに白いおしろいをたっぷりはたくんだ? 大福餅そのものでぷっくりふくれて見えるのになあ。男の視線は厳しいんだぞ。目鼻の感覚があいまいになっちまって、まず、見られたもんじゃない。正直なところ、俺だって男、美人と歩きたい。母ちゃんはパス。
俺はひとり、風を切り、漕ぎ進んだ。
「青潟大学附属中学校」略して「青大附属」これから俺が三年以上、うまくいけば十年くらいはお世話になるであろう学校のことを、ちょこっと考えた。
青潟市に唯一存在する共学私立中学校で、「附属」とあるように三・三・四年間の一貫教育をモットーとしている、いわゆる「エリート中学」だ。よっぽどのことがない限り、ストレートで高校、大学に進学することができると俺は親たちから聞かされた。どうだっていいんで今年の入試競争倍率なんて見ちゃいなかったけど、母ちゃんたちが騒いでたので耳には入っている。五倍だったんだそうだ。五人いたら四人は落っこちてるって寸法だな。
青潟の小学六年で、少しばかり頭の回転がよさそうだとか、「優等生」だとか、そういう奴なら必ず一度は考える「青大附中」の入試。なんで俺は受けちまったのか、よくわからねえ。いやいや、受かったこと自体、どう考えたって、奇跡だよな。世の中には家庭教師、通信教育、塾もろもろの「受験産業」が存在するそうだが、俺はぜんぜんそんなものに近寄りゃしなかった。父ちゃん母ちゃん、なんで俺を受験させることにOK出したんだ? 実は一番の謎ってそれじゃあねえか?
まあ、あえて言えばだ。美里が入試前日、俺のうちに遊びに来て、
「あんた、本当に間に合うと思ってるの! 一応、試験の問題集、使わないのあるから、あげるよ」
ほざいて薄っぺらい国語の問題集置いてった。
「いまさらあせってどうするってんだよ、ばーか。美里の方こそ、しゃきっとしろっての、ほーら、深呼吸してさっさと帰れって」
要するに美里が落ち着きたかっただけだろ。そんなのお見通しだってな。
青大附属って、金持ちのエリート、天狗ばかりだって噂、聞いたけどな。
それとも性格のまがったガリ勉かよ?
最低でも美里程度に冗談通じる奴がいねかったら、俺、干からびちまうぞ。
独りでぶつぶつつぶやいてる俺って怪しすぎる。
真っ赤な三角屋根のうちが見えた。美里んちの前まで来た。一声掛けてやるか。ちょいと玄関に自転車を置いて覗いてみた。
「みさとー! 行くかー!」
毎朝美里を迎えにいく時と同じく、玄関の前で叫んでみた。
美里の部屋は二階だから、玄関に入らなくても、窓から聞こえるはずだ。
けど、誰も入ってこなかった。よく見ると、家うしろの車庫もシャッターが開けっ放しだった。たぶん美里の父さん、車でそのまんまあいつを学校に連れてったみたいだ。
美里の父さん母さん、相当舞い上がってると見える。
今日は泥棒入っても文句言えねえよな。しゃあないんで、俺は自転車から降りて、シャッターを下ろしておいた。鍵はかかってないが、まあいっかってとこだ。
美里が青大附中を受験することに決めたのは、六年の最初だって聞いている。うちの母ちゃんが言うには、それでも遅すぎるんだという。俺もあいつから聞いたのは夏休みが終わってからだった。
言っちゃなんだが、美里も俺とつるんでる奴だ。どう考えたって「優等生」面なんてしちゃあいない。小学校だから、学年順位なんて見たこともねえ。ただ俺んとこと美里の親とが二組で相談しあって、「ふたりともこれだと行けそうよ」とか言ってたのはちらと聞いていた。
合格発表の日、たまたま俺と美里の名前が張り出されているのを見つけた。
同じ小学校から受験した奴は結構いた。確か五人くらいだった。同じクラスの女子も一緒に受けていた。
俺が八十一番。美里が八十二番。
次の番号は一気に九つ飛んで、九十一番だった。
「受かってる!貴史、あたしと一緒に受かってるよ!」
さっきまでずっと「中学は義務教育だから、落ちたっていいよね!」なんてつらっとした顔してたくせにだ。美里の奴、俺の肩をすごい勢いで揺さぶりやがった。まだ三月半ばったら雪も膝くらいまで積もってるのにだ。思いっきり青大附中の校門とこでこけるとこだった。
「おい、落ち着けよ。俺が落ちるわけないだろ、ばーか」
「私は受かってるの! とにかく嬉しいの!」
肩にかじりついてきた。しゃあないから俺も美里が落ち着くまで足を踏ん張っていた。周りの小学六年連中はみな、父ちゃん母ちゃんと一緒に笑ったり泣いたりしてうるさいのにだ。同級生同士できたのはどうやら俺たちだけみたいだった。
俺は美里の頭を軽く小突いた。
「おまえ、死ぬ気になって、冬休みから勉強してたろ。塾なんか行ってな」
「だって、行けって言われたんだもん、しょうがないじゃない」
美里の声が少しくぐもってきた。別に責めてねえのに。悪いが俺は美里の「血と涙の努力」をたたえて抱きしめるような甘い男子じゃない。よっくその辺、奴だってわかってるはずだ。
「俺なんてぜんぜんやってないんだぜ。でも結果は、俺とお前、並んでるってこと。美里、俺の方が隠れた馬力を持っているって証明だよな。尊敬しろよ」
「ばっかみたい! 貴史だって受験日最後の一週間、私のあげた問題集、必死こいて解いていたくせに! 自慢しないでよ。もう、むかつく!」
「せっかくくれたものを無駄にはしねえよ。俺がやってるとこ見せねえと、お前だってヒス起こすからしかたなくそうやっただけだって。いいかげん気付けよ、ばーか」
美里はもっとつっこんでくると思っていた。
言い返さなかった。目を潤ませた。泣いた、ともいえない程度の光がちらついた。あの瞳の潤みは、どうみたって「涙」だろう。男子の俺だってそれはよっくわかる。
あのときだけは、変だった。
「これからも、ずっと一緒だね」
「しょうがねえだろ、ふたりとも受かっちまったんだから」
美里は俺を無理やり、はげた街路樹の幹に俺を押し付けた。いきなり喉もとに頭を押し付けてきやがった。わけわからんことを口走った。
「あんたと離れたら、私、本当のこと、誰にも言えないよ、貴史」
まだ美里は何か言っていた。けどひっくひっくしているあいつの声を、全部聞き取ることはできなかった。
今日まで、美里はめそめそしていた時のことなんぞ、とっくの昔に忘れたような顔で俺に話し掛けてきた。ことを忘れたかのように振舞っていた。
消しゴムのかすを投げつけあい、どつきあい、げらげら笑いあい。
ほんっとに、いつも通りだった。
幼稚園行く前からずっと一緒にしてきたことを続けてきた。
あいつは、ほんとに忘れてるのか。
忘れてるわけねえよ。な、美里。
もし本当に美里が忘れていたとしたら。
覚えてる俺って単なる馬鹿ってことになる。
俺とと清坂美里とのつながりは、幼稚園に入る前から始まっていた。いわゆる「幼なじみ」、もっと単純に言っちまうと「腐れ縁」、そんなもんだ。俺んとこと美里の母ちゃんがふたりとも、やっぱし腐れ縁の大親友同士だったんで、その血を引いたんだろうな。
PTA会議なんぞで母ちゃんズがいそいそとデートに行っちまった時は、暗黙の了解でどっちかの家に預けられていた。たいていふたりっきりで遊んでたな。
そんな付き合いだったから、「一番の仲良しは誰ですか」と誰かに聞かれた時、すぐに美里のを指差すのは、当然のことじゃあねえか? だって野郎連中の約百倍は一緒にいるんだぜ? まあ、最近はお互いの友だちづきあいもあるしそれほどひっついているとは思わんぞ。
けど、美里がやばいことに巻き込まれてるなとか、そんなことを感じ取れるのは俺しかいなかった。俺の明晰な頭脳をもって、ベストな方法を編み出し、「ほら、こうしろっての」命令してやったもんだった。すごいだろ。
そりゃ、世の中には勘違いする大馬鹿野郎もいる。
「女とばっかり遊んでいるなんてすけべったらしー!」なんぞと叫ぶ奴もいた。特に四年生あたりがひどかった。さすがに美里と三ヶ月くらい無視こきあったことも、ないわけじゃあない。「好き好きしてる!」とか言われて相合傘を黒板に書かれたことも数え切れない。あまりにもひどい時は、一発二発殴りつけてけりをつけ、母ちゃんが学校に呼ばれ、俺が家でスパルタンパンチを食らうという経験も、そりゃ泣けるほどある。、
──どうしてそうべったりしてるの? 羽飛と清坂って、男子と女子なのに。
クラスの連中が「好き」だとか、「恋してる」とかいう言葉で、俺と美里をくくろうとする時、俺はひたすらわめいていたような気がする。
そんなんじゃない、ただ、わかるだけなんだって。
美里も俺も、感じることが一緒なだけなんだって。
他に誰もいないだけなんだ。
──あんたと離れたら、私、本当のこと、誰にも言えないよ、貴史。
美里の口走った言葉と泣き顔で、今まで俺が見ないふりしてきたことを無理やり「ほら見ろ、見ろっての!」とか言いながら押し付けられそうな気がする。冗談じゃねえ。
馬鹿やっている時の二人のままで話せればいい。それだけじゃねえか。
言っとくけど、美里以外の女子で「すげえ可愛い!」と思った子は、小学校時代かなりいた。俺の好みはとにかく可愛い年下女子、アイドルで言えば現在十一歳子役アイドルとして大人気の鈴蘭優ちゃん! おとなしそうでいてしっかりもので、男心をどきどきさせてくれる女子ってのは、悪いがあの小学校にはいなかった。
そういうことを男子連中に言ってみろ、「アホかこいつ!」で終わるに決まってる。
男子同士、アイドルに熱上げるのは恥ずかしいことだという認識がなぜかある。いいじゃねえか。俺だって男だ、可愛いものは可愛い、どこが悪い!
その辺、「あんたってロリコンだよねえ」とあきれながらも、わざわざ女子向けアイドル雑誌の優ちゃん切り抜きを「ほら、誕生日プレゼント、感謝しな!」ぽいと渡してくれるような相手ってのが、美里だった。
グレイの細かいチェック柄ブレサー制服が青大附属中学の正式服装だ。学校に近づいてくるにつれ、おんなじ格好した男子女子が、親連れでてくてく歩いているのが見えた。俺のようにたったひとり、自転車を駆り立てている奴はいない。お坊ちゃまとお嬢ちゃまの集合体なんだろうな。頭に来るのは、みな男子連中、髪の毛伸ばしてる奴ばっかじゃないか!
親に無理やり「入学式くらいきちんとした印象持たせないとだめなんだよ!」とばかりに、無理やりバリカンで刈られた髪を、中学以降は絶対伸ばそうと決めた。
パーマかけるのはどんなもんだろう? おっといだったか、おしゃれ狂いの美里にお伺いを立ててみたんだが。
「貴史、悪いけどパーマ掛けるのは無理無理。校則以前の問題だよ。だって、ブレザー制服ってお坊ちゃまそのものじゃあない? あんたに似合わないって自覚、あるでしょうが!」
まあな。俺もそう思う。だ
「美里、お前もよくよく鏡見ろよ」
俺は黙って、美里をうちのでっかい鏡の前に連れて行き、思いっきり向き合わせてやった。鏡の中にはおかっぱ髪で、前の両脇だけすくった感じでご丁寧にもお下げをこしらえているふくれっつらが映っていた。つんのめるぐらい引っ張って、あとでぶん殴られるのもいつものことだった。
ネクタイの間に風が忍び込んだ。ひゃん、と冷たい感じがした。いっぱい漕いで疲れてるはずなのに、なんか楽だった。
日が平たくアスファルトに当たり、砂金掘りをしたくなるような光りがちらついていた。。少し汗かいたみたいで、ペダルを踏む足も心持とろくなったようだ。
入学式開始時刻は十時のはず、腕時計を見るとまだ九時半になったばかり。余裕だ余裕。