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それでもネコは生きている  作者: でらく
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03●──ななごん

「だせないです」

 真面目に真顔で真剣にネコ少女はうなだれた。

「……いや、そんな真っ正直に答えてくれなくてもいいんだけどね。そもそもそのポシェット、なにがはいってるんだい?」

 ほかに尋ねるべきことは多々あるはずなのに、なぜかどうでもよさげなことを訊いてしまう。まさにヘタレの真骨頂──って、俺は絶対に自分がキング・オブ・ヘタレなことを認めるつもりはないぞぉぉぉっ(←心の叫び)。

「なにって、もちろんおやつにきまってるです」

「べつに、きまってはいないと思うけど……へぇ、未来のお菓子なんだ」

 作家としての好奇心というか、ネタ的な意味でちょっと興味がわいてきた。

「ママがわたしのためにつくってくれましたー。味見してみますか、ご主人さま?」

 ポシェットからとりだし、さしだしてくる。

 受けとったそれは、ビー玉大の白く濁った半透明の──

「飴玉?」

「はい♪ あめ玉です。とぉっても美味しいですよ」

 ニコニコ顔で、得意そうにいう。それが、なんの包装もされておらず、素のままの状態でポシェットにぎっしりつめこまれていた。魚の目みたいなのがぎっしりつまってなくて、本当によかった。

「どれ」

 せめてオブラートに包むくらいはしておくべきじゃぁ……と思いつつ、口に放りこむ。三二世紀産の飴、さて、そのお味は……お味は………お味は………………

「どぉですか、ご主人さま?」

 瞳をキラキラさせて、期待に満ちたまなざしをむけてくる。

「あ、うん。甘いね」

 たしかに甘かった、それなりに。

 けれど、なんの香味も風味もコクもない。ふつうにコンビニやスーパーで売ってる飴のような、トロトロ蕩けてくる感触がまったくしない。口のなかで予定調和的に素っ気なく溶解していくような感覚だ。なんていうか……合成甘味料を圧縮して固めたような味と舐め心地だった。おまけに舐めれば舐めるほど口のなかがパサパサしてくる。

 だんだん堪えられなくなり、俺は適当に味わったところでガリガリと噛み砕き、一気に飲みこみ始末した。おいしいとかまずいとか、そういう範疇に分類していいレベルですらなかった。

 ……がっかり感が半端ない。

「これ、好きなんだ?」

「もちろんです。だっておやつですから。おやつはだれだって大好きにきまってるですっ」

「いや、きまってないと思うけど」

 いまのところちゃんとコミュニケーションがとれている……ように見えて、そのじつ、微妙にすれちがってるような気もしないでもない。

 生まれて(創られて?)三ヵ月だというのがもし冗談でなく真実だとしたら、目の前の少女には「経験」によって培われた「常識」はおそらくほとんど身についてない。現代にはない未来の技術で、「知識」としての「常識」を脳に直に刻みこまれ、記憶させられているにすぎない。それは、彼女がおくりこまれてきたこの二一世紀の世界において常識的にふるまうために必要な膨大な知識ではあるのだろうけど、汎用性に欠けている──と、一応はSFオタクな俺が作家の想像力を駆使して考察してみるテスト。

「もしかして、ご主人さまのお口には合わなかったですか?」

 飴玉を舐めた俺の反応が期待とちがいすぎたのだろう、不安そうに見つめてくる。

「んーと。ちょっと手のひら、だしてくれるかい?」

 仕事机の端に、黒糖飴の徳用袋が無造作においてある。仕事中、煮詰まってパフォーマンスの落ちた脳に糖分を供給するための常備品。個別包装の封を切り、俺は黒糖飴をネコ少女の手のひらにのせた。

「なんですか、これ?」

「二一世紀の飴玉だよ。食べてみて」

「あ、はい」

 けれど少女はすぐには口に放りこまなかった。手の上の飴に目を近づけ、まずはじぃっと凝視する。瞳の奥に好奇心がありありと宿っていた。

「真っ黒です」

「うん、黒いね」

 ついで少女は鼻先を飴玉に近づけ、くんくんと匂いを嗅ぎはじめた。

「ふわわ……あ、甘い香りがします……ふにゃぁ……いい匂い…です……」

 匂いだけで、少女はもう瞳がとろんとしどけなく蕩けてきた。トリップした美少女の表情というものを生で初めて間近で目にしたが、なかなかいいものだ。ネコなだけに、もしかしたらふつうの人間より嗅覚が優れているのかもしれない。

「いいから、口に放りこんでみて」

「はぁい。いただきます……んぐ、んぐ」

 口にポイッと放りこむ。もがもがと口のなかで舐め転がしていく。と、わずか三、四秒後、ネコ少女の瞳がキラキラと輝きだした。

「こ、これ……な、なななんなんですかっ?」

「だから、それが本当の飴玉だよ」

「ど、どどどどど……わたし、どうしたらよいですかっ、ご主人さまっ?」

「なにが?」

「ほ、ほっぺたが……と、溶けてしまいそうですっ……はわわわっ」

 黒糖飴を口のなかでしっかりと舐め転がしながら、いまにも目をまわして卒倒してしまいそうなほどパニックに陥っている。

「ほっぺたが落ちそうっていうんだよ。それくらい、おいしいってこと」

「んぐ、んぐ、んぐっ……こんな甘くておいしいの、わたし、はじめてですっ、んぐ、んぐ」

「それはよかった。まだたくさんあるし、あわてなくていいからゆっくり味わって舐めるといいよ」

「は、はいっ、ありがとうございます、ご主人さまっ」

 たかが飴玉一個で、至福の表情をうかべるネコ少女。なんだか、すばらしく微笑ましい。こういうのを純真無垢というのかもしれない。パンツを見せびらかして孕ましてと迫ってきたことは、この際忘れよう。

「にしても……そもそも三二世紀の人って、なにを食べてるんだ? その、食材的な意味で」

 少女からもらった「あめ玉」の味を思い返し、興味がわいてきた。アレを美味いと認識するような味覚を培う、遠未来の食生活の全貌が。

 いやまて……三二世紀って、千年後の未来だよな? 遠未来ってほどじゃぁないな。かといって近未来って感じもないし。せいぜい中未来?

 微妙。

「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ」

 うっとりと夢見心地な表情で、少女は黒糖飴をゆっく味わい味わい舐めつづけている。賞味するのに夢中になりすぎて、俺のことばはまるできいてない。なので少女がぜんぶ舐めきるのをまってから、俺は質問をくりかえした。

「んーと、なにを食べてるか、ですか?」

「そう」

「さあ」

「さあ?」

「だって、三二世紀の人のことをきかれても、わたし、ママと自分のことくらいしかわからないですから」

「あ、うん。キミとママがふだんなにを食べてたかでいいよ」

「甘いのやしょっぱいのや辛いのや酸っぱいのやトロ~としてるのや、やわらかいのや固いのやふつうのや熱いのや冷たいのやぬくいのや、いろいろです」

「な、なるほど……?」

 ベタ回答、ありがとう。ある意味、まちがったことはいってない。が、俺の知りたかったのは、そういうことではなくて。

「定期的に家がだしてくれるんで、それを食べてたですよ? あ、でも、ママはあんまり口にあわなかったみたいで、栄養たぶれっととかいうの、よく口にしてたです。やっぱり家がつくってくれるんですけど、わたしはあれ、上手に飲みこめなくて苦手でしたー」

 家……

 おそらくは自動調理器とか食料合成器とか、そういうたぐいのが自宅につくりつけになっていて、人間がわざわざ料理しないですむようになっているのだろう。料理だけでなく、サプリメントのたぐいまで合成してくれる仕様なようだ。昭和の二十年代から四十年代くらいに流行った安易な未来予想図に描かれる筆頭定番なシステムが、どうやら約千年後には完成しているということか。すごいんだか、すごくないんだか。

「なるほどね。にしても、ずいぶん具体性に欠けるな。もっと具体的にいえない?」

「具体的……?」

「だから、肉料理とか魚料理とか卵料理とか、野菜料理とか丼モノとか麺類とか。もっと具体的に、ラーメンとかチャーハンとかカレーライスとか肉ジャガとか筑前煮とかポトフとかトムヤンクンとかシシカバブとかドリアンとか」

 適当に頭にうかんだのを口にしてみた。

「はあ」

 ネコ少女はきょとんとなった。

「お肉にお魚に卵、お野菜……ですか? そんな伝説の食材、どうやって手にいれるんです?」

「で、でで伝説?」

「実際にお料理ができるなら、シミュレーターなんか使ってないです」

 なにをいってるんですか──と、咎めんばかりの口調だった。

 つまり……いわゆる自然食材のたぐいは、未来社会では入手できなくなってしまっているということなのか? 絶滅したのか、それともいきすぎた環境保護の賜物なのか?

 ともあれ三二世紀の食卓は極めて侘びしく寂しく、おもしろみに欠けるものになりはててしまっているらしい。この時代に生まれてよかった。

「でもこの世界には、あたりまえのようにお肉やお野菜があるんですよねっ? 伝説の食材にも会えると思って、すっごく楽しみにしてたですにゃっ♪」

 ああ、それでやたらはりきって料理しようとしてたのか。納得。

「黒飴、も一個食べる?」

「食べますにゃっ!」

 ネコ少女の瞳孔が大きく開き、シッポがまっすぐ伸びきり、わくわくと嬉しそうに前後に揺れた。


 人間の三大欲求といえば、いわずもがな、睡眠欲と性欲と食欲だ。

 他人に認められたい……という欲求もあわせて四大欲求だとする説もあるが、その議論はここでは脇に置いておく。

 昼過ぎにインスタントラーメンに玉子を乗せて喰っただけなので、さすがに俺も腹が空いていた。ネコ少女がこの部屋に出現して優に三十分は経過していて、窓の外はなんとなく夕暮れっぽい日の落ち方を見せだしている。八月なかばのこの時節、夜の帳がおりるのはまだしばらく先だとしても、晩飯のことを気にしだすにはちょうどいい頃合いだ。

 夕飯はいつも食べにいくか、弁当・総菜を買ってくるかなのだが──ネコ少女にもなにか食べさせないとなら、外食に連れだすのは論外だ。耳とシッポが目立ちまくって、コスプレ少女を連れまわす変態だとご近所さんに思われてしまう。

「とりあえず本気で腹、減ってきたから。いまから晩飯買ってくる」

「狩って……くるですか? んぐ、んぐ」

 黒糖飴を至福の表情で舐め転がしながら、首をかしげる。

 ネコ少女の脳内でちょい物騒な同音異義語に変換された気がしたけれど、まあ、それは気にしないことにした。

「そう。なにか好き嫌いはあるかな、食べ物の?」

「わたしですか? ええと、好き嫌いはよくわからないですけど、この時代の食べ物ならなんでもふつうに食べていいとママはいってたです。ちゃんと消化吸収はできるって、んぐ、んぐ」

「なるほど。じゃぁ、しばらくこの部屋で留守番しててくれるかな。ご飯、買って、すぐもどってくるから」

「あ、はい。大丈夫です、ちゃんとまってるです。ご主人さまの命令はぜったいですから」

 口の中の飴玉で左のホッペをぷっくら膨らませ、真顔になって細い眉をキリリッと吊りあげる。

「いや、そんな重い命令じゃないから。それと黒飴はご飯前に食べていいのは、あと一個だけだよ」

 放っておくといくつでも食べてしまいそうな勢いだったので、それだけはビシッと厳命し──俺は服を着替え、財布を握り締めて外にでた。


 家の近所にはスーパーが二軒競合していて、閉店時間の三〇分くらい前に訪ねれば、売れ残りの弁当や総菜がたいがい半額になる。なのだが残念ながらこの日俺が訪ねたのは閉店からまだ遠い時間帯で──どちらの店もごく一部の商品に二割引のシールが貼られているのがせいぜいだった。

 つか、俺のトコにずっと居座るってことは、今後は食費が二倍になったりするのだろーかと、ふと思う。オタ趣味にけっこう金をかけてしまってるせいもあって、正直、生活費にそんな余裕があるわけじゃぁない。けっこう痛い出費だ。それとも彼女の出現は、俺にもっと稼げというなにかの啓示なのか。

「そういや、生卵、きれてたっけか」

 弁当二人分に総菜数種、ついでに明日の朝食用のサンドイッチやらなにやらを買いこみ、俺は店をでた。


「ただいま──」

 じぃ~、じじ~~

「ん?」

 じつは俺は夢まぼろしを見ていて、本当はネコミミ少女なんかいなかった。部屋にもどれば異常な事態はすべて立ち消え、俺にとっての平穏な日常がもどってる──そんな淡い期待を抱いて帰宅すると。

 ネコミミ少女はやはりそこにいた。夢でもまぼろしでもない現実だ。スチールラックの一画に収まる飼育ケースを、じぃ~、じじ~~と熱心に眺めていた。

「あ、おかえりなさいです、ご主人さま。あの、これ、なんですか?」

 俺が横にならぶと、ネコ少女はちらっと横目にこっちを見て、また視線をケースにもどした。

 飼育ケースのなかでは、昼間はじっとしたままだったオスカブトがようやく眠りから覚め、エサのバナナにとりついていた。極めて緩慢な動きだが、生きているのが確認できるギリギリのレベルで脚や角や触覚が揺れている。

 外見は格好いいのだけれど動きに乏しく、いまいち飼い甲斐がない……気もしないでもないのだが。未来世界からきた少女は興味津々なまなざしをむけている。

「なにって、カブトムシだけど」

「かぶとむし?」

「知らない?」

「んーと」

 ネコ少女は記憶をたぐるように考えこんだ。

「……わかんないです」

 五秒ほど考えこんで、回答がきた。案の定、彼女の脳に刷りこまれた「知識」には偏りがあるらしい。

「こんなの、はじめて見ました」

「キミん家の外にはいなかったの?」

 約千年後の未来世界の生態系がどうなってるのかとか、ちょい気になるところ。

「だってわたし、家の外にでたことなんかないですよ?」

「そうなんだ」

 産まれて(創られて)三ヵ月なら、そういうこともあるのかもしれない。

「はい。あのそれで、これ、動いてますよ?」

 少女の目は、バナナの切れ端に吸いつくカブトに釘づけになっている。

「そりゃ、動くさ。生き物だし、まだ生きてるし」

「生き物……」

 首をかしげて不思議そうにつぶやく。聞き慣れないことばを耳にした……みたいな反応だった。未来世界と現代とでは環境も常識もいろいろちがっていて当然で、むしろここまで会話が成り立っているだけでも奇跡に近いと思われ。

「あの、それでこれはなにをしてるですか?」

「なにって、エサを食べてる。つーことで、俺たちもエサ……じゃない、飯にしよう。と、その前に──」

 俺は、部屋のクーラーのリモコンを手にとった。俺自身は扇風機の風だけでやりすごすのに身体が慣れていたので、うっかり見過ごしてしまっていたのだが──少女がかなりな汗を肌に滲ませていることに、ここにいたってようやく気づいた。

 美少女の白いうなじが暑さでほのかに朱に染まり、汗が伝うその艶めかしさについ目が惹かれてしまう。が──見惚れている場合ではなく、俺はとっととクーラーを稼働させた。エコな推奨設定温度は二八度だそうだが、そんな中途半端な温度設定では正直クーラーをつける意味はあまりない。なのでここはゼータクに二四度に設定してみた。この時期はせいぜい一週間に一度か二度、本当に寝苦しいときだけクーラーをつけてた俺が、思い切っての大奮発だ。

「わぁ、涼しいです」

 窓際の壁上に設置されたエアコンから冷風がおくられてくると、ネコ少女はその下に立って胸元をパタパタさせた。身に着けたワンピースの内側を風が吹きぬけ、スカートのすそがひらひらとはためく。

 少女のホッとしたような表情に、俺までなんとなくホッとなる。日常における他人とのコミュニケーションの圧倒的欠如。それがなければ、あるいはもっとはやくに気をきかせてクーラーをつけてやれたかもしれない。ちょい反省……したのもつかのま。

 少女の広げられた胸元からチラッと谷間が覗いて、うっかりそこに視線がむいてしまったその瞬間、思いだしてしまった。

 彼女が……ノーブラだったこと。

 下はちゃんと履いてたのに、上はなぜか履いてない。

 口内に分泌された唾を、いまさらながら動揺と一緒にごくりと喉の奥に呑みこむ。いったん意識してしまったが最後、薄手の布地に包まれた少女の胸の丸いふくらみを厭でも気にしないではいられなくなる。しかも、乳首らしいぽっちが淡くうかびあがってたりなんかすると、もう……ヘタレ童貞青年には刺激が強すぎる。

「あんまり直に風にあたると、風邪ひくから気をつけろー」

 強烈な吸引力を放つ少女の胸元から視線をむりやり引き剥がし、呑みこんだ動揺のかわりに喉の奥から声を搾りだす。

「はぁ、カゼ、ですか?」

 ネコ少女はきょとんとなった。風邪という概念がどうやらないらしい。ひいたことがないのだろう。むろん自分がノーブラなことなど、かけらも気にしている様子はない。

「まー、わからなければ気にしないでいいよ。それより、ごはんにしよう」

「お料理の材料、狩ってきてくれたですか?」

 お尻のシッポがぴょーんと嬉しそうに真っ直ぐ伸びた。

「うんにゃ、お弁当。材料ではなく、もう調理済みでできあがってる状態だよ」

「がーん」

「……ま、そのうち、つくってもらうから」

 仕事場にはテーブルやらちゃぶ台といった洒落たものはないので、床に直座りになる。床に散らばるオタグッズを適当に部屋隅に寄せてスペースをつくる。買ってきたのは豚のショウガ焼き弁当とサバの塩焼き弁当、それから野菜サラダ×二。キッチンのレンジで弁当を温め、透明蓋をはずし、床にならべる。飲み物は、キンキンに冷やしたペットボトルのウーロン茶。

「わぁ、これがオベントーですか。はじめて見ますけど、おいしそーです」

 正座を崩した格好で床にちょーんと座った体勢から思いっきり前屈みになり、二種の弁当の上に鼻先を近づけくんくんと興味津々に匂いを嗅いでいく。

「焼き魚と焼き肉。どっちがいい?」

「えっと……」

 迷う。どちらも見たことも食べたこともないなら、匂いを嗅いだところで味の想像がつくわけもない。

「あ、そうだ! もしかしたらこっちのが口に合うかもと思って、一応、買っておいたんだ。どうかな」

 ふと思いだし、レジ袋から別途とりだしたのは、ネコ缶(まぐろ・ささみ入り)。スーパーの商品棚に置いてあるのが目にとまり、いたずら心を発揮してつい買ってしまった。セール品でひと缶八八円(税抜き)。蓋を開け、迷い中のネコ娘の前にそっと置いてみる。独特の肉々しい臭気がぷ~んとあたりにたちこめた。

「……なんだか、無性に屈辱的な気分がするです」

 一応、ネコ缶の上にも鼻先を近づけ……少女は顔をしかめた。本能が、ほのかな悪意を感じとったらしい。

「ていうか、これ、食べられるんですか?」

「うん。もしかしたら美味しいよ?」

 そっとスプーンを少女にさしだす。

「……そぉ……なんですか?」

 やや懐疑的な瞳でちらっと俺を見て、スプーンを受けとる。薄桃色の肉っぽいカタマリを、ひと口ぶんすくいとり……ぱくっ、と。

 たちまち。

 ネコ少女の可愛い顔に渋面がひろがった。

「……ご主人さま、非道いです」

 上目遣いに、ジト目で俺を見る。見た目はネコっぽいのに、よっぽど口に合わなかったよう。あの味気ないアメ玉を美味しいと感じられるなら大丈夫かと思いきや、味覚は基本、二一世紀の人間のそれと大差ないということか。

「うーむ、犬猫が食べて美味しいものは、人間が食べても美味しいとかなんとか、テレビにでてたどこかの動物好きな人の善さそうな爺さんがいってたんだけどなぁ」

 あまったネコ缶の中身は小皿に盛って、ベランダにだしておく。近所にはわりと野良が多いので、そのうち勝手に処理されるだろう。

 というわけで、あらためて夕食タイム。

 ネコ少女が匂いを嗅ぎまくって迷ったあげくにセレクトしたのは、焼き魚弁当。妥当なチョイス。

「はい。じゃ、これ」

「これは?」

「割り箸」

 やはり未来世界には存在しないらしい。

「こうやって割って使うんだ」

 実践してしてみせると、少女は見様見真似でぱきっと割り箸を割った。

「わぁ、綺麗に割れました。なんだかおもしろいです」

「お箸を使ったことは?」

「大丈夫です。こっちにきたら必要な技量だからと、ママにいわれて毎日練習しましたから、ばっちり使えますです」

「そ、そう……」

 なら、安心だ。

「じゃ、食べよっか」

「はい。えっと、いただき……ます?」

「なぜ疑問形なのかはわからないけど、遠慮なくどうぞ」

 少女のお箸さばきはぎこちなく、まだまだ練習が必要なレベルだった。はじめて目にする食べ物の数々に、最初は好奇心半分、警戒心半分といった感じで箸でつまんで鼻先までもちあげ、いちいち匂いを嗅いでから少量づつ口に放りこんでいく。なんとゆーか、微妙に猫っぽいしぐさが微笑ましい。

「ふわっ、ふわわっ……これっ、すごく美味しいですっ、ご主人さま! ほっぺがまた落ちてしまいそうですっ」

「はは、それはよかった」

 いったん口にふくむや瞳をキラキラと輝かせ、さらにふたくちみくち、ぱくぱくと口に放りこんでいく。ただのスーパーのお弁当をここまで感動的に食す人材もなかなか得難い。

 得難いといえば、誰かと一緒に飯を食うのも俺にとってはまさにそう。仕事の打ち合わせ等々で数ヵ月に一度くらいは編集部の人におごってもらうくらいのことはあるけれど──女の子と面とむかっての食事となると、いつぶりだろう?

 まだ実家で暮らしてたとき、姉貴と一緒に食べたのが最後……もとい姉貴は「女の子」じゃないし、そもそも「女」ですら……いやいや。姉貴をカウントしないなら、生まれてはじめての経験かもしれない。

 もとよりひとりで食べることに慣れた身には、だれかと一緒に食事をすること自体に違和感をおぼえないではいられない。しかもテーブルを囲むでもなく、ネコミミ少女とオタク男が床に直座りしてむかい合って食べている。客観的に俯瞰すると、とんでもないシュールな絵面だ。しかもコミュ障気質な人間が急に気の利いた話題をふることができるわけもなく、おたがいただ黙々と食事をすすめていく。

 咀嚼の音だけが、粛々と室内に響き渡っていく。

 気まずい雰囲気というほどではないものの、その一歩手前な微妙に沈滞した空気があたりに漂う……

 と。

「ん?」

 じぃ~

 ネコ少女がお箸の先を口に咥えたまま、俺のショウガ焼き弁当を物欲しそうに見つめていた。

「……もしかして、こっちも食べてみたい?」

「いいんですか?」

 キラーン☆と、ネコ少女の瞳が輝いた。満面に「ください」の文字がうかんでる。俺は、あえて分厚めの肉片を選んで少女の白米の上に乗せてやった。

「んぐんぐ、ふぁぁ~、これも美味しいです~~」

 肉片をかじり、満面の笑顔で咀嚼していく。

「わたしのこれがお魚さんで、いまご主人さまにもらったのが、お肉さん……で、いいんですよね」

「あー、うん。正確にはサバの塩焼きと、豚肉のショウガ焼きなんだけどね。どっちのほうがより美味しい?」

「んーと……わたし、どっちもとっても大好きですっ! でも、どっちが好みかといえば……こっちのお魚さんかも」

 予定調和な回答に、なんとなくホッと安心。した、そのとき。

 にゃぁ~~

「あ。ネコ」

「はい?」

「いや、キミじゃなくて」

 立ちあがってベランダを見てみると、猫が一匹。さっきだしておいたネコ缶の中身を貪っていた。まだ若い三毛のノラだった。

「わあ。かわいい。なんだか妙な親近感をおぼえます」

 俺の隣に移動して、ネコ少女が興味津々に瞳を輝かせた。

「だろーね」

 耳とかシッポとか、そっくりだし。色艶でなく形が。

「こんなに動いて……あ! もしかして、これも〝生き物〟ですか?」

 ……すごい発見をしたかのような調子で訊いてくる。

「もちろん、そうだけど」

 少女の問いかけにやはりどこか違和感めいたものを覚えながら、俺はうなずいた。目の前で自律的に動いていて、かつメカメカしいものでなければ、たいがいは〝生き物〟なわけで。ことさらあえて確認するような命題とは思えない。未来からきたというこの少女には、根本的になにかが欠けているような気がしないでもない……のだけれど、じゃぁ、それが具体的になんなのかと問われると、うまく答えられる自信は俺にはない。

 ……作家なのに。

「そういや、キミの名前って……」

「はい?」

「ネコ……で、いいの?」

 エサをがっつく本物の猫とネコミミ少女を交互に見くらべ、なにげに問いかける。

「どういう意味ですか」

 質問の意味がピンとこなかったらしく、少女は不思議そうに首をかしげた。

「いやだからその……ネコって命名は、さすがにダイレクトすぎ。つか、名づけた人、手、抜きすぎじゃないのかな~って」

「ええと、よくわかりませんけど……ネコっていうのは、こういう耳とシッポしたバイオロイドの総称だって、ママはいってましたですよ?」

 頭に生えたネコミミに少女は手を触れた。スカートのすそから伸びたシッポが、ひょこひょこと軽妙に揺れ動いてる。

 バイオロイドの総称…………って、命名した人、やっぱ安直すぎだろ?

「……なるほど。じゃぁ、もしかして名前はべつにあったりするの?」

「べつのナマエ?」

「〝ネコ〟が固有名じゃないなら、べつにあるのがふつうだと思うんだけど」

「はあ」

 怪訝に首をかしげる。やはり、どうにもピンとこないらしい。あるいは一般名詞と固有名詞のちがいがよくわかっていないのか。

 未来からきた少女と二一世紀人とでは、社会通念がいろいろ異なっていることは容易に想像できる。目の前のネコ少女がどういう知識と倫理と常識をあたえられているかはわからないけど、今後、会話が噛みあわないような状況がなんどもおこりそうな気がする。コミ障気質の人間にはちと荷が重い。頭痛が痛い。

「いやしかし、それだと俺はキミのことをこれからどう呼べば?」

「ネコでいいですにゃ。ママにもそう呼ばれてましたし、それではダメなんですか?」

「駄目ってことはないだろうけど……」

 もちろん「ネコ」「ネコちゃん」と呼んでも不都合はないだろう。けれど、それはたとえば俺という人間を「ニンゲン」「ニンゲンくん」と呼称するようなもの。仮にもことばを操る職に就く者として、それは絶対的に度し難い。

 自己を他者と区分するための境界として、アイデンティティーの基盤として、個人の名は在る。名をもたない人間とは、すなわち〝何者でもない〟存在。ネットに蔓延はびこる有象無象の匿名者に等しい。

 けれど目の前の少女は現実に存在している。ひとりの個性ある実在として。となるとやはり〝名前〟は必要だ。〝一般〟から〝個〟を独立させるための。

「よし! なら、キミはいままで〝名無しの権兵衛〟だったわけだから、そこからもらってななごん! キミのナマエはななごん! 決定!」

「ななごん……? えっと、今後はわたしのこと、そう呼ぶってこと、ですか?」

「そう。イヤならもっとべつの名前、考えるけど」

「いえ、ご主人さまがそうきめたのでしたら、ぜんぜんイヤじゃないです」

 ネコ少女は瞳をキラキラと輝かせ、満面に嬉しそうな笑みをうかべた。

「ななごん……それが、ご主人さまがつけてくれたわたしのナマエ。すてきですっ、とってもうれしいですっ」

「いや、あの」

 いまのは冗談で、「そんな名前イヤですー!」的な反応を期待したのに……まさか、こんなポジティブな反応がかえってくるとは。もしかして、俺、すべった?

「……本気で、それでいいの?」

「これからは、そのナマエでわたしを呼んでくださるってことですよねっ? ナマエって、そういうことなんですよねっ? なら、それでいいですっ! わたし、ななごんですっ」

 うあ、もしかしてやっちまった、俺?

 やばい、めちゃ、うしろめたい。語幹、悪すぎ。キラキラネームっつーレベルですらねー。本当は、もっとこの美少女にふさわしい名前を考えてあげるつもりだったのにぃ……弁当ののこりを掻きこみながら、内心で俺は煩悶と頭を抱えた。

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