step06 魔法の師匠と弟子(サーヴァント)
◇
翌朝――。
僕はまた、いつもの教室の扉をくぐった。
光のあふれる眩しい窓辺、風に揺れるレースのカーテン、見知ったクラスメイトと交わす軽い挨拶と椅子を引く音、そして楽しげな笑い声――。
それはいつもと変わらないクラスの朝の光景だ。
ヒースブリューンヘイム王国、第七王立中等学舎、三年B組。廊下側の後ろから二番目の席。日当たりも風通しも悪い席が僕の席だ。
どちらかと言うと不運続きで日陰な僕にとっては、落ち着けるいい席だと思う。
「……お、おはよう。ウィズくん」
「おはよ、マリアーヌさん」
僕が着席すると、隣の席の女子が遠慮気味に挨拶をしてくれた。
丸いメガネと、2つに結分けて前に垂らしたお下げ髪が特徴的な、クラス委員長のマリアーヌさんだ。
みんなからはマリマリとか、マリちゃんとか呼ばれて親しまれている。
胸の下まである長い髪は、とても綺麗な小麦色。色白の肌とすこしのソバカスと、桜色を帯びた厚めの唇が、全体的にほんわかとした柔らかな印象の女子だ。
瞳はこの国では比較的多い僕と同じグリーン系。いわゆる翡翠色なのだけれど、僕の席からだと逆光にメガネが反射してよく見えない。
「ご飯、ちゃんと食べてきました?」
「もちろん」
「体温は?」
「平熱……かな」
「ちゃんと測りました?」
「測ったよ……えぇと36.2度」
そんな会話を交わすとマリアーヌさんは、さっと机の上に広げた『ウィズくん健康観察日誌』に丸印を記入する。
僕は飼育されているウサギやニワトリか……。
実は、巻き込まれた事故で入院した僕は、一週間ほど学舎を休んでいた。そしてその間に急遽席替えがあり、「サポート役」として隣に委員長さんがやってきたのだ。
僕はこの通り元気だし、『魔法に関する記憶』を無くした以外は至って普通。
こんな風に特別な健康チェックとか、委員長さんのサポートなんて要らないのだけれど……。まぁ僕にそれを断る権利もない訳で、甘んじて受けるしか無いみたいだ。
事故の影響で三日間昏睡していた僕は、残念ながら特殊な力に目覚めることも、夢の世界で女神様のお告げを聞くこともなかった。
けれど目を覚ましたのは、腐れ縁的な幼馴染のメルハートが家に上がり込み、「いつまで寝てんのよ、ガッコ遅刻しちゃうわよ!?」と僕の頭上でキレて叫んだ大声のお陰だった……なんてクラスメイトには絶対内緒の黒歴史だ。
と、僕が隣の委員長さんの横顔を眺めていると、黒い影が視界を遮った。
「おはよう、ウィズ! マリアーヌ!」
制服のスカートから覗く細い脚。そこから視線を上に持ち上げると、メルハートだった。
太陽みたいな笑顔に、白い歯を覗かせて。
「おはよう、メルハートさん」
突然出来た壁に戸惑う様子もなく、クラス委員長らしい落ち着きを持ってメルハートと挨拶を交わす。
「あ、メルおはよ。……って一緒に登校してたじゃん?」
今朝も家を出たところで、偶然メルハートと鉢合わせ。僕の家とメルハートの家はお隣同士なので、登校時間も必然的に同じになってしまうのだけれど。
「えぇそうね。けれど挨拶は何度でも言いなさい。爽やかな朝なんだから。……私のサーヴァント」
「え?」
最後の方は思いっきり早口の小声だったけれど、なんて言ったのだろう? サバ?
「なんでもないわ」
涼やかに笑うと、一冊の本……いや、薄い冊子のようなものを僕の机においた。
「なにこれ?」
「この学年の名簿よ。今職員室に行って借りてきたの。昨日の帰り際、魔法の術式の勉強で例題にしたでしょ?」
「あ、そうだね。本物がないと試せないんだ」
「もちろん、個人情報の塊だから学校の外へは持ち出せないけれど、図書館なら平気よ」
「うん、じゃぁまた放課後……」
「魔法の勉強の続きをしましょ! じゃぁね」
メルハートはくるりと踵を返すと、綺麗に結分けたツインテールを翻しながら、クラスの女子グループの輪の中へ混じってゆく。
眩しい朝日の差し込む窓辺は、キャッキャと麗しい乙女たちの社交場だ。クラスの大半の男子たちは、そんな様子をウットリと遠目に眺めるばかり。
ちなみにメルハートの席は、僕の六列隣り。つまり「窓際の後ろから二番目」という実に羨ましい絶好のロケーションが楽しめる席だ。
僕と正反対の位置だけど、時々横を見ると……視線が合う。
なんで睨んでいるのかは、よくわからないけれど。
僕は手元に残された革表紙の薄い名簿をめくってみた。学年120人の名前と、クラス名などが書いてある。これを使って、また放課後に魔法の勉強の続きをする。
「あの……ウィズくん……」
「なに?」
隣の席の委員長、マリアーヌさんが静かに声をかけてきた。少しだけ頭を低くして、何かから身を隠すみたいに。
「メルハートさんから、魔法……教えてもらってるの?」
「……うん」
「そう……」
なんだかとても寂しそうな、ガッカリしたような顔で、視線を外す。
「あ、別にその………忘れちゃったからね、教えてもらってるんだよ」
「そうなんだ……。じゃぁ……ウィズくんは、メルハートさんの……魔法の弟子なんだね」
「でし……?」
キョトンとする僕の顔を見て、眼鏡の奥の瞳を何度か瞬かせる。
「弟子、サーヴァント。魔法は書物を読んだだけじゃ覚えられないの。必ず……誰かが口にした言葉でしか記憶に残せないものなの。そして言葉は……魔法の契約。師匠と弟子の絆を結ぶものなのよ」
「…………えっ!?」
思わず息が止まりそうになり、メルハートの方を見る。けれど友達とのお喋りに興じて、僕なんて眼中にないみたいだ。
「ウィズくん、魔法を無くしたって聞いたから……てっきり私が……。ううん。いいの……、メルハートさんじゃ、仕方ないよね」
力なく笑みを浮かべたマリアーヌさんは、自分の机に向き直り、細い指を絡めた。
えっ!? えっ……えぇええ!?
僕は……とんでもないお願いを、メルにしてしまったんじゃ……ないだろうか?
<つづく>
【さくしゃより】
はい、今回はお勉強は1日お休みです。
メルハートとウィズのクラスでの様子、そして魔法のこと。
すこしだけ明かされました。
次回は放課後の図書館再び。お勉強の再開です。
では、また!