我が日々。
この物語はフィクションです。
扉を開けると、中は薄暗い世界だった。
「…ただいま」
毎日見ているその風景に、聞かせる相手もいないその空間に、いつもの様に呟いた。
仕事を終えて帰宅するのは、ほとんど23時を過ぎた頃で、今日も23時半に帰路に着いた。靴を脱ごうと身を屈めると、右手に持った袋がガサッと音をたてる。今夜も、帰り際にコンビニで買ってきた弁当が夕食だ。
ため息混じりに廊下を歩き、リビングに辿り着く。薄暗い部屋の中、中央に置かれたソファに腰を下ろす。ボフッと鈍い音を立て、ソファから埃が少し舞った。
……どのくらい時間が経っただろうか、こうして座っているだけで時計の針は進むのだから、時間とは恐ろしいものである。壁にかかった時計を見る。まだ、帰ってきて5分も経っていない。
……煙草でも吸うか。
腰を上げ、ベランダに向かいながら、少しキツめに巻いたネクタイを雑に解く。戸をダルそうに開けると外の肌寒い空気がゆっくりと身体に触れる。少しだけ、気分が良かった。
マンションの5階から見渡せる夜景を眺めながら、シャツの胸ポケットからライターと煙草を一本取り出す。煙草を口に咥え、火をつけると口の中に濃い味が広がる。
今日だけで何本吸っただろうか。
お気に入りの銘柄の箱を眺めながら、ぼんやりと今日のことを思い出す。
今日も上司に怒られたなぁ。あのクソ上司、自分ができないことを押し付けてくるくせに、少しミスをするとしつこく口を挟んでくるからなぁ。本当に面倒なもんだ。
……まぁ、それも慣れてしまったんだがな。
煙草を半分ほど吸ったところで、ふと昔のことを思い出した。まだ、自分が高校生の頃のことだ。あの頃の自分は、煙草なんて絶対に吸わないと誓っていた。声がガラガラになってしまうし、身体にも悪いから、なんて今の自分からしたら遠くかけ離れたことを考えていたっけ…。
煙草を吸い始めたきっかけは、大学4年生のときに、2年間付き合った彼女に別れを告げられたときだったかな。煙草が嫌いだった彼女のことを忘れたくて、決別したくて、あえて彼女が嫌いだったものを始めたなんて、今思うと自分も青かったな…と過去の自分を嘲笑った。
それからは、特に起伏のない人生を歩んできた気がする。好きだったバンドのライブに行ったり、友達と馬鹿騒ぎしたり、楽しかった思い出も多少はあるけれど、もうそれも記憶の片隅に沈んでしまった。
好きだったバンドは、30歳前半のときに解散してしまった。友達も、大学卒業時に住む場所が離れてしまい、次第に連絡も取らなくなっていった。皆、既に結婚して幸せな家庭を築いているだろう。地元に帰って、静かに田舎暮らしをしてもよかったのだが、何もない田舎に戻る気が起きなかった。そのため、東京で仕事を見つけ、そのまま20年近くここに住んでいる。
……あぁ、もし、今の自分が、昔描いていた幸せな自分だったら、どんなに人生は豊かだっただろう。もう40歳後半に差し掛かろうとしている自分は、高校生になる子どもがいてもおかしくない年頃だ。毎日、酒と煙草を口にして日を終える日々を送ることは、なかったはずだ。自分の人生は、何を間違えたんだろうか。
もうほとんど残っていない煙草を口から離し、空を見上げる。都会の星空は綺麗には見えないと言うが、その通りのようだ。小さい頃に見ていた星空よりも、遥かに曇っている。唯一、雲間から覗く月だけが綺麗に見えた。
明日も、またこうして代わり映えのしない日々を繰り返すのだろうか。明日も、またこうして物寂しい感情に浸るのだろうか。
……馬鹿馬鹿しい。何故、何回もこんなことを考えてるんだ。弱気になってても、仕方がないじゃないか。明日もやるべきことをやるだけだ。頑張るだけだ。
そう自分に言い聞かせ、ポケット灰皿に煙草を押し付け、火を消した。
気持ちを切り替えるように息をつき、振り返って部屋を見た。
雲から全体を露わにした月が、部屋を優しく照らし始めた。
読んでくださってありがとうございました。
私はまだ大学生ですが、いつかの未来、こうして人生を振り返っている自分がいるのではないかと考えて書きました。
自分も明日を頑張って生きていこうかと思います。