【9】信頼と驕り
「ッ!」
起きれば、まだ午前三時だった。
汗がじっとりと滲んだパジャマの胸部分をぐっと掴む。
ドッドッと心臓が動いて、息が苦しかった。
――これでよかった。
ミオが助かったなら、よかったじゃないか。
そう思いこもうとするのに、胸が痛くて苦しくて、吐きそうだった。
いつものようにトイレに駆け込んで、元々あまり入ってない胃の内容物を全部吐き出す。
今日はもう眠る気にはなれない。
また明日もあの白い部屋から、はじまるんだろう。
そしてそこには、きっとミオがいる。
きっとミオも疲れていて、一刻も早く『悪夢』から逃れたかったんだ。
だから、俺が影犬に食われていても、気にせずに『安眠薬』を飲んだ。
それはしかたないことだ。
けど、そんな子だったなんて思ってなかった。
きっとミオなら俺を助けようとしてくれると、心のどこかで期待していた。
期待……というよりは、信じて疑っていなかった。
他人でしかも子供を信頼して、命を預けるなんて、昔の俺だったらありえなかったことだ。
――ミオをおとりにして、俺があそこに辿りつくべきだったんじゃないか?
そうすれば、嫌いな影犬に食われることもなかった。
抉られるような胸の痛みも感じずに済んだ。
なのに、なんで俺はミオを庇ったりなんかしたんだ?
何の得もないだろうに。
もう一人の自分がそんなことを囁いた。
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「ごめんね、タクト。ずっと殺されてばかりで疲れてたの!」
『悪夢』へ行けば、白い部屋に着くなりミオが謝ってきた。
「いいよ。気にしてない。そんな時もあるよね」
本当は気にしてるくせにそう言って笑えば、ミオはほっとしたような顔になった。
「今度はちゃんと武器、探してくるから!」
「うん」
そう言うミオを、俺はもう一度信じることにした。
担いで、また影犬のいる絨毯を走る。
けどやっぱり足に影犬がへばりついてきて。
俺は絨毯に倒された。
ミオはまたわき目も振らずに走る。
今度は絨毯を抜けて、先のドアを開けた。
ドアの隙間から見えたのは、仮面をつけた二足歩行の猫。
仮面猫はいつだってサーベルを二本腰につけているから、奪えばこちらの武器になる。
よかったと思った次の瞬間、ミオはドアを閉じた。
えっ?
喉は噛み千切られて疑問の声はでなかったけれど、俺はミオの行動を疑った。
武器がそこにあるのに、ミオは戻ってきて、テーブルの上にある『安眠薬』を手に取ると飲み干してしまったのだ。
……なんで、どうしてなんだよ。ミオ。
視界は右半分しかない。
左はすでに食べられてしまった。
まだ食べられていない胸の部分が、きしきしと痛んで。
またミオに裏切られたのだという絶望で、押しつぶされそうだった。
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それでもやっぱり俺は、ミオを見捨てることができなくて。
毎回のようにミオを肩に担いで、影犬の群れにつっ込んだ。
きっと次こそはと願うような気持ちで挑んでは、それが絶望に変わるのを味わう。
馬鹿みたいだと気づいていたのに、何度も何度も繰り返して。
「ごめんねタクト。敵から武器を奪おうと思ったんだけど、怖くて」
「そっか」
ミオの声に感情のこもらない相槌を返す。
――奪おうともしなかったくせに、よく言うよ。
この先に一人で進むのが嫌だっただけだろ。
俺に担がれて、自分だけ『安眠薬』を手に入れて。
そうやっていれば、『悪夢』の中でも、悪い目覚めは避けることができるから。
「今日こそ頑張ろうね、タクト!」
元気良くミオがそんなことを言ってくる。
首を絞めて殺してやりたいと思った。
手がその細い首に伸びる。
両手ですっぽりと覆ってしまえる首は、少し力を入れただけできっと軋むだろう。
苦しみに歪む顔を想像すれば、心の奥に暗い喜びが灯った気がした。
「タクト?」
呼びかけられてはっとする。
――俺は何を考えていた?
ありえないと思う。
自分が、ミオを殺そうとするなんて、あってはいけない事だった。
なんでもないと答えて誤魔化して。
この日もミオを担いで、影犬のゾーンに足を踏み入れて。
喰い散らかされる俺の目の前で、ミオは『安眠薬』を飲む。
そして次の日には、なんてことない顔でごめんと謝るのだ。
俺が許してくれると、信頼……ではなく驕っている。
それがこの上なく、不快だった。
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「タクト、今日の顔怖いよ?」
「そうかな?」
尋ねられて、曖昧に笑い返す。
もう毎日のことになったからか、『安眠薬』を一人で飲んで俺を助けなかったことを、今日のミオは謝りもしなかった。
「それじゃあ、行こう」
ぎゅっと決意したような顔で俺の手を引いて、ミオは影犬の部屋へ歩き出す。
「待って、担いでからだろ?」
「? 担いでくれるの?」
いつもそうしてきたのに、驚いたようにミオは目を見開く。
今まで俺を見捨ててきたから、もうそろそろ担いでももらえなくなるんじゃないか。
そう思ってたのかもしれないし、遠慮してる演技なのかもしれなかった。
まぁどちらでもよかったので、肩に乱暴に担ぐ。
そのまま影犬の絨毯を走り、足に噛みつかれて身動きがとれなくなって。
普段ならここでミオを逃がすところだったけど、今日はミオを影犬の側へと突き飛ばした。
そのままミオを生贄にして、走り抜ける。
『安眠薬』を手にして、見せ付けるように飲み干す。
いつも俺が味わっている苦痛を、目の前で見せ付けてやりたかった。
ミオを見れば、影犬にまとわりつかれて、手足が千切れている。
冷たい目でそれを見下ろして、俺は凍りついた。
よかったというように、ミオは笑ったのだ。
「っ……!」
それを見て、俺は自分の失敗を悟った。
これが、俺のミオだ。
自分を犠牲にしようとも、俺を助けようとする。
俺が無事なら、それでいいと思ってくれるような子だった。
それは前に知っていたはずじゃなかったのか。
俺と今までずっと一緒にいたミオは彼女で。
ここ最近、俺が担いでいたミオは、ミオじゃなかった。
その事に一瞬にして気づく。
「ミオっ!」
叫んだ瞬間に、現実の世界で目を覚ます。
ミオを殺したりなんかしないと誓ったのに、それを忘れて。
本物のミオに、辛い思いをさせてしまった。
「最悪だ……」
呟いた言葉が静かな部屋に響いた。
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「昨日はごめん、どうかしてた」
「ううん。しかたないよ。わたしもやってきたことだもの」
謝ればミオが首を横に振る。
こっちは、きっと偽者のミオの方だ。
昨日だけが本物のミオだったと、俺は確信を持っていた。
本物に切り替わる瞬間を見定めないといけない。
偽ミオを信頼したふりをして担いで運ぶ。
いつものように『安眠薬』を目の前で飲まれて、絶望したふりをする。
それを繰り返して、病んだような演技をして。
偽ミオの首を絞めるように、手をかける。
「タクト?」
いつかの繰り返し。これでうまく本物のミオがでるんだろうか。
細い首に手をかけながら、こいつは本当にいつまでミオのふりをしてるんだろうと腹が立ってくる。
見抜けなかった自分が一番苛立つのだけど。
俺のミオは、そもそも俺を見捨てたりなんてしない。
そういう時は何か理由がある。
どこかで俺は信じきれてなかったのだ。
俺とミオを引き離して、亀裂をいれて。
何がしたいんだこいつはと、苛立ちから指に力がこもる。
「……痛いよ」
「悪い」
はっとして手を離す。
いつの間にか、力がこもっていたようだった。
「そろそろ行こうか」
そういって、ミオを担いで影犬のいる絨毯を渡って。
ぺちゃくちゃと音をたてて咀嚼されながら、今日もまたやっぱり偽者だったと、安眠薬を仰ぐミオを見て思った。