【8】最終階層
一緒にこの『悪夢』から出よう。
そう決めた日から、何故か夜の時間帯ばかりが続いた。
しかも緑の部屋も見当たらないし、階段を登っても下りても同じ階層にたどり着く。
「くそっ、紫の王め!」
悪態をつきながら、敵から逃げる。
これは確実に紫の王の仕業だ。
そう断言できるのは、彼が支配する夜が終わらないのと、この階層の敵が全部ミオの姿をした影だからだった。
――俺はミオを殺したりなんかしない。例え、それが偽者でも。
あの時、俺が言った言葉を試しているんだろう。
ナイフ片手に俺を刺しにくるミオの影から、俺は毎日逃げまくっていた。
格好なんてつけなければよかったと、多少後悔していた。
終わらない鬼ごっこは一方的で、たくさんのミオに囲まれてしまうともはや抵抗はできなくて、毎回めった刺しにされる。
黄色の王女のところで見たミオの影は、薄ら笑いを浮かべていたけれど、この影たちは微妙に違っていて。
悲しそうで苦しそうな顔で、俺を刺しにくる。
それが本当のミオとやけに似ていて、殺されるたびにこっちまで苦しくなった。
「本当、悪趣味だ」
呟きながら、影ミオをさけるために、近くの安全だとわかっている部屋に逃げ込む。
「タクト!」
ふいに呼ばれて、誰かが腰に抱きついてきた。
「ミオ? 本物……か?」
「そうだよ! タクトも本物なんだね!」
戸惑う俺を見上げて、ミオが嬉しそうに笑う。
話を聞けば、ミオのいた階には俺の影がうようよしていて。
大体、こっちと似たような状況だったようだ。
「今日は一緒のスタートなんだね」
「そうみたいだな」
ミオの言葉に頷き、どちらからともなく手を繋ぐ。
注意深く探りながら、何もない部屋から外へと出る。
「やぁ元気そうで何より」
「うわっ!」
いきなりにょっと顔を出したのは、紫の王だった。
警戒してすぐにミオを背に庇う。
「その反応傷つくなぁ。まぁいい、君達を最終階層に案内しにきたんだ」
「本当か!?」
思いがけない言葉に驚けば、嘘はつかないと紫の王は頷く。
着いておいでというように背を向けられ、少しためらったものの後へと続く。
さっきまであんなにいたミオの影たちは、もう廊下にいなくて。
紫の王についていけば、階段があった。
そこを登れば白い部屋にたどり着く。
「次の部屋には影犬がいて、赤い絨毯の上しか彼らは動けない。絨毯を抜けた先には『安眠薬』が入ったビンが一人分だけあるから、それを飲んで現実に戻るのもその先へ行くのも自由だ」
にこにこと紫の王は丁寧に説明してくる。
「ただし一度死んだり『安眠薬』で離脱すると、この部屋からスタートだよ。毎回これを繰り返しで、他の階層へは行けない。緑の部屋もないよ」
「……ちゃんと悪夢の外へ繋がるドアはあるんだよな?」
尋ねれば、にいっと紫の王は笑みを浮かべる。
「あるよ。でもその前に、私達全員の部屋を通らなくてはいけない。その先に外へと繋がるドアがある。苦しむのが嫌なら、今のうちに私の元へくるかい?」
「冗談じゃない」
伸ばされた紫の王の手を乱暴に跳ね除ければ、そうこなくっちゃというように彼はくっくっと喉ならした。
●●●●●●●●●●●●●●●●
影犬の部屋に入る。
赤い絨毯が敷かれた、先に長い部屋だった。
二百メートルくらいあるだろうか。
その先に小さな台があって、小瓶が置かれている。
後ろにドアがあった。
ドアにはりつくようにして、少し先の絨毯の上に目をやれば、影犬がよだれをたらしながらこちらを見ていた。
――嫌だ。怖い。
頭の中で勝手に、自分の声が響く。
喉が渇いて、手が震えていた。
ミオの手を繋いで引きながら、ここを突っ切るのは無理だ。
その間にミオはきっと喰われてしまう。
――ミオを担いで、いけるか?
かなりぎりぎりだ。
足が遅くなって、噛み付かれて。
きっとその場に倒れてしまうだろう。
たとえミオがいなくて、自分ひとりでもきついものがあった。
影犬に睨まれただけで、俺の足は床に張り付いたように動かないのだから。
けど、きゅっと手を握ってくるミオを不安がらせるわけにはいかない。
せめてミオだけでも向こう側に届けて、その先へ進んで貰おうと決めた。
「ミオ、俺がもしもたどり着けそうになかったら、この先に一人で進んで武器を探してくれるかな」
「わかった」
俺の言葉に、しっかりとミオは頷いた。
「ミオ、つかまってて」
覚悟を決めてミオを担ぎ、深呼吸して影犬のいる絨毯に足を踏み入れる。
「がっ!」
すぐに影犬に纏わりつかれ、牙を足首に立てられた。
ぬるい血が足首を濡らす。
それを待っていたかのように、他の犬達が群がってくる。
喰われる。怖い。嫌だ。
でも。
「ミオ、行って!」
俺の言葉の前に、ミオは走っていた。
――まるで俺をおとりにして、自分だけ助かろうとするかのように。
そんな事を思ってしまうなんて、自分はどんだけ駄目なやつなんだ。ミオはそんな子じゃない。
そう思おうとしたのだけれど、影犬は倒れた俺に群がって、ミオの方に見向きはしない。
俺は体が欠けていくのを感じながら、ミオの後姿をただ眺めるしかできなかった。
絨毯の先へ行けたミオは、こっちを振り返る。
それから小瓶の中身を飲み干して。
「ごめんねタクト」
そう呟いて、俺の前から消えた。
俺はそれを、信じられないようなモノでも見たかのような気持ちで、呆然と眺めていた。
――ミオが、俺を見捨てた?
その想いがグルグルと胸に渦巻く。
ガツンと頭を殴られたかのような気持ちだった。
絶対にミオなら、俺のために武器を探してきてくれると、信じ込んでいた。
影犬が俺の体を齧る。
欠けていく自分の体への恐怖よりも、ミオに見捨てられたという衝撃で脳内は真っ白だった。