【7】良い子
紫の王に会ってから三日、俺は悪夢を見ることがなかった。
久々に『悪夢』の中で目を覚ませば最初から緑の部屋にいた。
膝抱きする自分の周りにしゃぼんの膜みたいなのがあって、ぷかぷかと宙に浮いている。
それは俺が『悪夢』にきたんだと認識した瞬間にぱちんと割れ、俺はこの『悪夢』の世界に足を下ろす。
「タクトっ!」
「ぐぉっ!」
勢い良くミオが抱きついてきて、みぞおちに頭がヒットして思わずむせる。
「ご、ごめんなさいっ! 久しぶりだったからっ!」
わたわたとした様子で、ミオが謝罪してくる。
いいよと言えばほっとした様子になった。
「ただ三日会わなかっただけだろ。それに会わないほうが、ミオにとってはいいはずだ」
俺と会う、イコール悪夢を見るということなのに、おかしなことを言う。
「そんなことない!」
そう思って笑えば、予想外に怒鳴られてきょとんとする。
「あっ……」
しまったというように、ミオの顔が歪む。
彼女が、こんな風に感情を出すのは珍しかった。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ。いきなり大声だしてごめんね」
尋ねれば、ミオはさっきまでの感情を引っ込めて笑う。
前までの俺なら、そうかと済ますところだったけれど、今の俺にはミオが無理をしているのがなんとなくわかった。
「ミオ、ちゃんと言いたいことがあるなら言ってくれ」
「でも」
しゃがんで視線を合わせて尋ねれば、ミオは困ったような顔になる。
何かを恐れるように、口をつぐんだ。
「聞きたいんだ。ミオが考えてることを、俺は知りたい。じゃないと、俺にはミオがどうして怒鳴ったのかわからないんだ」
お願いというようにミオの瞳を見つめれば、観念してくれたようだった。
「……寂しかった。悪夢を見ないことよりも、タクトに会えなくて、寂しかった。でも……タクトはそうじゃなかったんだって思ったら、嫌な気持ちになったの」
ゆっくりとミオは呟く。
まるでそんな事を思ってしまった自分を責めるかのように。
「ごめんなさい! ごめんなさい! タクトは悪夢なんかに来たくないのに。わたし悪い子だ」
「ミオ?」
様子がおかしい。
俺の服を掴む手は震えていて。
戸惑っているうちに、ミオは謝り続けて、その場でしゃがみこんでしまう。
「ごめんなさい。わたし、外に出るドアなんて見つからなければいいって、思ってた。そしたらタクトは、毎日わたしと一緒にいてくれる。だからドアが見つからないんだって、黄色の王子が言ってたの!」
懺悔するようにミオが告げる。
思い浮かんだのは、前に黄色の王子が何事かをミオに呟いたときのこと。
あの時のミオは俺を見て、青ざめていた。
きっとその時に、黄色の王子にでたらめを吹き込まれてしまったんだろう。
「そんなわけない。ミオはちゃんと悪夢から出たがってたし、あの王子のいう事に騙されるな」
ふるふるとミオは首を横に振った。
「最初はこんな夢嫌だって思ってた。けど、今はここにくるのが楽しみになってるの。現実では独りでも、ここにいればタクトが一緒にいてくれるから!」
吐き出すようにそう言って、ミオは嗚咽の混じった声で謝りつづける。
「ごめんなさい……わたしが、一緒にいたいって、思ったから。悪夢でも、かまわないって、寂しいって思ってたから。タクトが苦しいのに、わたし悪い子だ」
顔をあげて、許しを請うようにミオがこちらを見る。
この悪夢の世界で、初めてミオが泣いているところを見た。
ミオが泣いているのに、可哀想だとか、慰めなきゃとは思わなかった。
――嬉しい、なんてそんなことを思ってしまった。
ミオには情けないところをたくさん見せていた。
小さな彼女を、ロクに助けることもできない助けられてばかりの、プライドだけが高い駄目な大人。
なのに、こんな俺を必要としてくれている。
俺だけしかいないというように、目を潤ませている。
それが嬉しくて、嬉しくて、目の前のミオが愛おしくてしかたなかった。
「ごめんなさい、嫌わないで。頑張っていい子にするから」
すがるような目で俺に訴えてくる姿に、ぞくぞくとする。
そんな風に俺だけを見つめていてくれたらならと、怪しくも逆らいがたい欲求が胸に生まれる。
俺だけが頼りなんだというようなミオを、甘やかして、自分だけのものにしてしまいたいと思った。
しゃがんで、ぎゅっとミオの体温を腕に閉じ込める。
ひっくと驚いたように、ミオの体がはねて、懺悔が止まった。
「謝らなくていいよ。俺もミオと同じだから」
「えっ?」
驚いてミオが俺の体を離して、顔を見上げてくる。
「ミオと一緒にいたい。でも、できればこんな悪夢の中じゃなくて、現実でミオに会いたい。本物のミオに触れたいんだ」
「っ!」
頬に手をのばしてなでれば、ミオが少し赤くなって目を見開く。
「……本当に?」
おずおずと期待しながら手を伸ばすように、ミオが俺を見てくる。
「信じてはくれない?」
優しく尋ねれば、勢い良くミオは首を横に振った。
「タクト、大好きっ!」
尋ねればふわりとミオは笑みを浮かべて、俺に自分から抱き付いてきてくれた。
大好きなんていわれたことがなくて、ドクンと心臓が跳ねた。
よくあるありふれた言葉だという印象しかなかったのに、自分に向けられればこんなにも胸が騒がしい。
熱い何かが胸の空白部分を満たしていくようで。
その瞬間に、あぁこれが幸せってやつなのかと思った。