【5】黄色の王女
悪夢を見るようになって三ヶ月目。
ここ十日ほど、俺たちは緑の部屋にたどり着けてなかった。
「……大丈夫か、ミオ」
「うん平気」
そうはいうけど、ミオの顔色は悪い。
ここのところ、現実世界で眠り、『悪夢』で目覚めればミオがすぐ側にいる。
けれど、緑の部屋が見当たらない。
緑の部屋に辿りつけないということは、『悪夢』から目覚めるため、ミオと一緒に眠ることができないということだ。
そうなると、『悪夢』から目覚めるために、化け物に殺される必要がでてくる。
けれどこの階層はずっと昼で。
えげつない殺し方をしてくる化け物しかいなかった。
捕まればゆっくりといたぶるように、こちらを溶かしてくる食虫植物。
現実の世界に帰ったかのような幻覚を見せて、現実に存在する人間に殺される『悪夢』を見せてくる蝶。
他にも色々、悪趣味な化け物がこの階層には溢れていた。
――せめて、顔なしウサギがいればなぁ。
赤の女王の元へ連れて行ってもらって、首を撥ねてもらうのに。
そんな事を思う。
首を撥ねるという無慈悲な行為が、この『悪夢』の中では一番慈悲深い行為になるのだから、狂っているとしかいいようがない。
この階層から抜け出せない限り、苦しみながら『悪夢』から目覚めるしかない。
正直限界が近くて、俺の心は安息を求めていた。
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この城の構造はかなり狂っている。
部屋の中に部屋があったりするのは普通で、横に広いわけじゃなく、何層も重なってできていた。
城じゃなくて塔なんじゃないかと思うほどに階数があり、階段を使うたびに違う階層に繋がる。
一旦階段を下りて戻ったら、さっきまでと違う階というのは当たり前だ。
ただどの階層にも緑の部屋はある。
それでいて、俺とミオが別の階層の緑の部屋に入ったとしても、同じ緑の部屋にたどり着くようになっていた。
ちなみに、緑の部屋から出る時は手を繋ぐのは必須だ。
そうでないとそれぞれが別の階に飛ばされることがあった。
俺たちはドアに目印をつけて、できるだけ地図を描きながら歩くことにしていた。
この階層において、あと中に入ってない部屋は一つだけだ。
少し覗いて怪しいと思ったため、目印をつけて最後にまわろうと決めていた。
緑の部屋へ繋がるドアも、他の階へ繋がる階段も。
この階層ではまだ見あたらない。
そうなると、あの部屋の奥にあるとしか考えられなかった。
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恐る恐る足を踏み入れた最後の部屋は、闘技場のような形をしていた。
部屋の中なのに青空が見えて、空間の法則をかなり無視している。
入ってきたドアの方を振り返れば、何もない空中にドア枠だけが浮いていて。
その向こうにはさっきまでいた廊下が見えた。
ゆっくりとドアは閉まって、その姿を消す。
これで後戻りはできなくなった。
「遅かったじゃない。待ちくたびれたわよ!」
響く声の主は、高い位置から俺たちを見下ろしていた。
黄色のドレスに身をつつんだ、黄色の王女。
幼い顔立ちは勝気そうで、その瞳は無邪気に輝いていた。
「面白いゲームを考えたの。一緒に遊んでくれるわよね?」
そもそも拒否権がないのに、疑問系で聞くなと言いたいところだ。
王女がステッキを振ると、俺とミオの足元にあった影がゆらゆらと揺れてたちのぼり、実体を伴って俺たちと似た姿になった。
目の前の影の『俺たち』は、髪や目の色は同じだけれど肌が黒みがかっていて、にやにやと嫌な笑いを浮かべていた。
「それでいて、こうするの!」
えいっと可愛らしい動作で、また王女がステッキを振る。
俺たちと影の手には、それぞれナイフが握らされていた。
「あなたたちには今からそれぞれの影と戦ってもらうわ。タクトはミオの影と、ミオはタクトの影とって感じでね!」
王女が高らかに宣言する。
これから始まる余興が、楽しみでしかたないというように。
「相手の影を見事倒せば、この城から三日間抜け出せるようにしてあげる」
ふるふると王女は小瓶をこれ見よがしに振る。
綺麗なカットが施された小瓶の中には『安眠薬』。
飲めばすぐにこの『悪夢』から目覚めることができて、月の形をした石が入っている日数、悪夢から開放される。
黄色の王女はよく仕掛けてくるゲームの景品として、『安眠薬』を用意することが多く、今回小瓶の中には月の石が三つ入っていた。
ごくりと喉が鳴る。
安らかな『眠り』。
それは今の俺が一番求めているものだった。
「ただし、影を傷つけると本体にもダメージが行くわ。影が死ねば、本体も死ぬってことね。それでいて死んじゃった方には三日間罰ゲーム。影犬にゆっくりと食べてもらって、一番嫌な『悪夢』を延々と繰り返し見てもらいます!」
じゃじゃーん!と口で言いながら、テンション高く王女は口にした。
わくわくしてるその様子が、勘に触る。
こんなくだらないことのために、王女はきっとこの階層を用意して、俺たちを疲弊させたんだろう。
睨み付ける俺の視線さえも王女にとっては快感なのか、ぞくぞくとした表情で小指をくわえた。
「あぁ……あなたたちがお互いに殺しあう姿が楽しみ。もう待ちきれないわ。さっそくはじめましょうか」
悪趣味極まる台詞を吐いて、王女がステッキを振る。
それを合図に、影がこちらに突進してきた。
「くそっ!」
ミオの影を傷つければ、ミオにダメージが行く。
だから手出しなんてできるわけもなくて。
影の攻撃をただ、ナイフで受けることしかできない。
早くなんとかしないと、ミオが俺の影にやられてしまう。
助けに行かなきゃと思うのに、俺とミオの間には透明な壁が存在しているようで、ミオの元へ行こうとしたら阻まれた。
どうしたらいいんだ。
急がないとミオが。
焦りながら考え込んでいたら、ミオの影が急に膝をついて倒れた。
ミオの影は前かがみになって、ぴくんぴくんと体を痙攣させる。
――俺の影が、ミオを殺したのか。
そう思って、ミオ本体の方を見れば。
ミオが、自分自身にナイフを突き立てていた。
「ミオっ!」
叫んだ声はちゃんとミオに届いたみたいで、ゆっくりとした動作でこちらを向く。
ツインテールの髪が乱れて、白いリボンが床にはらりと落ちた。
大丈夫だよというようにミオは笑ってみせようとして、そのまま床に倒れた。
翡翠色の綺麗な瞳が、曇ったガラス玉のように濁る。
「何それっ! つまんないっ!」
王女の抗議の声をあげ、イライラと小指の爪先を噛む。
透明な壁の向こう側で、ミオの体が薄らいでやがて消えた。
遊びがつまらない結果を迎えたことで、王女は興味が覚めてしまったらしい。
ぞんざいに小瓶を放ってよこすと、姿を消してしまった。
手に入れた『安眠薬』を飲む気にもなれなくて、呆然とする。
ミオを助けるつもりでいたのに、助けられた。
しかも躊躇なくミオは自分を犠牲にして、俺を生かそうとした。
こんな小さくて守るべき存在に、守られてしまった自分が悔しくて情けなかったし、何よりも。
――ミオと同じことを思いついても、俺はそれを躊躇なく実行できただろうか。
そう自分に問いかければ、答えはノーだった。
影犬に食われながら、三日間を過ごす。
一番嫌いな悪夢を見せられる。
それを聞いて俺は心のどこかで、自分の影がミオを殺すのを待っていたんじゃないか?
自分の弱さを突きつけられた気がした。
こんな弱い自分が嫌いでしかたなくて、吐き気がする。
「恥じることはないよ。誰だって自分が一番可愛い」
何もかも知ったような口調で、気づけばそこに黄色の王女と同じ顔をした少年が立っていた。
慰めなんていらなかった。
そもそもこいつにとって、その言葉自体慰めでもなんでもなくて、俺を貶めたいだけなんだろうけれど。
「他人は利用できるか、できないかが重要でしょ。ミオは君の身代わりになってくれる、とてもいい駒じゃない。なんでそんな傷ついたような顔してるの? このために非力で他には何の役にもたたないミオを連れて歩いてるんでしょ?」
「違う! 俺はミオをそんな風に思ったことはない!」
必死に否定する俺を、黄色の王子は冷めた目で見ていた。
「綺麗事だよね」
その目は、俺が現実世界で周りに向けてきた目に似ていた。
他人を見下ろして、蔑むような目だ。
これ以上黄色の王子の言葉を聴きたくなくて、耳を塞ぐ代わりに俺は自らの胸にナイフを突き立てた。
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「何であんなことしたんだ」
「……ごめんなさい」
次の日、緑の部屋へやってきたミオを俺は叱った。
どうにかする方法をすぐに思いつけなかった自分を棚にあげて、俺を助けようとしてくれたミオを責める。
やり場のない憤りみたいなものが胸に燻っていた。
「……頼むから、自分を犠牲にして俺なんかを助けるな」
ミオが俺を助けるたび、惨めな気持ちになるからとは格好悪くて言えず、唇を噛みしめる。
「タクト、ごめんね。もうしないから」
手を握られて、そこで自分の手が震えていることに気づく。
――本当に、俺はどこまでも情けない。
王女から奪った『安眠薬』の小瓶の蓋を開ける。
それをおもむろに、ミオに渡した。
「飲んで」
「でも、これはタクトの」
「飲むんだ」
返そうとするミオに強い口調でそういえば、ミオはしぶしぶ従った。
すぐに瞳がとろんとして、ミオは眠りに落ちる。
しばらくすればミオの体は光の粒につつまれて消えた。




