【4】黄色の王子
目覚めたら、俺は家のベットで寝ていた。
化け物に殺される以外の方法で、こうして『悪夢』から目覚めたのは初めての事だった。
俺とミオは『悪夢』から目覚めたい時、わざと顔なしウサギに捕まって、赤の女王の下へ行くことにしていた。
城には四人の住人と、化け物がたくさんいるのだけれど、この中で一番マシな殺し方をしてくれるのは赤の女王だったからだ。
彼女は無慈悲ゆえに、何の躊躇もなく苦しみも最小限に首を撥ねてくれる。
この日初めて、俺は殺される以外に『悪夢』から目覚める方法を知った。
夢の中で眠れば、元の世界へと戻れる。
単純なようでいて、全く気づかなかった。
夜になって睡眠薬を飲んで、俺は夢の世界を訪れた。
ちなみに毎日睡眠薬は飲んでいた。
そうでないと、俺の意識が夢を拒んで、寝付けはしないからだ。
緑の部屋へ辿りついたらミオはまだいなくて、ちょっと実験として寝てみようと思った。
けどすぐにそれは無理だと悟る。
眠ろうと思うのに、心のどこかがそれを拒絶していた。
体が強張っているのが自分でもわかって、横になっていたソファーから身を起こす。
「タクト!」
しばらくしたらミオがやってきて、俺の姿を見つけてソファーによじ登ってきた。
ぎゅっと首に手をまわして、向かい合うようにして膝に上がってくる。
「昨日ね、化け物にえいってやられなくても起きたらちゃんと家にいたんだよ!」
「俺もここで眠って、起きたらベットにいたんだ。いちいち化け物に殺されなくても、眠りさえすればここから抜け出せるみたいだね」
興奮気味に口にするミオが微笑ましくて、よしよしと頭をなでたら、心地よさそうに目を細める。
ためしにということで、二人でソファーに横になって寝てみることにした。
ソファーは大きいのだけれど、二人が寝るにはちょっと狭くて、必然的にお互いが落ちないよう抱き合う形になる。
とくとくとミオの心臓の音がこちらまで響いてきて、高い子供の体温が服ごしに伝わってくる。
痛覚はあまりないのに、熱は伝わってくるからこの夢は不思議だった。
目を閉じれば驚くほどあっさりと意識は遠のいて。
次に目覚めたときは、ちゃんと家のベットにいた。
どうやら『悪夢』の中で眠れば、『悪夢』から抜け出せるらしかった。
けど俺とミオは、お互い一人じゃ眠ることができなくて。
結局は緑の部屋で待ち合わせをして、一緒に眠るということを繰り返すようになった。
『悪夢』が本当に終わったことにはならないけれど、俺たちにとってそれは大きな前進だった。
毎回この『悪夢』を終わらせるために、自分から死ににいくこともあって。
それがどれだけの負担になっていたかは、計り知れなかった。
探索をしてきりのいいところで、二人して緑の部屋に戻って眠り、元の世界で意識を取り戻す。
そうやって起きたときは、いつもよりも目覚めはよくて。
心の平穏が少しだけ戻ってきた気がした。
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「やぁ、よく来たね。ゆっくりして行ってよ」
その日、俺たちが顔なしウサギから逃げて開けたドアの向こうには、黄色の王子がいた。
淡い色のカーテンに、華美でない落ち着いた装飾品が品の良さを思わせる部屋だ。
俺とミオが描いていた地図によると、このドアはランプの部屋のはずだった。
変な色のランプがいっぱい置いてあって、その光を見つめすぎると意識が朦朧として、嫌な想像ばかりしてしまうという精神的に困った部屋だ。
長居しなければ平気だと思って逃げ込んだのだけど、まさか黄色の王子の部屋に繋がるとは思っていなかった。
この城のドアは時々こうやって、城の住人の部屋へと勝手に結びつくことがあった。
大抵そういう時は、彼らが俺たちを呼び寄せようとした時だ。
赤の女王の場合、気まぐれに殺しをしたいときに俺たちを呼び寄せる。
黄色の王女の場合、暇になると遊べとばかりにドアを繋いでくる。
そして黄色の王子。
こいつは……。
「今日はミオの大好きなシフォンケーキを作ったのよ。ほら食べて」
柔らかな色合いの服をきた優しそうな女の人が、テーブルに座ったミオと俺の前にケーキを置いてくれる。
戸惑うようなミオに、女の人は優しくふわりと微笑みかける。
「……っ」
ミオの瞳が揺れて、声に鳴らない嗚咽を飲み込むのがわかった。
女の人の顔立ちは、どことなくミオに似てる。
長い髪をゆるくみつあみにして、その先をミオとお揃いの白のリボンで結んでいた。
「どうしたんだミオそんな顔して。そうだ、明日はお休みだろう? 家族三人で一緒に水族館にでも行こうか」
三十代くらいの男の人が座っているミオに近づいて、肩を抱いてくる。
横では女の人がそれもいいですねなんて、嬉しそうにしていた。
「おい、王子。これはなんだ」
「人をこれ扱いはよくないと思うよ、タクト。ミオの両親なんだから」
苛立った俺にたいして、ゆっくりと紅茶を飲みながら黄色の王子は答える。
「ミオの両親がこんなところにいるわけないだろう」
「君達がここにいるんだ。ミオの両親がここにいてもおかしくはないだろ? ミオが信じれば理想は本物になるよ」
睨み付けても怯むことなく、王子は淡々と口にする。
「二人ともそろそろ疲れたろ? 諦めて僕らとここで過ごせばいい。闇も受け入れて、こちら側に立ってしまえば恐れることは何もないんだよ?」
優しく救いを差し出すように。
王子は話しかけてくる。
「もう現実にはいないお母さんも、優しくて仕事よりミオを優先してくれるお父さんもここにいるよ。君の幸せはここにある」
ミオが苦しそうな顔で女の人を見た。
現実世界ではミオの母親はすでに死んでしまっているようで。
その瞳には、母親を求める色があった。
それにと、ミオの耳元で王子が何かをささやく。
「っ!」
ミオは俺を見て、動揺したように唇を噛み締め、蒼白な顔になる。
「おい、王子。ミオに何を言った!」
「別に大したことじゃないよ。この悪夢の世界にいれば、いつだってタクトに会える。ミオもそれを望んでるって話さ」
つかみかかれば、王子はふふっと笑う。
黄色の王女の嗜虐心に満ちた笑みとは違う、何もかも見透かしたような微笑みに、心がざわざわとする。
「タクトだって、正しくあれと君をしばりつける人間がいない方が、本当は過ごしやすいと思っているだろう? ここなら、思うままにふるまっても、誰も咎めはしないよ」
柔らかい王子の声色は、耳をねっとりとなぶるようで。
「……俺は別に父さんのことをそんな風に思ってない」
跳ね除けるように王子の胸元を突き飛ばせば、可笑しいというように笑われてしまう。
「僕は君を縛り付ける人間が、父親だなんて一言も言ってないよ。君がそう思ってるってことは知っていたけど」
はめられたと思った。
訳知り顔でいう王子の、同情するような声が耳障りだった。
「君が一番殺したいのは、父親よりも自分自身なんだよね。父親の言いなりな自分が嫌いで、けど逆らうのは今までの自分を否定することだからできなくて。だから追い詰められると君は、いつも自分で自分を殺しちゃうんだ」
苛立つのは、それがたぶん当たっているからだ。
けど認めたくはなくて、王子を睨む。
「早く二人ともここまで落ちてきて。そしたら苦しいことも怖いことも何もないんだよ?」
王子は誘惑するように囁く。
彼はこうやって時々俺たちの前に現れては、外に出るのを諦めさせようとしてくる。
赤の女王や、黄色の王女のように手を出してはこないけれど、これはこれで性質が悪かった。
こっちの心の弱い部分を突きつけるように、いたぶるように。
黄色の王子は、時折この『悪夢』から出るためのヒントをくれたりするけれど、それは俺たちを外へ出すためじゃない。
どんなに足掻いたって出られない。
そう俺たちが気づいて心が折れる瞬間を待っている。
希望を与えて、それが駄目だったときの絶望に、彼は付け入るつもりなのだ。
その証拠に彼が現れるタイミングは、俺たちが行き詰ったときや、緑の部屋にたどり着けずに一人でいる時が多かった。
辛くて苦しくて助けを求めているときに現れて、まるで救いの手を差し伸べるように『あちら側』へと誘い込もうとする。
楽になれるよと悪魔のように囁いてくる。
「行こう、ミオ」
ここにいたら、いつか彼の手を取ってしまいそうで。
逃げるようにミオの手を取って、席を立つ。
「またおいで。いつでも歓迎するよ」
誰がくるかと思いながら、王子の声を拒絶するように後ろ手でドアを閉めた。