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絶対禁煙都市


 東京が絶対禁煙都市化宣言をしてから、早いもので十年が経つ。しかし、この産業という火から生まれた都市から煙は絶たない。

 今なお、大勢の男女が口から煙を吐いているのである。


 この街で喫煙を許される唯一の場所、スモーク・ヘブン。

 その名の由来は喫煙都市時代のスモーク・ヘイブンへの皮肉を込めた洒落である。

 肺を経由させての喫煙――道義的にも社会的にも多くの論争をひき起こす、その行為を行える場所は二つとないものの、大都市の中で、堂々とその存在を際立たせている。


 葛西区の地下五百メートルに作られた、汚染を食い止めるためのあらゆる設備を備えた特殊隔離シェルターがスモーク・ヘブンの正体である。

 ここで、喫煙者登録をした14万2816人が、日毎、集まって喫煙行為を行う。喫煙習慣のない人間にとって、地下深くのだだっ広い空間で突っ立ち、紫煙をくゆらす大勢の人々という、その光景は異様な儀式にしか見えない。


 ついて回るのは、一つの疑問。

 身体的のみならず、社会的に害悪であると認識される行為に対して、何故これほどの人間が過去の悪習に固執するのか?

 その鍵を解くのは、中毒性うんぬんのパラダイムを超越した、大衆心理学なのだろうか?

 CIS研究プログラム主任の岡野橋臣氏は、現代における喫煙者たちの存在が、ただのノスタルジアだけでは説明がつかないと、持論を展開する。

「日本では、過去百年にわたって、あまりに優しい社会保障が実現されてきました」

 『手厚い』ではなく、『優しい』のである。

「国民保険が、喫煙に由来するガンのような、生活習慣病さえも完璧にカバーしているのです」

 それは、他国に類を見ない、日本の『優しさ』だと氏は言う。

「医療インフラも世界トップレベルであり、よほどの末期ガンでない限り治癒してしまいます。結果的に、あまりの社会の過保護さに一部の国民は精神的な窒息を起こしているのでしょう。抑圧された環境にて、反社会的な嗜好を行うことで、無意識的なスリルを楽しんでいる。どこまでいけるのか。どこまでやったら、怒られるのか」

 すると、十代の若者が衝動的な万引きを行ってスリルを楽しむ、それが社会レベルで進行しているというのだろうか。


 あるいは、この論も、『煙草税の税収が社会を潤す』『少々の毒は健康に良い』『肺がんが老年人口の増加に歯止めを掛けて高齢社会を改善する』……こういった、かつて論じられたテーマ同様、忘れ去られる運命にあるのだろうか?


 スモーク・ヘブンの創造者、政府は何を考えて葛西区に穴を掘ったのだろうか?

 東京都及び複数省庁のホームページにおいて、政府側の見解が掲載されている。

『受動喫煙による周囲の人に対する迷惑を鑑みた結果として、公共の福祉の原則と照らし合わせ――』

 その数キロメートルに及ぶ見解を要約すると、一言に集約できる。

『他人の害になりうるものは封印する!』

 しかし、その理論では、排気ガスを排する内燃機関搭載車を走らすことも、発電器を稼働させることもできないのではないのか。

 各種の反論を牽制する心づもりか、政府は次の一文を付け加えている。

『勘違いしないでください。東京都が絶対禁煙都市宣言をしているにしても、本質的に日本は自由の国です。スモーク・ヘブン内での喫煙は完全に許可されています』


 しかし、地底の一カ所に集められての喫煙を強いられる喫煙者たちは、必ずしも政府と東京都の施す恩恵に満足していないようだ。

 かつてはどこででも、大手を振るって喫煙できた。今では、煙草一本吸うのに、穴蔵の底だ。やがて自分たち喫煙者はスモーク・ヘブンから出られなくなるのではないのか? 隔離の次は収容所か?

 そんな不安を顔に浮かべる人もいる。


 一部の喫煙者は口から煙よりも、抗議の声を出すのに熱心だ。

「政府が望めば個人の嗜好を抑制することぐらい造作もない。だが、それは本物の民主主義とはいえない。そういった圧制は、精神面で国民の個人個人を萎縮させ、可能性の芽を摘んでしまっている」

 地下深くで、喫煙者のシュプレヒコールはこう結ぶ。

「社会が個人を殺しているようなものだ。この国は歴史から何も学んでいない」


 もっとも、抗議者の列挙する、喫煙の『ポテンシャル』は、禁煙に向かって流れ続ける一般世論を遡行させるに至っていないようだ。

 政府は、人道的な禁煙プログラムを、より『積極的』に勧めるつもりだと表明している。


 喫煙賛美家の、より現実的な一派は、喫煙は嗜好ではなく中毒であることを強調する。

 医学面から、禁煙措置を止めようというその試みは古い。すでに、厚労省は関東甲信越地方の喫煙者のレベルを分け、把握、管理している。

 その中の最も重篤な喫煙中毒者、Aレベル喫煙者となると、常時煙に触れている必要性があると見なされる。煙から長時間離れることで、集中力の欠如、緊張性頭痛の発生から果ては錯乱まで、様々な医学的、生理学的症状を発症するとされる。

 彼らの存在が、政府の更なる禁煙都市化を食い止めていると、言えなくもないだろう。

 なぜなら、大を生かすために、小を殺すという行為は、それが社会保障の原則に反していることから、政府機関による禁煙政策の最後のチェックメイトを不可能としているのだ。


 もっとも、政府機関とは、現時点での政府と限定できる。

 一部野党は、厚労省の喫煙者に対する態度の弱さを指摘しているのである。彼らによると、Aレベル喫煙者は、彼らの中毒症状を過大に表して、社会の完全禁煙化を不法に妨害しているとのことだ。


 喫煙者たちが案ずる必要があるのは、法律のみではない。

 社会で生活していく以上、人の目というものは無視できる物ではないのだ。

 異端――マイノリティ。ムラ社会が根底にある日本は、異端をよしとしない。

 マイノリティに対して世間の目が厳しく注がれている。その厳しさは、間違いなく世界トップレベルである。

 喫煙それ自体の行為を明確に禁ずる法律は存在しないにもかかわらず、そういった法律の存在するドイツやカレドニアと比べても、日本人の喫煙率は低いことから、それは裏付けられる。


 矯正ではなく、共生を――。

 マイノリティの血を吐くような叫びが、メディア上から絶える日はない。


 だが、喫煙者を社会的弱者ととらえるのは、果たして正解なのだろうか? それを知るには、実際にスモーク・ヘブンに入らねばならない。


 スモーク・ヘブンに入る為、本誌スタッフは煙に耐えることができずに、生命維持基準レベル3に相当するエア・マスクと保護グラスで身を守らねばならなかった。

 生まれてからニコチンやタール、その他の毒物に触れた経験のない非喫煙者にとって、スモーク・ヘブンはあまりに過酷な環境なのである。

 それに対し、防護服で身を固めた我々の無様な姿を見て、喫煙者は笑っている。


 この空間において、喫煙者は絶対的な強者である。

 煙の充満する、敵意ある空気が彼らには心地よい。彼らは、適応しているのだ。


 弱者にして、強者。かつてマジョリティーであったマイノリティー。

 空気を共有していることから、喫煙者と非喫煙者が共存していると、一方の満足が他方の不満足に直結する。

 双方を満足させる解決策など存在しないと思われていた。

 やはり、どちらか一方は抑圧されねばならないのだろうか?


 そんな中、東方パーセクトテック社は新技術で、この千日手の脱出を計る。

 昨日、新幕張メッセで開幕した東京メックショーにて、全環境プレッシャー・スーツ『煙室』がプロデュースされた。

 そのスマートなスーツは内部環境と、外部を完全に分断することを主目的としている。NASAが公開している火星探査時のテクノロジーもふんだんに投入されているとのことで、信頼性は抜群である。

 外気と完全に隔絶された環境なのだから、内部をいかに煙草の煙で充満させようと、本人以外に影響を及ぼすことはあり得ない。

 これを用いることで、喫煙者は初めて社会にいながら、そして社会に迷惑をかけることなしに、煙に触れ続けることができるのだ。


 発想の転換である。穴の底に閉じこめることで、社会から喫煙者を隔離するのではなく、喫煙者から社会を隔離する試みと言えよう。

 また、空気を完全に個別化した試みとも言えるかもしれない。今まで人類が作り上げてきた、プライバシーの極地である。


 880万日本円でこの『煙室』プロトタイプ第一号を購入したAレベル喫煙者の安吹勇一氏は、そのスーツのスピーカー越しに喜びを語る。

「煙草の煙以上に、誰にも迷惑をかけないという、その安心感が美味しいです」


 量産化すれば、その値段は桁レベルで下降することが期待されるほか、情報筋によると、政府からの補助金も検討中とのことである。

 『煙室』が容易に手にはいるようになれば、喫煙に関する数々の法規やタブーが撤廃されることが予想される。それは喫煙者十四万人にまで減少した喫煙行為に、今一度、興隆の波を作り出すのだろうか。


 また、人体に作用する空気中の化学物質は煙草の煙だけではない。

 『煙室』の存在はフェロモンに代表される神経伝達物質、香道やアロマ、果てはシンナー類や揮発性の麻薬にまで作用を及ぼすことだろう。

 あるものは興り、あるものは滅び、様々なもののあり方に変化が見られるかも知れない。


 その結果として、世論から政策に至るまで、多くの変遷を生み出すことは間違いないだろう。大勢の人々が、それに喜び、あるいは嘆くのだ。

 煙から生まれた嵐が、社会の枠組みを変えるのである。



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