その7
「ようやく、正気に戻ったようね。アナトール」
肩に止まったドラゴンは涼しい声で言う。
淡々とした口調だったがで、どことなくホッとしたような色を滲ませていた。
一瞬にして、周囲を取り巻く空気が冷え、平温に戻っている。
ドラゴンの言葉を聞いて、男性は自嘲するような薄笑いを浮べた。
「気晴らしが…出来たからな」
そう言うと、ニヤリと笑い、少年を見つめた。
少年は男性と目が合い、驚いた。
さっきまで瞳の奥にあった寂しげな空気が全く無くなっていたからだ。
そして力強い何かの光が瞳には灯っている。
少年が呆然と男性を見つめ返すと、自信の満ちた笑みが返される。
暗さを微塵も感じさせない笑顔だった。
さっきまでの闇を背負ったような顔をしていた男性と同じ人だとはまるで思えない。
そっくりな顔をした別人…例えば双子の兄弟とでも言われた方が納得するくらいだ。
少年が男性の変化に驚いて、何も言えないでいると、ドラゴンが口を開いた。
「そうやって、自虐的になるのが貴方の悪い癖よ」
男性に向って苦言を呈した。
ドラゴンの言葉を聞いて、男性は肩をすくめると軽く言葉を返す。
「自虐的にでもならなければ、この破壊衝動は収まらないんだよ。自分ではどうにも抑えられないからこうなっているんだ。仕方ないだろう」
言い訳のように男性が言うと、ドラゴンは呆れた顔をした。
「いいえ。そうじゃないわ。暴走する理由は違うわよ。貴方がその理由から目を背けているだけ。判っているんでしょ」
「…判っているさ。だが、私にそれを真っ直ぐ見つめろというのか」
「そうね。見つめたからといって、原因がなくなる訳じゃない」
「ああ。時は戻らない…だから、これは呪いなんだ」
「自分でかけた呪いね」
「そうだな」
男性はうなずくと、小さくため息をついて、謝罪するようにドラゴンに向って口を開いた。
「それは反省しているよ」
ドラゴンと男性はまるで普通の会話であるかのように淡々と話をしている。
今日の食事の支度で失敗をしたとか、そういう軽い口調だ。少年は聞きながら違和感を覚えた。
少年には細かい内容までは判らないが、今買わされた会話は本当は深刻な内容なのではなかろうか。 男性がさっきまで炎に包まれていた…そして、この神殿の内部が燃えている…その事について話をしているようなのに。
周囲に上がっていた炎は、いつの間にか小さくなっていた。
場所によっては消えているところもある。
誰かが消火したのだろう。
それとも、さっき男性が自分を包んでいた炎を消した時に一緒に周囲の炎も消したのだろうか。
そんなに強い魔力を、一人の人間が持つことなど可能なのだろうか。
なによりも伝説でしかないと思っていたドラゴンが目の前に存在してる事だけでも、信じられない。
信じるも信じないもなく、ただ存在しているだけだから。後は現実を認めて受け止めるだけなのだが。それが少年にはできなかった。
目の前の現実に心が追いつけずにいる。
まるで幻影か幻惑の術にかかっていると言われた方が納得できる。
疑問や疑念が少年の中を埋め尽くしていく。
彼はだが自分の中で渦巻く思いに戸惑うばかりで、口で表現する事が出来なかった。
そんな少年のことには見向きもせず、ドラゴンと男性は会話を続けていた。
「あなたは呪いを解いたから…反省なんて、いいのよ」
「解けるか、どうかはこれから次第だな」
「そうね」
二名の会話はそこで切れ、二名は少年を見つめた。四つの瞳は力と確信に満ちている。
何かを自分に期待されている。
少年はその視線でそれを察した。
だが。現実に起こったことも消化できず、会話にもついていけなかった少年には二名の視線の意味が判らない。
「何を話しているのですか?」
少年は二名の視線に促されるように、浮かんだ疑問を口にした。
「これからの事だ」
男性が断言した。
「そう、これからの事よ」
ドラゴンも同じような言葉を続ける。
少年は更に混乱する。
「これからの事?」
二名に言われた言葉を疑問系にすると、ドラゴンが優しそうな微笑を浮かべ、包み込むような瞳で見つめた。
「ええ。自己紹介がまだだって話よ」
そんな話をしていたのだろうか。
少年にはそういう風には聞こえなかったが、ドラゴンと男性の間には何か通じるものがあるようだ。
少年は気がつかなかったが、そういう符号のような言葉が会話の中に散りばめられていたのかも知れない。
少年の住む宿屋に泊まる修道士が交わす会話の中や、商人達が市場で話す言葉の中で、少年が幾ら注意深く聞いていても理解できない話の跳躍が度々あったことを思い出す。
一緒にいる時間が長くなれば判ることなのだろうか。自己紹介をするという事は、仲間になるという事だろうか。
何にしても、互いを知る為に、お互いの名前を知る事は必要だ。ドラゴンと男性の名前は会話の中で知ってしまったが、本来は互いが名乗り合い、自分が何者であるか表すのが順当な方法だ。
人が知り合う最初からはじめよう。
そう言っているのだけは判った。
少年は彼らの前に立ち、一歩近づく。
緊張して声が震えたが、大きな声で自分の名前を名乗った。
「僕の名前はザムゾン…ザムゾン・フリューゲルです」
何とか、木曜の間に更新。
明日はもう少し早い時間に更新したいです(切望)