その23
柔らかい感触に驚いてザムゾンが目を開く。
目の前にはさっきよりも更に近づいたアナトールの顔。至近距離すぎてちゃんと見えたわけではないが、そっと目を閉じたアナトール以外は考えられない。
「うわっ!」
大変な事が起こった。それだけを直感してザムゾンは一歩後ろに下がる。
少し距離を置きアナトールの姿を確認する。
ザムゾンが後ずさった途端に彼は目を開き、自らの行動に自分自身が驚いたような顔をした。
「すまない」
アナトールは顔を赤らめ恥ずかしそうに俯く。
それを見て、ザムゾンはアナトールとくちづけを交わしたのだと理解できた。
そして動揺した表情からアナトールが自覚して仕掛けたのではなく、衝動的な気持ちから行動に移したのだと悟った。アナトールに求められている。
そう感じてザムゾンの胸がざわめいた。
…もしかして、アナトールは僕のことを?
話には聞いたことがあるが、色事にはあまり興味が無かったから、これが何を示しているのか瞬間的には判らなかった。初めてのくちづけだったが、その行為自体には何の感慨もない。
触れ合わせた唇の感触はまだ残っている。聞いた話を繋ぎ合わせるとこれが特別なことだと理解できるが、ザムゾン自身にはこの行為だけで実感できるものではなかった。
ただ目の前のアナトールが困った顔をしているから、彼にとって大きな意味があると判るだけだ。
アナトールの態度を見てザムゾンは嬉しくなる。
彼にとって自分はどうでもいい存在ではなく、大切に思われている。大事に思われている。好意を持たれている…それも特別な想い。
アナトールの態度から、彼の想いが見え隠れし、それがザムゾンの心を揺さぶった。
真っ赤な顔のままアナトールは小さな深呼吸をし、ザムゾンを真っ直ぐ見つめた。
「申し訳ない。突然、こんな事をしてしまって…もっと順番を考えて事を起こすつもりだったのだが…」
動揺し謝るたアナトールはとても可愛い。年齢ではザムゾンの方がかなり下なのに、彼に対してはそう思えなかった。
「謝らないで下さい。僕も避けませんでしたから」
「嫌ではなかったか」
「嫌じゃありません」
「そうか」
アナトールはホッした顔をした。
うっとりとした表情でザムゾンの頬を撫でる。
撫でられる気持ち良さにザムゾンが目を細めると、アナトールの顔がまた近づいてきた。
ザムゾンは再び薄く目を閉じた。
「なに子供みたいな事をしているの。アナトール。大切な用事があったのでしょう」
キルシュが呆れた声を上げた。ザムゾンが目を開くと、アナトールが眉間に皴をよせ不機嫌な表情をしていた。
邪魔をされたと言わんばかりの顔。何だかおかしくなってキルシュを見ると、キルシュはからかう訳ではなく、真剣な瞳でこちらを見ていた。本当に何か重要な用事があったようだ。
「大切な用事?」
「ああ。そうだ」
言い難そうにアナトールが言う。
「ザムゾンにお願いがある」
頼みごとと知って心が弾んだ。彼のために何かできる。それはザムゾンの望んでいた事だ。
「僕に頼みごとなの。いいよ。何をどうすればいい?僕に出来ることならなんでも引き受けるよ」
思ったまま口にすると、アナトールは複雑な表情をした。
「モチロン。ザムゾンにしか出来ない事だが…返事は内容を聞いてからにしてくれないか」
「確かに。そうでした。でも貴方が僕に無理難題を言うとは思えなくて…」
「どうだろうな」
話が長くなりそうなのに気付き、ザムゾンはアナトールの言葉を遮る。
「アナトール。座って話しませんか?」
「ああ。そうだな」
「座る場所は一客しかない椅子かベッドしかないですけど…」
言いかけて、ザムゾンは自分の普段座る古い椅子では、アナトールの繊細で豪奢な衣装を傷つける可能性に気付く。アナトールは何枚も重ねた服を着ているようなのだ。
彼の服に触れた時の厚みから厚い布地かと思ったが、触れると薄く繊細な布が幾重にも重なっているのが判る。
服が傷つくとか、そんな事アナトールは気にしないかも知れないけれど、ザムゾンは気になる。
技巧に長けた職人の技の粋を集めたような服に傷がつくかも知れないと気にしながらでは、話に集中できないだろう。
そのまま理由を言うのは賢明ではないと思い、ザムゾンは考えながら口を開いた。
「椅子は僕で丁度いいので…ちょっと小さいかも知れないから。アナトールはベッドに座って下さいませんか。せっかく僕の部屋に来てくださったのですから、お茶でも飲んで一息つきましょう。今カップに入れますから」
「ああ。判った。ありがとう」
アナトールはそう言って、ベッドの前に立つ。
彼の目の前には彼が贈った青い布が敷かれている。
「大切に使ってくれているのだね」
嬉しそうにアナトールは呟いた。
一週間あっという間ですね。今日も何とか更新(^^;)
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