その22
ほんの少し開いたドアから、圧倒的な力の波が押し寄せてくるのを感じる。
それはザムゾンの内部に注がれ、彼の中の空洞を埋めていく。
しばらくは感じることの無かった己の中の空ろな部分が、満たされることでまだ存在していたのだと気がつく。
ドアの隙間から、塊が飛び込んでくる。
その塊はザムゾンの狭い部屋を旋回して、ベッドの縁に留まる。鈍色の鱗の生えた翼を持つ赤い瞳をした小さな竜。
「……キルシュ」
ため息と共にザムゾンが名前を呼ぶ。
「ごきげんよう。ザムゾン。お元気そうね」
「ええ」
キルシュは宝石のように輝く瞳をザムゾンを向け、小さく微笑んだ。迫力のある微笑みにザムゾンは見惚れた。それと共に高貴な女性に微笑まれたような、誇らしさを秘めた喜びが胸に沸いてくる。
ザムゾンがキルシュに向って話しかけようとしたところ、ドア付近が騒がしいことに気がつく。二人の男性の話声。聞き覚えのある声にザムゾンの心が震えた。
「充分に注意は払っている。私の術を信用してくれ」
「ですが。あの時は…」
「あの時と今では事情も異なる。それにもう失敗は繰り返さない。大丈夫だ」
「アナトール殿!」
「話は後だ。我が調停者。私はこの件に関しては一歩も引かないぞ。それに私は今まで充分に我慢してきたと思うのだが。違うか」
「そこまで言われたら仕方ないですな」
「すぐに戻る」
「………ではお気をつけて」
その声を最後に話声は消えた。
すぐに長身の男性が部屋に入ってきて、ドアを閉めた。
それは危うげな空気をまとい、正装をしたアナトールだった。
深い紫色の長衣。服の全面に暗い色の複雑な文様と輪郭を彩る金や銀の刺繍が施されていた。
怖い表情をしているという訳ではないが、整った顔はどちらかと言えば穏やかに見えるような表情を作っているのだが、近づくと危ないと思わせるような空気を辺りに漂わせている。
本能がすぐさま逃げた方がいいと囁いている。
今の彼からは出会った時ほどではないが、いつ何時豹変するか判らない、ギリギリの緊張を感じる。 だが、ザムゾンは本能を超えて胸が躍り出すのを感じていた。あの美しい炎にまた出会える予感。
不謹慎な感情だが、その予感を甘美だとザムゾンは感じていた。
多分ザムゾンはアナトールの悲しみや絶望、それを体現した炎ごと彼に惹かれている。理屈のつかない気持ち。
胸から溢れる思いに押されるように、ザムゾンは声を上げていた。
「アナトール!」
彼の名を呼ぶとアナトールの視線がザムゾンをとらえる。
緊張と闇をまとった瞳がザムゾンを見つめると柔らかくとけていく。
彼の瞳の変貌を見て、ザムゾンの中で張り詰めていた何かが弾けた。
何かを考える前にザムゾンは立ち上がり、駆け寄っていた。彼の体に飛び込むように抱つく。
アナトールはザムゾンの体を受け止め、眩しいものを見るような瞳をして目を細めた。
「ザムゾン」
名前を呼ぶアナトールの声も柔らかい。
背中に回された腕がザムゾンを包む。今まで感じたことのない心地よさがザムゾンの中で広がる。
永く会えなかった事実が、そのせいで尖った心が、自分とは会いたくなかったのではないかと思っていた疑念が、アナトールの嬉しそうな声でとけて無くなっていく。
「久しいな」
「ええ本当に」
「会いたかった」
「僕もです。アナトール」
ザムゾンは返事をしながら、自分でも驚くほど甘えた声になっているのに気がついた。こんな声出した事はない。
普通なら恥ずかしいと感じてもおかしくないのだが、今のザムゾンにはそんな事は気にならなかった。
否。
そんな自分のことなど考えている余裕はない。今はただ目の前のアナトールの事を見つめ彼の事を感じたかった。
彼が会いたいと思ってくれたその事が嬉しい。
自分も同じ気持ちだと確認できただけで嬉しかった。
彼の顔が見たくなり顔を上げると、優しく微笑む瞳がザムゾンをとらえた。
ザムゾンも笑みを返す。視線が絡みあい引力が生じる。
アナトールが屈み顔を近づけてきた。
何が起ころうとしているのか判らなかったが、彼の急の接近に胸の鼓動が大きくなり、目を開けてられなる。
ザムゾンは慌てて目を閉じた。
次の瞬間。
そっと、唇が触れ合った。
何とか金曜日中に更新できました。
途中トラブルがあったので、今日こそはダメかと焦っていました。
更新できて本当に良かった。
少し話が進みましたけど。
来週で終わりそうもないです。
うわぁん(><)
でも6月上旬には終るよう頑張っていきたいと思います。
次回の更新は木曜日です。
来週もよろしくお願いします。