その16
空気が変った。
周囲のみんなから張り詰めた緊張が漂う。
何のことか語られなかったが、力を使うようなことをしに行く事だけはザムゾンには判った。
それは即ち、戦場へと帰って行くという事に他ならない。
…アナトールを苦しめる元凶となる場所へ、また彼は帰っていく。
「アナトール!」
表現出来ない思いが胸から溢れ、ザムゾンは声を上げた。
「こら。少年。『唄う鳥』殿に向って名前を呼び捨てにするとは、何と失礼なことをするのだ」
ザムゾンの言葉を聞きつけ大神官が威圧するように言い放つ。
凄まじい迫力にザムゾンは後ずさる。頭の中が真っ白になった。
それを見てアナトールは宥めるように口を挟んだ。
「いいんだ。大神官殿。彼は悪くない。私がそう呼ぶように願ったのだ」
大神官は訳が判らないという表情をした。
「何故そんな事を…それでは他の者に示しがつきませぬ」
「いいだろう。私の奇行は今に始まったことではないし。こんな例外くらい可愛いものだろう。彼だけが例外だ。これからそう覚えておいてくれないか」
「アナトール殿にそこまで言われますと…許さない訳にはいきませんな」
アナトールに押し切られ、大神官は黙った。
「それよりどうした?ザムゾン」
「あの…その…」
アナトールに優しく尋ねられたが、ザムゾンは言葉を紡ぐことが出来なかった。元より、形になっていない思いだけで彼の名を呼んだのだ。
辛い思いをする事になるとしても、彼はこのために生きてきた。行くなと言えないことも充分判っている。頑張って下さいというには重すぎる仕事だ。どうしてあげる事が彼の心の支えになれるのだろう。ザムゾンは悩み自分の無力さを強く感じた。せめて自分がこの場所で待っているという事だけでも伝えられたら…
無言のザムゾンの答えを待っていたが、大神官や調停者の視線に急かされ、アナトールは諦めたような顔をした。
「すまないな。急に仕事の予定が入った。しばらく忙しくなる。私もすぐに神殿を出ることになるし…今日のところは帰ってくれないか。相応の謝礼は持たせよう」
…離れていく。行ってしまう。何か伝えなければ…
アナトールの言葉に別れの気配を感じてザムゾンは口を開いた。
「謝礼なんて…そんなものはいいんです。それより…」
「それより?」
「また僕と話をしてください。キルシュも一緒に。僕達は友達なのでしょう」
「そうだ。そうだな」
ザムゾンの言葉をきいてアナトールの目が柔らかな光を宿す。彼の肩に乗るキルシュはその光景を楽しそうに見て、からかうように口を開いた。
「あら。私の友達とは言ってないわよ」
「そんなぁ」
決死の覚悟で言ったのに、キルシュからは軽く跳ね除けられて、ガッカリする。それも彼女はザムゾンに意地悪を言うつもり満々なのが判るから尚更だ。
「私の守護者になるんでしょう。シャンとしなさい。ザムゾン」
まるで姉が弟に諭すようにキルシュは言う。
再び驚いたのは大神官だ。
「嘆く竜の守護者ですと!こんな子供が…力の欠片すらないというのに、どうやって守護すると言うのです」
「それは、これからこの子が頑張るみたいだわ。私はその決意に報いることにしたの。つまり、護らせてあげると約束をしたわ。それ相応のことをこの子はしてくれると信じている」
「……キルシュ」
「『嘆く竜』殿にもそこまで言わせるとは。この少年見かけによらない潜在力を持っている訳ですな」
「そうよ。これからは丁重に扱って頂戴」
「かしこまりました。今後はこの神殿の大切な客人としてザムゾン殿を丁重に扱いましょう」
「よろしく頼む。ザムゾン。行ってくる。また会おう」
大神官の言葉に鷹揚にうなずき、ザムゾンに声をかけるとアナトールは踵を返した。
三人の男性はしっかりとした足取りで神殿の奥へと向う。
遠くなっていく。
アナトールの肩からキルシュが舞い上がり、ザムゾンの肩に留まった。周囲に聞こえないような小さな声で言葉を残した。
「すぐ戻ることになると思うわ。多分二ヶ月か三ヵ月後…戻ってきた時のアナトールはまた変になっていると思うから、その時はお願いね。色々言ったけど、あなたのこと頼りにしているのよ。あんなに楽しそうなアナトールは久しぶりだったから」
「僕はアナトールの力になれるのでしょうか?」
「あなたしか出来ないわ。あなたは特別なのよ。ザムゾン」
「僕が特別…?」
「そう。だからそのままでいいの。そのままでいて。ザムゾン」
キルシュは言いたいだけ言うと、あっさりと肩から舞い上がった。高い高い天井まで到達すると神殿の奥へと滑るように飛ぶ。三人の男性を追い抜き見えなくなっていった。
ザムゾンは彼らを見送りながら、キルシュの言葉を反芻していた。
今日もなんとか更新~!!そして少しだけ話が進みました。
次回は来週の木曜日更新予定です。よろしくお願いしますw