第2話 まずは労働基準法(魔界版)を制定する
「マスター、正気ですか!? これ以上作業を止めたら、ダンジョンの維持魔力が枯渇して、私たち全員消滅しちゃいますよ!?」
玉座の間で、リリィが金切り声を上げた。
彼女の言い分はもっともだ。ダンジョンは、主である俺の魔力と、侵入した冒険者から搾取する負の感情(恐怖や絶望)をエネルギー源としている。
魔物を働かせてダンジョンを拡張し、冒険者を呼び込まなければ、いずれガス欠になる。
「現状の『維持魔力』の収支はどうなっている?」
「えっ? ええと……」
リリィが空中にウィンドウを展開する。
真っ赤な折れ線グラフが右肩下がりを示していた。
「前任の魔王様の時代から赤字続きです。だからこそ、ゴブリンたちを不眠不休で働かせて、第一層に『即死トラップ地帯』を作ろうとしていたんです! あれさえ完成すれば、高レベル冒険者を一網打尽にして黒字化できるはずで……」
「典型的な『一発逆転』狙いの自転車操業だな」
俺はため息をついた。
デスマーチに陥るプロジェクトの典型例だ。現場を疲弊させ、品質を落とし、完成もしない巨大プロジェクトにリソースを注ぎ込む。
「リリィ。まずは『コスト削減』だ。無駄な魔力消費をカットする」
「無駄なんてありません! どのトラップも必殺級の……」
「いいから、案内しろ。現場を見るぞ」
俺たちは第一層の作業現場へと転移した。
そこは湿っぽく、カビ臭い洞窟だった。
俺の「業務停止命令」により、ゴブリンたちは作業を止めてはいたが、家に帰ろうとはしていなかった。
通路の隅で固まり、震えながらこちらを見ている。
「……殺されるんだ」
「サボったから、処刑されるんだ……」
小さなつぶやきが聞こえる。
俺の胸が痛んだ。前の職場の部下たちも、俺が上司に呼ばれるたびに、あんな目をしていた気がする。
俺はゴブリンたちの前へ進み出た。
一番年長らしき、腰の曲がったゴブリンがおずおずと頭を下げる。
「ま、魔王様……申し訳ごぜぇません。すぐに作業を再開しやす……だ、だから、若いもんだけは許してやってくだせぇ」
「いや、働くなと言っただろう」
「へ?」
「お前たち、その足はどうした?」
俺は彼らの足元を指差した。
ゴブリンたちの足はドロドロにただれ、紫色に変色している。
「こ、これは……作業場の『毒の沼地』を通らねぇと、資材置き場に行けないもんで……」
「なんだと?」
俺はリリィを振り返った。
リリィは気まずそうに目を逸らす。
「あー、その……防衛用の『毒沼』なんですが、設計ミスで……従業員通路にはみ出しちゃってまして。でも、直す魔力がもったいないので、そのまま運用を……」
「これだ」
俺は指を鳴らした。
「リリィ、今すぐ『毒の沼地』を撤去しろ」
「はあ!? あれは維持費が高い、Sランクの猛毒沼ですよ!? 撤去するにも魔力がかかります!」
「維持費が高い上に、従業員の健康を害して稼働率を下げているなら、それはただの『負債』だ! 今すぐ埋め立てろ!」
俺はダンジョンマスター権限を行使し、メニュー画面を操作した。
【ダンジョン改装】スキル発動。
毒の沼地を選択し、消去。
ズズズズ……と地面が鳴動し、瞬く間に毒沼が干上がり、平らな地面へと変わった。
「あぁ……もったいない……」
「ついでに、あの天井から落ちてくる『巨大鉄球』。あれも撤去」
「なっ!? あれはロマンですよ!?」
「メンテナンスに油を使いすぎるし、誤作動でゴブリンが何匹か潰れてるだろうが。労災の元だ。スクラップにして金属素材として売却しろ」
俺は次々と「無駄な設備」を指差しては撤去・売却していった。
維持魔力を食うだけの高コストな罠。
誰も通らない場所にある自動照明。
魔王の威厳を示すためだけの、無意味に豪華な黄金の像。
すべてを「素材」と「魔力」に還元していく。
「あ、あ、あぁ……ダンジョンが、スカスカに……」
リリィが半泣きになっている横で、俺はウィンドウを確認した。
無駄な設備を維持するための「固定費」が激減したことで、赤字だった魔力収支が一気にプラスに転じたのだ。
「よし。浮いた魔力で、新しい設備を導入する」
俺はゴブリンたちに向き直った。
彼らは、毒沼が消えた地面を呆然と見つめている。
「長老。それからみんな、聞け」
俺は努めて優しい声を出した。
「毒沼は消した。これからは安全靴も支給する。だが、今日はもう働かなくていい」
「は、はい……?」
「浮いた魔力で、居住区に『大浴場』と『食堂』を作った。まずはそこで風呂に入り、傷を癒やし、腹いっぱい飯を食え。……仕事の話は、明日だ」
一瞬の静寂。
やがて、誰かのお腹が「ぐぅ」と鳴った。
「め、飯……?」
「毒が……ない?」
「……魔王様、万歳……!!」
ワァァァァァッ!!
ゴブリンたちが歓声を上げ、俺の足元にひれ伏した。
その目には、先程までの絶望の色はなく、強烈なまでの「忠誠心」の光が宿っていた。
《システムメッセージ:配下の忠誠度がMAXになりました》
《生産効率ボーナス(+200%)が発生します》
「ほら見ろ、リリィ」
「……ぐぬぬ」
俺はリリィにドヤ顔を決めた。
「従業員の心身の健康こそが、最大の投資なんだよ」
こうして、魔界初の「労働環境改革」が成し遂げられた。
だが俺たちはまだ知らない。
この改革によって、人間界の勇者たちが困惑することになる未来を。




