第19話 聖女、初めての『二度寝』に罪悪感を感じつつ堕落する
チュン、チュン……。
小鳥のさえずりと共に、アリアは目を覚ました。
カーテンの隙間から、柔らかい日差しが差し込んでいる。
「……んぅ……」
アリアは伸びをした。
こんなに深く、泥のように眠ったのはいつ以来だろうか。
体が軽い。頭もスッキリしている。
彼女はふと、サイドテーブルに置かれた魔導時計を見た。
『10:00』
――思考停止。
そして、爆発的なパニック。
「じゅ、じゅ、十時ぃぃぃぃぃ!?」
アリアは悲鳴を上げて飛び起きた。
法皇国では、朝四時の起床が義務だ。五時の朝祷に遅れれば、鞭打ちの刑が待っている。
十時なんて、もはや死刑に値する重罪だ。
「ど、どうしましょう! お祈りを! 謝罪を! ああ神よ、この怠惰な私をお許しください……!」
彼女はガタガタと震えながら、ベッドから降りようとした。
だが、降りられない。
「な……なにこれ……?」
掛け布団が、離してくれないのだ。
最高級の羽毛布団は、空気のように軽く、しかし魔法のように温かい。
さらに、マットレスが絶妙な弾力で体を包み込み、重力を倍増させている(ように感じる)。
「こ、これが魔王の罠……『拘束魔法』ですか……!」
アリアは戦慄した。
この布団の中にいると、あらゆるやる気が削がれていく。
「あと五分だけ」「もうちょっと」という甘い囁きが、脳内に直接響いてくるようだ。
コンコン。
その時、ドアがノックされた。
「ひっ! し、処刑人が来た……!」
アリアは反射的に布団を被って震えた。
ガチャリとドアが開き、入ってきたのは――。
「失礼しまーす。清掃と洗濯物の回収に来ましたー」
エプロンをつけた、オークの太ったおばちゃんだった。
「オ、オーク!?」
「あら、起きちゃったの? まだ寝てていいのに」
「く、来るな! 不浄なる魔物よ!」
アリアは枕を構えて威嚇した。
教典によれば、オークは女性を攫い、陵辱する野蛮な獣だ。
だが、オークのおばちゃんは、呆れたように鼻を鳴らした。
「何言ってんだい。病人に手出しなんてしないよ。……ほら、お花の水、変えておくね」
おばちゃんは、花瓶の水をテキパキと交換し、萎れかけた花を摘み取った。
さらに、加湿器(スライム式)の水を補充し、アリアの枕元の水差しに氷を入れてくれた。
「汗かいたろ? 着替え置いておくからね。あと、熱があるならナースコール押すんだよ」
「え……?」
「じゃ、お大事にね」
オークのおばちゃんは、鼻歌交じりに部屋を出ていった。
アリアはポカンと口を開けたまま、残された新しいパジャマを見つめた。
洗い立ての、太陽の匂いがした。
「……襲って、こない……?」
彼女の知る「魔物」と、あまりに違いすぎた。
混乱する彼女の元へ、今度はワゴンを押したアーサーが入ってきた。
「よう、起きたか。朝飯だぞ」
「アーサー様! いけません、私は罪を犯しました! 寝坊をしたのです! 罰として食事抜きにしてください!」
「うるさい。寝坊は『回復魔法』の一種だ」
アーサーは強引にワゴンをベッドに横付けした。
そこには、焼きたてのパンケーキ、トロトロのスクランブルエッグ、厚切りベーコン、そして彩り豊かなサラダが乗っていた。
「こ、これは……貴族の晩餐ですか?」
「いや、当院の標準的な朝食(Bセット)だ。ほら、口を開けろ」
「むぐっ!」
口の中に、メープルシロップたっぷりのパンケーキが放り込まれる。
甘い。しょっぱい。温かい。
一日一食、硬い黒パンしか食べてこなかったアリアの胃袋が、歓喜の声を上げた。
「……おいしい……うぅ、おいしいですぅ……」
アリアは泣きながら食べた。
罪悪感というスパイスが、さらに味を引き立てていた。
完食して満腹になると、当然の生理現象が襲ってくる。
強烈な「眠気」だ。
「ふぁ……っ」
「お、満腹になったら眠くなったか。血糖値が上がった証拠だな」
アーサーがニカっと笑い、ベッドのリクライニングを倒した。
「さあ、業務命令だ。『二度寝』しろ」
「に、二度寝!? そんな、起きたばかりなのに! これ以上怠けたら、私は聖女失格です!」
「いいかアリア。……『二度寝』こそが、この世で最も贅沢な娯楽なんだ」
アーサーは悪魔のように囁いた。
「平日の午前中に、満腹状態で、ふかふかの布団に包まれて、罪悪感を感じながら微睡む……。これ以上の快楽が、天界にあるか?」
「そ、それは……」
アリアの瞼が、鉛のように重くなる。
布団の温もりが、彼女を甘い闇へと引きずり込んでいく。
(ああ……神よ……)
抗えない。
もう、祈りの文言すら思い出せない。
「……おやすみ……なさい……」
聖女アリアは陥落した。
彼女はスヤスヤと寝息を立て、涎を垂らして、至福の二度寝へと旅立ったのである。
それを見ていたアーサーは、優しく布団を掛け直した。
「ゆっくり休め。……お前が戦うべき相手は、魔王じゃなくて『睡眠不足』だったんだよ」
こうして、魔王城の最強トラップ(福利厚生)は、聖女の心を完全にとろけさせたのだった。




