第15話 帝国皇帝、自ら乗り込んでくる
「農具に負けただと? ふざけるのも大概にせよ!」
ガレリア帝国、皇帝の間。
皇帝ヴォルダールは、逃げ帰ったガフ将軍の報告書を暖炉に投げ込んだ。
「最新鋭の戦車が、畑を耕す機械にひっくり返された? そんな与太話、三流の吟遊詩人でも語らんわ!」
ヴォルダールは歴戦の猛者だ。自分の目で見たものしか信じない。
聖王国が何やら怪しい技術を使っているのは事実だろう。だが、所詮は小手先のトリックに違いない。
「……行くぞ」
「へ? どちらへ?」
「聖王国の王都だ。ワシが直接潜入し、その『カラクリ』を見破ってやる」
皇帝は重厚なマントを脱ぎ捨て、ボロボロの革鎧(傭兵風)に着替えた。
「止めるなよ。ワシの『鑑定眼』をもってすれば、どんな化けの皮も剥がれるわ」
こうして、大陸最強の軍事国家のトップが、単身、敵地へと足を踏み入れたのである。
◇◇◇
夜の帳が下りた頃。
傭兵『ヴォル』と名を変えた皇帝は、聖王国の王都に潜入していた。
「……なんだ、これは」
城門をくぐった瞬間、ヴォルダールは絶句した。
明るいのだ。
夜だというのに、大通りには等間隔に『魔導街灯』が設置され、昼間のような明るさを保っている。
「帝都ですら、夜は松明の灯りだけだぞ……? これほどの数の魔石を、ただの『照明』に使っているのか?」
さらに足元を見る。
泥道ではない。隙間なく敷き詰められた石畳……いや、継ぎ目のない滑らかな『コンクリート(スライム粘液混合土)』だ。
馬車が通ってもガタガタと揺れず、埃も立たない。
「インフラ整備だけで、どれほどの予算をかけている……」
ヴォルダールは戦慄した。
軍事費を削り、全てを民生に回さなければ、これほどの整備は不可能だ。だとしたら、この国の防衛は穴だらけのはずだが……。
グゥゥゥ……。
思考を巡らせていると、腹の虫が鳴いた。
そういえば、ここまでの道中、携帯食(干し肉)しか食べていない。
「……まずは腹ごしらえか。情報収集も兼ねてな」
彼は、赤提灯がぶら下がる一軒の屋台に目をつけた。
『大衆酒場・あーさー』という、気の抜けた看板が出ている。
暖簾をくぐると、そこは仕事帰りの労働者たちで賑わっていた。
ドワーフ、人間、獣人。種族入り乱れて、ジョッキをぶつけ合っている。
「いらっしゃい。空いてるカウンターへどうぞ」
声をかけてきたのは、白いエプロンをつけた店主――どう見ても、あの元勇者アーサーだったが、ヴォルダールは彼の顔を知らない。ただの「人の良さそうな若造」にしか見えなかった。
「……エールをくれ。あと、適当なつまみを」
「あいよ。じゃあ、名物の『おでん』を見繕いますね」
出されたのは、琥珀色に透き通ったスープに浸かった、大根や卵、練り物たちだった。
湯気と共に、暴力的なほどの「出汁」の香りが漂う。
「……なんだこの煮込み料理は。肉が入っていないじゃないか」
「騙されたと思って食ってみてくださいよ。うちの国の、新しいソウルフードですから」
ヴォルダールは怪訝な顔で、大根を口に運んだ。
――ジュワッ。
噛んだ瞬間、熱々の出汁が口いっぱいに広がった。
野菜の甘み、魚介の旨味、そして絶妙な塩加減。
固いパンと塩辛い干し肉しか知らない帝国の食文化とは、次元が違った。
「ッ……!?」
「どうです?」
「……美味い。なんだこれは……溶けるぞ、野菜が……」
箸が止まらない。
エールを流し込む。冷えていて、雑味がない。最高だ。
「……ふぅ」
一息ついた頃には、ヴォルダールの殺気立っていた心は、すっかり解されていた。
彼は隣で大根を齧っていた店主に話しかけた。
「店主。この国は……妙だな」
「そうですか?」
「ああ。夜だというのに、誰も剣を携帯していない。殺気がない。平和ボケしていると言ってもいい」
ヴォルダールは鋭い眼光でアーサーを見た。
「隣には『帝国』という狼がいるのだぞ? いつ攻め込まれるかわからないのに、なぜこんなに無防備でいられる?」
アーサーは皿を洗いながら、少し考えて、笑った。
「無防備、ですか。……お客さん、狼が人を襲うのは、なぜだと思います?」
「腹が減っているからだ」
「正解です。じゃあ、狼の腹がいっぱいなら?」
「……襲わんだろうな」
アーサーは、賑わう店内を顎でしゃくった。
「見てください。みんな、腹いっぱい食って、笑って、明日への活力を持っています。……この国は今、隣の狼さんにも『ご飯』を配ってるんですよ」
「なに?」
「帝国の兵士さんたち、最近よくウチの国に出稼ぎに来るんです。『こっちのほうが飯が美味いから』って。この前なんか、戦車に乗った将軍さんが置いていったスクラップ、いい鉄になりましたよ」
ヴォルダールは息を飲んだ。
この店主は言っているのだ。
『武力で守る必要すらない。敵を取り込んでしまえばいい』と。
「強い国ってのは、強い兵士がいる国じゃなくて……『帰ってきたくなる家』がある国のことなんじゃないですかね」
アーサーの言葉が、古傷だらけの皇帝の胸に突き刺さった。
帰ってきたくなる家。
自分の国はどうだ?
恐怖で支配し、飢えさせ、戦場へ駆り立てる。兵士たちは、故郷に帰りたくて泣いているのではないか?
「……参ったな」
ヴォルダールは苦い笑みを浮かべ、残りのエールを一気に飲み干した。
「一本取られたわ。……会計だ、店主。釣りはいらん」
彼は金貨を一枚置いた。
この一杯のエールと大根には、戦車一台分以上の「敗北」の味が詰まっていた。
店を出たヴォルダールは、夜空を見上げた。
魔導街灯の光にかき消されず、星が綺麗に見えていた。
「……ヴェルム、と言ったか。あの若造(魔王)に、会わねばならんな」
もはや、偵察のつもりはない。
一国の主として、教えを乞うために。
皇帝は、王城へと足を向けた。




