第10話(第1章完結) ブラック国王 vs ホワイト魔王軍
ダンジョンの入り口前広場に、殺気立った軍勢が展開していた。
聖王国騎士団、五千。
しかし、その実態は見るも無残なものだった。
「進めぇ! 突撃せよぉぉ!」
後方で安全な馬車の中から叫ぶ国王。
対する兵士たちは、強行軍で疲労困憊し、鎧は泥だらけ。支給された食料はカビの生えたパンのみで、士気は最低(底辺)だった。
「ひぃ、ひぃ……もう歩けねぇよ……」
「相手は魔王軍だぞ……死ぬに決まってる……」
絶望する兵士たちの前で、巨大なダンジョンの扉が、重々しい音を立てて開いた。
ゴゴゴゴゴ……!
「来たぞ! 魔物の群れだ! 構えろぉ!」
隊長が悲鳴のような号令を出す。
兵士たちが震える手で槍を構えた。
しかし、扉の奥から現れたのは、凶悪な魔獣でも、骸骨の軍団でもなかった。
現れたのは――『湯気』だった。
「……ん?」
兵士の一人が鼻をひくつかせた。
戦場には似つかわしくない、食欲をそそる濃厚な香りが漂ってきたのだ。
肉の脂が焦げる匂い。野菜を煮込んだ甘い香り。スパイスの刺激。
「な、なんだこの匂いは……」
ズラリと並んで出てきたのは、白い割烹着を着たオークたち。
彼らは巨大な寸胴鍋をワゴンで運び、広場に「屋台」を展開し始めたのだ。
『いらっしゃいませー! 魔王軍「炊き出し部隊」でーす!』
オークたちが元気よく声を張り上げた。
『本日のメニューは「特製角煮シチュー」と「焼き立てパン」! さらにデザートに「冷えたエール」もあるよ!』
「なっ……!?」
兵士たちの目が釘付けになった。
ゴロっとした肉が入ったシチュー。湯気を立てるふわふわの白パン。
空腹の限界だった彼らの口内に、大量の唾液が溢れ出す。
「お、おい! 騙されるな! 毒だ! あれは毒入りだぞ!」
国王が拡声魔法で叫ぶが、その声は虚しく響く。
そこへ、ダンジョンの屋上から、魔王ヴェルムの声が増幅されて降り注いだ。
『聖王国の兵士諸君に告ぐ!』
ヴェルムの落ち着いた、しかしよく通る美声だ。
『君たちは、空腹だろう? 疲れているだろう? 家に帰りたいだろう?』
『我々は戦いを望まない。ただ、美味しい食事を提供したいだけだ。……武器を捨てて並んでくれた者には、このシチューを「無料」で振る舞おう』
ざわ……と軍勢が揺らいだ。
『さらに! 今なら「転職相談会」も実施中だ! 当軍に寝返った……いや、「中途採用」を希望する者には、今の給料の倍額を保証! 即日入寮可! シャワー完備!』
カラン……。
誰かが、槍を取り落とした。
「……倍額……?」
「……肉……」
「……俺、先月から給料もらってねぇんだ……」
一人が走り出した。
それを皮切りに、雪崩が起きた。
「飯だぁぁぁぁ!!」
「食わせろぉぉぉ!!」
「王様ごめん! 俺、魔王軍に就職するわーーッ!!」
五千の兵士が、武器を投げ捨て、一直線に「炊き出し」へと殺到した。
それはもはや軍隊ではない。ただの「ランチタイムの行列」だった。
「ば、馬鹿者ぉぉぉ! 戻れ! それは敵の罠だ! 貴様ら、反逆罪で死刑にするぞぉぉ!」
国王が顔を真っ赤にして叫ぶが、誰も聞く耳を持たない。
オークからシチューを受け取った兵士が、一口食べて涙を流している。
「うめぇ……」「生き返る……」「魔王様バンザイ……」
その光景は、完全に勝負あり(決着)を示していた。
「おのれぇぇぇ! 魔王めぇぇぇ!」
たった一人、ポツンと取り残された国王。
彼は怒りに任せ、懐から隠し持っていた「王家の宝玉」を取り出した。
国一つを吹き飛ばすほどの魔力を秘めた、自爆用の兵器だ。
「こうなれば道連れだ! 全員まとめて吹き飛べぇぇぇ!」
国王が宝玉を掲げた、その瞬間。
ヒュンッ!
一閃。
目にも留まらぬ速さで何かが駆け抜け、国王の手から宝玉を弾き飛ばした。
「なっ……!?」
呆然とする国王の首元に、冷たい刃が突きつけられる。
そこに立っていたのは、見違えるほど健康的な顔色になり、新品のミスリル装備に身を包んだ青年――元勇者アーサーだった。
「……そこまでだ、元・雇い主」
「き、貴様アーサー! 裏切ったのか!?」
「裏切ったんじゃない。俺は『より良い職場』を選んだだけだ」
アーサーは冷ややかに言い放った。
そして、彼の背後から、ドレスアーマー姿の王女エレオノーラが歩み出る。
「お父様。……いいえ、無能な経営者さん」
「エ、エレオノーラ……!?」
「あなたの時代は終わりました。この国は、会社更生法の適用を受け、魔王軍の傘下で再建することにします」
王女は悲しげに、しかし決意を込めて宣言した。
「あなたは『会長職(名誉職)』に退いていただきます。……もちろん、実権なしのね」
「そ、そんな馬鹿なァァァァァァァッ!!」
国王の絶叫が空に吸い込まれていく。
その叫び声すら、兵士たちの「おかわりください!」という元気な声にかき消されていった。
こうして、聖王国と魔王軍の戦争は、死者ゼロという前代未聞の結果で幕を閉じた。
これは後に『シチューの乱』、あるいは『大転職時代』の幕開けとして歴史に刻まれることになる。
ダンジョンのバルコニーからその様子を眺めていたヴェルムは、満足げにグラスを傾けた。
「ふん。……剣で世界を征服するのは三流だ」
隣に立つリリィが、呆れながらも嬉しそうに笑う。
「一流は、『福利厚生』で世界を征服する……ですね? 社長」
「その通りだ」
元社畜の魔王は、ニヤリと笑った。
彼のホワイトな世界征服(業務改善)は、まだ始まったばかりである。
(第1章「勇者転職編」 完)
感想、評価 励みになります。




