消えた落武者
この前、法事で5年ぶりに兄弟と顔を合わせたという同僚の話を聞いて
船引太郎警部は人生とは不思議なものだなと妙な感慨を得た。
一般的にはこの同僚のように成人すると血の繋がった兄弟といえども交流は自然減っていくものだろう。
だが太郎の場合は朝から晩までスポーツに打ち込んでいた学生時代よりも
捜査一課の警部として激務に追われる今の方がはるかに弟と会話をかわす機会が増えたように思う。
「それが殺人事件のせいでなければいい話なんですけどねぇ」
船引次郎は今日も今日とて自身の抱える難事件の捜査について助言を求めに来た兄に皮肉を並べる。
次郎の職業はVtuber、バーチャル探偵王子こと天海士郎の中の人であり
明晰な頭脳でネット上の視聴者から寄せられる様々な事件の真相を解き明かす推理ショーを売り物にしていた。
そんな名探偵の弟がいるなら使わぬのは勿体ないと太郎は部外者に機密情報を伝えることに
多少の葛藤を覚えつつも事件解決のためにその協力を仰いでいた。
「そう言うなよ。こっちも悪いと思って今日は手土産を持ってきたんだから」
「今日も、ではなく今日はなあたりが実に兄さんですね。
というか手土産としてはこれ最悪のチョイスじゃないですか?何です落武者クッキーって」
「さっき話に出てきた法事で帰郷した同僚の土産だ。そこは一風変わった落武者伝説が残る地らしい」
「というと?」
「消えた落武者。関ヶ原の戦いの後で敗北した豊臣方の兵士が生き残るために山野に逃げ込んだのはお前も知っているだろう」
「えぇ有名な話ですからね。その多くは苛烈な追撃に命を落としたそうですが中には生き延びた人もいるとか」
「同僚の故郷にも奇跡的に生き延びたさる高貴な身分の武将が側近と共に逃れ落ちてきたそうだ。
村人たちは落武者たちを温かく迎え入れると貴重な米や酒を振る舞い歓待して寺の一室に匿った。
そして追っ手を心配する落武者たちを安心させるために彼らの部屋の前に寝ずの番をする護衛の見張りを七名つけた。
落武者たちはそれを見て安心すると農民たちに深々と礼を述べ安心して眠りについたという。
しかし明くる日の朝、見張りの若者たちが部屋を開けると落武者たちの姿は消えていた。
剣や鎧など落武者たちの荷物もなく部屋にはただ自分たちを助けてくれた感謝の言葉を記した書状だけが残っていた」
「なるほど密室からの消失事件というわけですね」
「なかなかにミステリーだろう。何しろ部屋の前には寝ずの番をする見張りがいた。
部屋の中で不審な動きや物音があれば彼らが気づいたに違いない。
これでは定番のトリックの大部分が使えないな。
見張りの人数も7人だから全員が偶然同時に居眠りして不審な音を聞き逃したなんて可能性もまずないだろう。
何しろ見張りは村に来るかもしれない追っ手を警戒していたんだ。
自分たちの命もかかってる場面でそんな間抜けはいない」
「ですねぇ。それでその後の結末は伝わっているんですか?」
「村人たちは総出で落武者たちの行方を探したが見つからなかったそうだ。
人々は不思議に思い寺の住職に相談した。
住職は落武者たちは菩薩の導きを受けたのだろうといい残された書状を御焚上した。
するとその年から貧しかった村は落武者の加護を得て大いに繁栄したという」
「はーっ、それで落武者クッキーとはその村もいい商売してますねぇ」
「村だったのは昔のことで今は市になってるらしいけどな。
どうだ次郎、お前にはこの消失事件の謎が解けるか」
試すような口調の太郎に次郎は
「無理ですね」と即答した。
「おいおいそりゃないだろ。いつもは真相が分からん俺に兄さん推理の基本は根気強く考え続けることですよと言っておきながら」
「考えて解ける謎なら僕もそうしますよ。でもこれは解けない謎なんです」
「解けない謎?」
「どこぞの物好きな大富豪が建てさせた隠し通路とマジックミラー満載の館ならまだしも
大昔の辺鄙な村の寺の一室で衆人環視の状態から誰にも気づかれず複数の人間が消えるなんて不可能ですよ。そんなことはありえない」
「そういう一見ありえない状況にあっと驚く抜け道が用意されてるのがミステリーだろ」
「そうですね。ですがこの落武者伝説はミステリーなシチュエーションであるけれどミステリーではない。
この伝説にはミステリーにおいて不可欠な要素が抜け落ちているんです」
「不可欠な要素?何だそれは」
「出題内容が真実であるという前提です。この伝説はその前提が全て嘘っ八なんですよ。
おそらく実際はこうです。村人たちは高価な刀や鎧に身を包んだ落武者たちを見てそれを殺して奪うことをすぐに決めた。
だが敵は百戦錬磨、まともに戦ってはどれだけの犠牲が出るかわからない。
そこで貴重な米や酒を差し出してまで歓待するふりをしたんです。
その効果は抜群で連日の逃走劇に疲労困憊だった落武者たちはつい油断して深い眠りについてしまった」
「そ、そこを村人たちに殺されたと。証拠がないだろう」
「落武者たちが死んだ後、貧しかった辺鄙な村が不思議な繁栄を得ているじゃないですか」
「う」
「感謝の書状とお焚き上げは自分たちが罪悪感を持たず、祟りも受けずに生きていくための一種の儀式でしょうね。
当時は字が書ける人間が限られていたから書状が残っていたままだと
それが住職の筆によるものだと分かってしまう。だから焼いた」
「むぅ。それが真実だとしたら昔の人間は恐ろしいな」
太郎はそう感想を呟くが次郎の見解は違った。
「そうですか?僕は現代人の方が恐ろしいですねぇ」
「そりゃまたどうして」
「おそらく兄さんの同僚の故郷の人はこの真実を知っていますよ。
落武者狩りを村人たちの都合の良いように改竄していたって話は有名なミステリーの題材にもなっていますからね。
その上で落武者クッキーなんてものを作り先祖の恥を宣伝するように職場の人間に配るなんて神も祟りも恐れない所業じゃないですか」
次郎はそう言ってからからと笑いながら落武者クッキーを口の中へと放り込んだ。




