表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

だいたいバッドか、メリバか、ビターか

水に踊る

作者: あかね

 蝉が鳴かなくなった公園。

 スピーカーが高温注意のアナウンスを流す。

 熱をはらんだ風がぶらんこを揺らす。

 朝にはすこしはいた子供たちも退散して久しい。


 水飲み場から零れた水もすぐに乾いて、なにもない。痛みさえ覚える光でなにもかもを白く染め上げる夏。


 飢えて乾いて、それでも男はそのベンチにいた。

 汗一つ流すこともなくその場でじっとしていた。


「どうしたのかい?」


 誰かの声に男はのろのろと頭をあげた。

 日傘をさした誰かは影が黒く顔が見えなかった。


「きちんと水分を取って、熱中症に注意しなくてはね。

 もう遅いかもしれないけれど」


「水は、もういらない」


 ひび割れた声で男は告げる。


「干からびて死ぬ方がお好みかい? 違うなら、どこか別の場所で休むといいよ」


「いや、ここでいい」


 頑なに言う男に、日傘をさしたものは肩を竦めた。


「こう暑くてはゲリラ豪雨もくるかもねぇ」


 笑みを含む声に男は目を見開いた。その言い方が記憶にある誰かに似ていた。それを思いだそうとしてもかすみがかったように掴めない。


「逃げられるって、思えるところが本当に、かわいらしい。

 ねえ、そう思うよね」


「ええ」


 低く冷たい声が聞こえた。男はその声に聞き覚えがった。それどころか毎日聞いて、楽しく過ごしていた。

 ほんのすこし前までは。


「ちょっとした言い争いだったんだ。

 わかってもらおうと思って、すこし冷静になってもらおうと思って、飲みかけの水をかけただけで」


 それだけだったのに。水が滴る姿が、昔の恋人と重なって見えた。本当なのねと糾弾する声にうろたえて。


 あれは事故だった。

 男が気がついたときには、妻が倒れていた。そのとき、玄関のチャイムがなり、警察が表れた。室内を検分される前に、倒れた妻を隠さねばならなかった。


 描くし場所になぜ風呂を選んだのかはわからない。

 男は水の張らない浴槽に横たえ、ふたを閉めた。

 警察が帰った後に、見れば水が満たされ溢れていた。ほんのわずかな生臭さは腐った海水のように思えた。

 水に漂う髪が不意になくなり、妻の顔がよく見えた。横向きにいれたはずだったのに、天井を見ていた。

 目を開けたままの妻だったものは、男を責めているようだった。


 男は助けを求めるように日傘の相手へ視線を向けた。

 影になった顔に口元の笑みだけが見えた。


「それはかわいそうに。

 あなたは悪くないの。なにもかも暴いた彼女が悪いの」


「そ、そうだ。

 昔のことだ。海でうっかり足を滑らして落ちることなんてよくあるだろう? 助けを求める声もきこえないことも。俺は被害者だ。愛しい彼女が失踪して、」


 別れ際が明確ではなく、いつのまにか会わなくなったということもよくある。

 男は別れ話は海ですることが多かった。ごねられてもすこしばかり話をして優しく背中を叩けば解決した。


「その後、すぐに、他の女と結婚式。

 結婚式って半年前から準備するんですってね。

 いつから、邪魔だとおもってたのかな。最後と思って思い出の海なんて行かなきゃよかった」


 男は目の前の誰かの声も聞き覚えがあることに気がついた。

 青ざめてがたがたと震える男。


「すまない。ほんとうに、怒って帰ったと思ったんだ」


「そういうことにしておいてあげてもいいけどね」


「助けてくれ」


 その声に返答はなかった。


「ああ、降って来るね」


 水滴がぽつりと落ちてきた。

 男は悲鳴を上げる。水が、やってくる。

 水に意思があるかのようにすべてを満たそうとする。喉を通り、胃も肺も水で満たされてしまう。


 ぽつりぽつりと落ちてきた水は、すぐに量を増やし、轟音をたてる。


「たすけ……」


「そうなってしまってもまだ逃げたいとはね。

 本当に恐ろしいのは、人であるというのは嘘でもなさそうだよ」


「ええ」


 仲よさ気に話す二人の女に男は手を伸ばした。


「水に沈むのもわるくないわよ。水面も綺麗で人魚みたいになれるもの。

 でも、あなたは入れてあげない。

 みんなの気が済むまで、水で満たされればいいよ」


 気がつけば男の周りには他の女も立っていた。

 すまないと口に出そうとしても水で声も出ない。息ができなく苦しいのに死ぬこともない。助けを求める相手も誰もいない。

 ずっと同じ夢を見ているようにここで、……。



 その公園には幽霊がでるらしい。

 雨の日に踊る霊とそれを見物するような女が現れるそうだ。その場には、微かに海の臭いがするらしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ