16、最終話・そして婚約者は再び
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ゴトゴトゴトゴト。
夜明け前に王城を出発した馬車は、王都を出て、やや舗装の荒い街道を走っていた。
「また明日、って殿下とお約束したのに……」
「タイミングが悪すぎましたね、お嬢様」
レクシィと、豪腕侍女ミリフィは言葉をかわす。
冒険者スタイルで討伐へと向かう馬車の中なのだが、いつもなら標的モンスターのことを考えてワクワクしているはずのレクシィの表情が、少し沈んでいる。
「僭越ながら、行きたくないのでしたら、たまには仮病でお休みしてもよろしいのでは?」
「いえ、めっっちゃくちゃ行きたいです、クラーケン討伐。タコともイカともクジラとも言われる、正確な姿は闇に包まれた神秘の怪物……私の中での『一度闘ってみたいモンスターランキング』堂々の十五位ですよ!?」
「それ順位高いんですか?」
「だから討伐は今回も本当に嬉しいんです。
他の真竜級にも渡したくないです、この仕事。
ただ、殿下にご挨拶できなかったのが残念で」
「タイミングが悪すぎましたね」
昨日の舞踏会で、あの後ディノは予想通りずっと拘束され、会えなかった。
他の男と踊るのも気が引けるレクシィは、両親と合流し、早めに、王宮の一角にもうけられているタイラント公爵家の部屋に戻っていた。
深夜でも時間ができたらディノが会いに来るかもしれない、と、極力遅くまで起きていたのだ、が。
深夜にやってきたのは国王からの勅命だった。
それも、
『南方の海でクラーケン発生の報告あり。すでに沈められた船もある。
食糧ほか重要な物資の輸送の大きな妨げとなっており、このままでは国民生活が逼迫し、最悪餓死者など出かねない。至急討伐が必要と思われる。
夜明け前に王城を出発して現地に向かえ。
今回は馬車を用意しているので使用するように』
という、なかなか容赦ないものだった。
「たぶんですけど、わざと私がディノ殿下に言えないタイミングで伝えたんだと思います。
殿下に反対されると口で言い負かせなくなるので」
「ああ、なるほど。お優しい印象ですが、そういうところはズルくもありますよね、国王陛下は」
「殿下にお手紙を言付けはしましたけど、できれば今回は、直接お会いして言いたかったです」
ちなみに普段レクシィは討伐にはだいたい単身で出掛けるのだが、本来未婚の貴族令嬢が一人で外出するのはあり得ないことである。
そんなことをしたら悪評が立って結婚どころではないのだ、普通は。
よって、討伐に向かうことを知ったレクシィの母は、
『今回こそは絶っっっ対に、侍女を同行させなさい!』
とすごい剣幕で迫り、結果、冒険者なのに討伐に侍女同行という、これはこれで恥ずかしい事態になっている。
「侍女が申し上げるには分を越えた感想かもしれませんが、殿下とお嬢様は、政略結婚にしては絆が深いようにお見受けいたします」
「そうですか?」
「はい。殿下がお嬢様をとても大切にお想いになっているのは端から見ていても伝わってきますし、お嬢様も殿下のことは……何ともうしますか、可愛く思ってらっしゃるような」
「ああ……もうそれは……めっっっちゃくちゃ可愛いですからね、実際。
本人に聴こえたら激怒なので絶対外では言いませんけれど、実は勉強がすごくおできになるところも、しっかりなさっているところも態度の大きいところも王子の自覚を強く持ってらっしゃるところも格闘がお強いところも時々ちょっと感情に走ってしまうところも身長コンプレックスも、すべて可愛いです。あ、これ私、語りだしたらたぶん、朝までコースですよ?」
「それは慎んで遠慮させていただきます」
プエルタ王女がレクシィにどんなに冷たく当たってきても腹が立たないのは(ああ、そうですよね、殿下可愛いですよね~)というところで共感しているからだったりする。
(半冠奪還で殿下にご同行いただいたのは……読み違えてしまいましたけれど)
レクシィはあの時、再ダンジョン化は偶然であろうと、舞踏会の最中にダンスホールの床が崩壊してモンスターが這い出てきたのは出来すぎだと、何か人為的に図られたのだと思っていた。
いまにして思えば、半冠の魔法石の魔力が魔獣たちを刺激して地中で暴れさせてしまい、それが亀裂につながって、この出来すぎた偶然に至ってしまったのかもしれないが、その時はそうは思わなかったのだ。
ゆえに、あの時のレクシィは、どちらかといえばディノをここから移動させる方が何者かに狙われるリスクが高くなるのではないかと考えた。
同時に、レクシィ自身はこの場からすぐに動けない人々のために、早急にダンジョンの中を把握しておきたかった。
殿下も自ら半冠を取り戻すことを望んでいる。
私がそばにいれば殿下を守れる。
そういったことを複合的に判断して、あの時半冠の奪還、そしてディノの同行を国王に願い出たのだ。
そしてその読みは外れ、魔王相手にディノを危険にさらしてしまい、かろうじて魔法石の寝返りで勝てたわけだ。
読みが甘かった。ディノは地上に残し、騎士団に守らせておくべきだった。まだまだ修行が足りない。そう、内心反省していたところに、ディノに『頼ってくれたからだろう』と言われたのだ。
罪悪感はあるが、真意は墓場まで持っていこう。
実際、あの夜のディノは、とても……。
「なるほど。やはり、可愛い、ですか。殿下には確かにお聞かせ出来ない言葉ですが。
まぁ、王侯貴族の世界で愛のある結婚というのは難しいのだと思いますが、たとえ政略結婚でも、この先心を通わせれば、きっと素敵な恋もできますよね」
「こっ……えっ……いや、少なくとも今は殿下が未成年ですし結婚もまだまだ先ですし、お互い自制すべき時ですよね?」
「言葉や行動はもちろんそうですね。
ただ、心は動いてしまうものでは?」
「確かに、可愛いなぁっていつも心が動いていますけれど」
「そう仰いますが、お二人は三つしか違わないでしょう?
殿下の成長や言動に、ドキッとなさったことなどはないのですか?」
「ドキッと……うーん……」
どう答えたら良いか悩みながら、レクシィは口を開く。
「ああでも。
そうですね、あの夜の殿下はとても」
言いかけた時、馬がいなないて馬車が止まった。
「? どうかしましたか?」
御者に尋ねると「ああいえ、その、何ともうしますか……出てきていただいてよろしいですか?」と歯切れの悪い返事が。
レクシィは馬車の扉を開けて前方を窺う。
「……殿下?」
馬車の前方、腕組み仁王立ちで道のど真ん中で待っていたのは、ここにいるはずがないディノだった。
「で、殿下!? どうしてこちらに!? いひゃひゃひゃひゃっ」
思わず駆け寄ったレクシィの両頬を、ディノはやっぱりつねる。
「また、おまえは言われるままホイホイと……!!」
「いひゃいれすっごめんなはい殿下っ」
「まぁ、手紙をくれるだけ前回よりマシだけどな」
「れ、殿下は何故ここにっ」
「翼竜騎士団から一頭拝借して先回りした。いま木につないでいる」
「もう……今頃王宮は大騒ぎですよ?」
「本当なら連れ戻すか、一緒についていって道中延々文句を聞かせてやりたいところだがな。見送るだけで我慢しておく」
つねるのをやめてくれたが、ディノはレクシィの頬からその手を離さない。
その手でゆっくりと、宝物のように、包み込むように触れている。確かめるように、レクシィを見つめる。
「……殿下?」
「絶対に、無事で帰れよ」
「誰に言ってると思ってるんです?」
「婚約者に言っている。世界で一人だけの、俺の婚約者に」
名残惜しそうに、正面から真っ直ぐに。
見上げてくるディノの顔は、ほんの少し、輪郭や眉が大人っぽくなったと思う。
綺麗な瞳で、口づけされるのかと思うほど近くで見つめられ、鼓動が早くなるのを感じた。これが、ドキッとさせられるということなのか。
「……大丈夫です。
無事に帰ってきますよ、あなたのところへ」
微笑み、レクシィは言う。
噛み締めるようにうなずくディノ。
だが、そこで彼はガラリと口調を変えて。
「そういえば、『あの夜の殿下は』どうだったんだ?」
「!?」
「馬車のなかで言いかけていただろう。
さぁ、なんと言おうとしたのか言え。今すぐ言え」
「出た! 殿下の驚異の地獄耳!
ええと、本当になんでもないんです、というか、帰ってからお話ししても良いですか!?」
「わかった。帰ってから話せ。絶対話せ。忘れるなよ。声をかけるからな? 話せよ?」
「うう~……はぁい」これでは帰るまでに忘れてはくれなさそうだ。
本当に、大したことじゃない。
あの夜のディノ殿下はとてもカッコ良かった、という、ただそれだけの感想。
なぜか今、それを本人に面と向かって言うのが恥ずかしかったのだ。
馬車のなかで、知らぬ顔で笑いをこらえているミリフィが視界の端に入る。
はぁ、とため息をつくレクシィを、ディノは背伸びしてぎゅううっ……と抱きしめてきた。
前より力が強くなった、と思いながら、レクシィもその身体を思わず抱きしめ返す。
「行ってこい」
「はい」
二人は小さく笑って拳を合わせた。
【おしまい】
久しぶりの連載小説、中編とは言え無事完結できてほっとしております。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
原作を担当しておりますコミック
『王子、婚約破棄したのはそちらなので、恐い顔でこっちにらまないでください。』
1巻が本日4月30日に発売されます。
タイトルそのままの異世界恋愛ものです。
もし良かったらぜひお読みください。




