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第8話

「ねえ久理子殿。この部屋、何か特別なことでもあるのかしら?」

「ここは淑景舎という後宮でも北側の対の屋です。本来なら妃の部屋だけど、あんまりいない今、部屋があまっていて、女官たちの部屋にもなっています。あなたが新人なのにあてがわれたのは、破格の扱いですね」

 そう言えば、さっき、長池殿の金魚の取り巻き取り巻き(フン)も言っていた。

(そういう事情か) 

「ねえ、久理子殿、常盤御前ってどこにいるか、知ってる?」

「常盤御前?あの人気女流作家ですか?確か、以前皇后様の教育係をやっていた人ですよね」

「どこにいるか、知っている?」

 私は思わず、久理子の前に詰め寄った。

「いや、私もよくは知らないのですが、一節では、後宮の身分の高い妃の部屋にいるとも言いますね」

「どの妃の部屋?」

「噂ですが、後宮で身分が高い妃と言えば、一番トップが梅壺女御、その次が弘徽殿女御ですね」

「そこにいるの?」

「いえ、分かりません。私も下っ端で、来てまだ年数も経ってませんので。今まで、実際、見た事がありません」

「梅壺、弘徽殿、この二人は、後宮では、権力者よね?」

「はい。梅壺女御様は今の権力者右大臣様の娘、弘徽殿女御様は左大臣派です。右大臣様は陰謀を巡らす方ですので、左大臣はひどく嫌悪していて、朝廷では牽制し合っています」

 久理子は何やら考えを巡らした後、私に教えてくれた。

「もしも、常盤御前が女御様方のおそばに隠れているなら、あなたはあまり近づかないほうが良いですよ。右大臣派と左大臣派の争いに巻き込まれてしまいますから」



「た、大変ですえ」

 その時、急に白塗りで小太りの知らないおばちゃんが部屋に現れた。

 後宮の女房は皆、白塗りの厚化粧している人が多いからこれが通常なのだろう。それに私は今日来たばかりだから、皆知らないおばちゃんばかりだ。

「何ですか?」

 来てそうそう。あまりにいきなり、騒々しいのでなくて?おまけに暑苦しいし、そう、内裏は暑い。まあ、先ほど、私が勝手に内裏を走り回ったせいなんだけど、盆地の真ん中だし、正式の唐衣ってのはもう、いかにも暑い。

「そ、それが、右大臣様がこちらに来ると」

「えっ?」

 私は扇いでいた扇を落した。



「そちが、大納言の娘、か」

「は・・・・」

 入って早々、私は何やらわけの分からぬ状況に陥っている。

 時の右大臣藤原道徳(みちのり)が私の部屋にやって来たのだ。

「寵愛を受けた姉翠子殿の妹と言うが、姉の意向を嵩に着て、この後宮で権勢を振るおうとするのか」

 お偉い御大臣様だ。言うこともどこかお偉い。おまけに、どこへ来てもふんぞり返っている。

「そのようなことはありません。私は書物が好きで、とくに常盤御前の書いた作品が好きで、ここに来たら彼女に会えるかもしれないと思って来ただけです」

「ほんとに、それだけか?本当に、ほんと?」

「はい」

「ぶ、ははは」

 右大臣はさもおかしそうに私を見て笑う。あまりにゲラゲラ笑うものだから、むっとしたほどだ。

「そうか。そうなら、まあ、敵ではないのう。後宮の恋物語だの、冒険だの。なら、小説を好きに読めば良い。それだけのために来たのであれば、梅壺の敵になるようなことはせんだろ?」

「はい」

 最後の目が本当に本当か?と、殺人的にきらーっと野蛮に光り、背筋に冷たいものを感じた。

 けど、私はもちろん、政治的なものに関わる気もないし、寵愛も争う気もないから、はっきりと答えた。

「愉快。それなら、お主の好きにしたらいい。常盤御前の作品なら、こちらに作品の歌を呼んだ書が書かれている。何か参考になるか分からないが、お主に与えよう」

 そう言って、右大臣は顔をほころばせてくすくすと、持っていた扇を私にくれた。

「ありがとうございます」

「右大臣様、そろそろ・・・ここは後宮ですので」

 戸口から、高官の侍従が顔を出しおろおろしているところを見ると、やはりここは後宮。女御の親族とは言え、男が我が家のようにうろうろするところではないのだ。

「ただ、そうは言っても・・・帝は若いし、良い男ゆえ、若いそなたもついほだされて」

「ありません」

「それなら、良かったわ、ふっふ」

 しっかりと念押ししていくことは忘れなかったが、私が強気で答えるとまた機嫌が良くなって、右大臣は帰っていった。

 ちょっとお茶目なおじさんって感じ。

 時と場が違っていれば、楽しく語らうことも出来そう。でも、右大臣は、帝の第一妃、梅壺女御の父であり、朝廷での第一位の座に就く高官。自分の娘が帝の寵愛を奪われないかと、様子を見に来たのだ。

「あー、心配した。いきなり右大臣が来るから、あなた、どうなることかと思ったわ」

 隠れていた久理子が、屏風の裏から転がり出てきて、私の足元にくっついた。

「この内裏では右大臣に睨まれては生きていけないの。今は右大臣の権勢が大半を占めていて、左大臣側を駆逐する勢いなのよ。ちまたでは、最後の一手で、昔の東宮傅が王族に誤って弓矢をいかけたように、左大臣も最後の追い込みをかけようとしていると言われている。よくもまあ、あなた無事で生きて残れたわね」

「そうなの?でも、あんなおじさん、大したことではないわ」

「よくありませんよ。右大臣は陰謀家で有名なの。敵対する左大臣派の人らは左遷されたり、降格されたりしているのよ。気に入られなかったら、どこかに飛ばされるかしれないわよ」

「でも、扇をくれたわ。悪い人じゃない。少なくとも」

 少なくとも、私には、まだ・・・

 若竹物語の一シーンを書いたその扇を私は広げて、ため息をついた。

 高貴な貴人のために作られた高級品の扇だ。右大臣ほどの家だ。都に専属の専門店があるのだろう。うちにも、一応、扇や着物を作る専門の店があるが、それよりもすごい逸品だ。綺麗。

 白い和紙に水の流れ、松の葉、蓮の花が書かれている。



寄せ来る浪も 恋渡る 常盤草

 つくからに 千歳の坂も 越えぬべらなり


 若竹の君と天人の美女とが、長い旅路の果てに、蓬莱山で出会うシーンだ。 

 物語の中でも、いちばん心に残る名場面だ。


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