第7話
(何か、ここ、妙にしんとしているわ)
返って、新入りには気持ちが休まるようだけど・・・
なぜだか、背後の部下がきっと思いっきり私を睨んだ。
「はひ」
その剣幕に押されて、私の口がうまく閉まらなかった。
「とりあえず、今日明日は忙しい。帝の催す管弦楽の夜会があるのじゃ。用意に、女御様方も忙しい。宴会の用意をする女官たちも夜を徹して働いておる」
そう言えば、先ほどから、ばたばたと後宮の女達が走っている。
「おぬしの相手も出来ぬ。後日の片付けも含めて、出来る限り、その場の手伝いをせよ。出来ることでいい」
「はひ。ありがとうございます」
「フン、二度と我がままを言うでないぞ、大納言の娘とて、後宮では一家臣に過ぎぬ。ぬしが失態を犯したら、推薦した私の落ち度になる。その時は、己で責任を取ってもらうからな」
「は、はび」
ようやく、まともな返事が出来た。
どうやら機嫌を悪くした長池殿は、ふっとそっぽを向いて長い廊下を歩いて行ってしまった。
「長池殿、なぜ新参者に部屋が与えらえるのですか」
「そうよ、長年働いている私らだって、いきなり部屋はなかったのに」
「これ、静かに。上からの指示なのじゃ。言うでない」
とたん、長池殿の後から金魚のフンのようについていく手下連中が、騒がしく、こちらを見ながら聞こえるように言っている。
(な、何?この部屋でも問題あるの?)
長屋で、仕切りもほぼない。単なる部屋だけど・・あの人らには与えられなかったのかしら?
周りはうるさい。確かに近い宴会の用意で忙しい。
あちこち移動できる機会だ。この機を活かさないなんてもったいない。(よし、やろう。このあたりをまず調べて、後宮を調べて、常盤御前がどのあたりにいるのか探すの)
私はそう思うや早く外に出て、階を降りようと、あたりを見回した。
履物を履いて、階から外へ出て行こうとして、とたん、簀子縁の下にいた、目がきらっと光って、私は飛び上がった。
「わ」
「わお」
私とその子は同時に声を上げた。
「ど、どうして、こんなところに、あなたは?」
「あー、ご、ごめんなさい、ここで、休憩していて」
その子は、簀子縁の高い縁の下から、ごほごほと喉を押さえて出て来た。
「まがりを食べていたので、むせた。久理子と言います。うるさい上官にさんざん、イジメられ・・いえ、仕事を押し付けられて困っていたから、ここで休憩していたのです。あなたも、何かあったでしょうね、分かります。昼からいたので」
「じゃあ、私が来た時からここに?」
「はい」
何時間もここにいたのか。
よっぽど上司が嫌だったのね・・・
「一応、私のほうが先輩ですし、何でも聞いてください」
久理子は唐衣の裾をぱんぱんとハタく。体も顔も蜘蛛の巣でゴミだらけだ。
「私は今日から来た椎子です。これ、どうぞ」
私は部屋にあった持参の竹の水筒を差した。
「ありがとう。宮中では水も貴重ですよ。あなたは賢い。これからは、飲み水も貴重になります」
「そう?分かったわ」
「悪口は気にしないほうが良いですよ。ここでは日常茶飯事ですから。失敗をしたら、上から追い落とされるから、皆、必死で、牽制し合ってるのです。いつか、自分の失敗を誰かになすりつけようと思って」
都の気温の高さのせいか、久理子は水筒を手離すことなく、また水をぐびぐびと飲む。
「上を目指さなければ、追い落とされる対象にはならないですよ。でも、あなたは帝の寵愛の桜の人の妹君ですね?それは皆からやっかまれても当然ですね」
桜の君ってのは、姉のこと。
帝が桜の下で出会った姉のことをそう呼ぶので、私達家族しか知らない名だと思ってた。
(それまで、後宮にダダ漏れだったのね。久理子殿みたいな下の者まで噂が広がっているっていうことは、そりゃ、皆が知ってて、険悪な目で見てくるわけね)
都では噂が一日千里を走るという。帝の密やかな想いと思っていたけど、あたり一帯、筒抜けとは、秘密も何もあったものじゃない。
「姉のことは誤解よ。姉は入内しようなんて思ってない。姉が入内を企んでいるとか、寵愛を得るために渋っているとか、それはデタラメよ。結婚なんてないかもしれないわ、姉は嫌がっているもの」
「そうなの?」
「そうよ。だから私がここに呼び出されて・・・私だって、なぜここに来たのか分からないもの。姉やうちの大納言家との、さまざまな見えない力によってとしか」
「なら、私と同じね。私は地方豪族の娘で、朝貢の証に私が差し出されたんです。年季が明けたら、里に帰って、結婚出来るって。それまでの辛抱」
「じゃあ、あなたも何かの代わりに?人質ってこと?」
「まあ、そういうものですね。ここって、皆事情はそれなりにありますが、まあ、皆、似たような者ですよ。いつか年季が明ける、それまでの辛抱って思ってるんじゃないですかね。私はそれまで、ここで都見物して、のらりくらりやろうと思ってるんで」
後宮はさまざまな者の寄せ集めで、任期が来たら終わり。
(そう考えたら、私も気が楽だ。久理子殿の言うとおり、好きにやればいい)
考え方もやろうとしていることも、私と似ているものがある久理子に私は馬が合うものを感じた。
「ねえ、久理子殿、夕闇の皇子ってのは、何者かしら?」
久理子は飲んでいた水筒をぼろっと落としかけ、目を剥いて驚いた。
「あの人とは何が?あの人は、内裏でも特別な方です。帝のご親族であらせられますし、帝の御寵愛を受けておられます。歌の才能、眉目秀麗、その人格から、内裏での注目を集め、後宮でも女たちが奪い合っているぐらいで、夕闇の綺羅の君と言われています。闇夜の中に輝く星のような方だから。皆の憧れの的なのです。それゆえに、近づけば、女たちのやっかみが来ます。心を奪われでもしたら、嫉妬に狂った女の餌食になりますよ。近づかないほうが良いですよ」
「ううん、そんなのじゃないの。ただ、あの人は思ったより、きさくな方だなあと」
なら、やっぱり近づかないほうがいいと私は思った。
悪い人ではないとは思うけど・・・
(好奇心で後宮に来ただけの私に、親切に情報を教えてくれた。あれは、気のてらいのない、単なる親切だった。そこらへんの道端で困っていた婆様を助けるような、気の良い若者のような親切心があるのだわ)
でもやはり無理そう。
「内裏のときめきたる者と言われる面子の中でもトップですよ。都に出たら、都中の女が移動するとも言われているぐらいです。あの右大臣でさえ一目置き、内裏の半分の権勢は、夕闇の皇子の意向で決まってしまうと言われるぐらいです。いくら椎子殿が気に入っても、近づかないほうが良いでしょう」
「違うけど、分かったわ。そんなのじゃないの、ただ、特別そうな人だから聞いただけ。やっぱり特別な人だったのね。それなら近寄らないわ。ときめきの君に取り入って、人気者になりたいわけじゃないの。むしろ、大人しく読書したいほう。だから、私は大人しくしていることにする」
「それならいいですけど、十分、注意してくださいね。女たちの嫉妬も、男たちの嫉妬も怖いですよ。嫉妬で左遷された話は、内裏や後宮で何度も聞きますからね」
いざとなったら力強い味方にはなってくれそうだけど、反対に嫉妬勢力に恨まれるのね。