第8話
そうかあ。後宮にはいろいろな勢力や思惑が入り込んでいて、入り乱れるのね。
それで権力闘争が起こって、帝は勢力の均衡を気にしている。
私が後宮に来たのは、意外と根っこが深いかもしれないわね。単なるあいつの片思いかもしれないけど。
今の情勢では勢力対立の抗争はずっと続くだろうから、生半かなことでは、私、外へ出られないかもね。
でも、まあ、出るけどね。そういうところ殊勝な心掛けのことはしないと思う。私、けっこうわがまま姫君だから、そういうところは根っから、姫君に出来ているのよね。
「何やら煙おすなあ」
偉い何某という僧が呼ばれ、後宮でも低い読経の声が続き、もくもくと煙が上がった。
読経をする場には大勢の人が行って、集まるし、女御様方もここぞとばかりに勢ぞろいし、我こそが帝の御ために読経に励んでいる。
後宮がいかに寵愛争いがあり、物騒なところか分からされたと思っていたら、次は得体の知れない読経か。
読経で何やら燃やす匂いがあたりに立ち込め、低い低音がずっと聞こえ、暑い最中だ。空気がむっとしている
「何があったのですか?」
私はちょうど図書寮へ行く用事があったので、渡殿を歩いて、おばさん女官に声をかけた。
「分かりませんが、何か穢れでもあったのでしょう」
おばさんは口にするのも嫌という顔をして言う。
「何やら、誰かが死んだみたいで、それが妙な死に方で、呪いがあったのだとか、祟りがあったのだとかで、内裏も大騒ぎです」
内裏は帝のおわずところでハレの場でなければならない。ケがあれば、その原因やものを祓わねばならないのだ。
うちでも物忌だの方替えだので読経が続くことがあるが、それが帝のおわす内裏ならさもありなんだ。
「これはこれは」
後宮と紫宸殿の間の廂まで近づいたら、誰か声をかけて来た。
「帝のお気に入りの椎子姫でないか。ちょっとこちらに来て、お酌をしなさい」
人の少なそうな渡殿を渡って、ひょいと次の殿閣に入って誰もいないと思っていたのに、南廂の中にあのおじさんがいたのだ。
「なんでこんなところに?」
「いや、ここで帝と会って帰るところだが、話が混んでいてな。先ほどまで続いていたのだ」
黒い衣袍を来て、長い烏帽子を被って、衣も身に着けるものも上質で、きらきらして、今日は高官らしい姿だ。
「右大臣様は、常盤御前と何か関係があるのですか?」
普段、梅壺のわがままな振る舞いを見ている今、おじさんも好意的に見られない。
とりあえず、右大臣のおじさんは娘に甘い。甘いからああして、つけ上がるのだ。
おじさんも、娘可愛さに、どこまで手を回しているか分かったものでない。
そもそも、だ。朝廷一の権力者だ。誰よりも一番怪しいと言えば怪しいでないか。常盤師匠の情報を、一番知っていてもおかしくない。
「おいおい、この私にそんなことを聞くのか?」
この扇も持っているのに、この人も師匠の物語に興味があるはずだわ。
「そうだな、あれは私が先代に仕えていた頃からいたが、詳しくは知らぬ。後宮の一女房のことなど、いちいち追ってはおられぬよ、私は他で忙しい」
内裏が権力闘争の場となると、右大臣も本当のことを言っているのか、疑わしくなって来る。
右大臣様は、何か隠していらっしゃる?
「あの人は陰謀を詳しく調べ、物語に活かしていたが、そのせいで陰謀に巻き込まれたかもしれぬ」
「仲が良かったのですか?」
「後宮の女房だ。いくら私が権勢家だとしても、気安く近づける相手ではない」
右大臣は私の疑り深さに気づいて、おかしかったのか、ぶっと大笑いする。
「そういや、そういう陰謀で、恨んで死んでいった者たちに恨まれたかもしれぬな」
「恨み?」
「そうだ。内裏には鬼が出るぞ」
くつくつ笑って、ますます、私を煙に巻く。
背後には今も読経の煙が立ち昇る。ますます怪しく見える。
「案外、常盤御前も呪いを受けて、殺されたかもしれぬ」
「呪い?いえ、あの師匠なら、呪いなどぶっ飛ばすのでないでしょうか。誰よりもどろどろした陰謀を書いていましたから」
「何、呪いすらぶっ飛ばすのか。お前の師匠は。いや、しかし、ここは禁中。あまり不吉なことを言わないようにしなさい」
「何か情報がありましたら、知らせてください。そうしたら、私はこの後宮から出て行きますから」
「ほんとに?権勢の頂点に立てるかもしれぬのに、後宮の輝かしさに未練はないか?」
「ありません」
そう言って、私はそうそうにその場を離れた。
(本当に、本当に知らないのかしら?)
梅壺に私を狙わせて、一方でこんな扇子をくれて、いったいどういう気よ?
右大臣も疑惑濃厚。政治の中枢に居座っている男だ。
先の皇后の死は、梅壺のイジメられたから、とも噂もあった。
私も疑り深い性格だ。いったん行ったふりをして、廊下の壁からそっと相手を伺った。
「右大臣殿、こちら訴状が届いておりまする」
「誰でも大きな土地を所有して良いということになったら、私の権勢が不安なようだの、参議」
「いえ、そのような」
「しかし、土地を開墾して、農地の少ない小作農に与えるのは悪いことではない」
「しかし、そのような改革は、王朝開設以来、何百年もしたことはなく」
「したことがないことが悪いことでもない。たとえば、未だに皇太子の座が決まっておらんが、我々の強い結束により、帝をお支えすることが出来ている」
「その皇太子の座もですが、そろそろ決めておかねば、政情不安定になりますゆえ、朝廷内部からも声が上がっていまする」
「ほう、政情不安定とな。そういう不遜な輩が出始めているのか?」
「い、いえ。あくまで一般論で」
「はき違えるな。我々は帝をお支えし、国家の安泰のために尽くす家臣ぞ」
「は、はい」
「土地開墾の改善は、これで進める。他の参議や朝廷にも、その話しを伝えるように」
「は・・・」
(へえ、あのおじさん、右大臣らしいじゃない。右大臣みたい、あ、右大臣か)
「こーら覗き見。取っ捕まるぞ」
柱の影から、御簾の中に引っ張っていかれた。誰かと思ったら、夕闇の皇子だった。
「あ、あなた・・・?」
「右大臣のおじさんに会おうと思って来たら、ここに椎子ちゃんがいたから、逢引しようと思って。いいもんみっけ」
私の頭をなでなで。世界一かもしれない色男。整った目鼻立ち。麗しい綺麗な目で色気が立ち昇り、確かに見惚れるぐらい男前だわ。
「そうだ。ちょうど会ったからいうけど・・・・右大臣の屋敷にもぐりこめない?」
「え?なぜに、そんなことを聞くんだ?」
「師匠がいるかもしれないもの。ここにいないなら、もしかしたら、あのおじさんの家に隠れているかもしれない。右大臣の家って広いもの」
「それはいないな」
「えっ?どうして知ってるの?」
「私は右大臣の屋敷を知っているが、そんな女はいない。女房の女は全部、知っている」
夕闇の君は何か言いにくそうにして、扇で口元を隠している。
(ええ?まさか、右大臣宅の女房、全員、手、出しちゃったわけ?)
夕闇の王子が動くと後宮の女が全部動くとか、権勢もついていくというけど、さすがに退いた・・・
「つかぬことを聞くけど、左大臣の屋敷にも」
「いない」
「では、先代の」
「いなかったな」
断言なんて、そっちも?。
(だ、内裏の男って・・・)
まあ、これで、右大臣宅へ侵入する手間は省けた。なんて思っていいのかしら・・・?
「あなたも・・・常盤御前のことをどこまで知っているの?」
あとは、この人・・・。
最初会った時、若竹物語の話をして、陰謀に巻き込まれたと言ったのに
、本当は、自分が関係者だった。
「あなたは永城天皇と、どういう関係なの?」
夕闇の王子はすっと暗い影をまとう。やはり、聞いてはまずい闇を開いてしまったようだ。己の父の謀反のことだものね。それも前代未聞、かなり奇抜な帝だったみたいだし。
「私は確かに、先々代の息子。先々代が先の帝を押しのけ、都をわが物にしようとした。その父の息子。私も、後悔している。己が生まれたことを。私も、疑問視している。ここに己がいることを。私は常に、父の存在があるために、口さが無い民の心無い言葉を気にし、さいなまされる。君らは、あれで終わったと思ってはならない。永城天皇は今でも、再び天皇に返り咲きしようとしている。内裏では右大臣、左大臣が覇権争いをしており、わが父からも、清流帝は勢力を削がれている。父が清流帝の皇后の暗殺に関わった容疑があるが、私も証拠がつかめずにいる。だから、私も清流帝にも申し訳なくて・・・、職を辞すことを申し出たのだが、清流帝は兄のように信頼する私がそばにいて、支えてくれるほうが良いと私を留めた。私は恥を忍びながら、好意を向けてくれる帝に甘えている。幼少の頃より、私も弟と思って接していた帝を、決して何からも、傷つけてはならぬと、今後、必ず帝をお守りすると心に誓いながら、それでようやっと生き恥を耐えていられるのだ。そして、父がまた都に来ないことを願っている」
夕闇の君はやはり、父の起こしたことに悩んでる。
(もし、城戸天皇の一味が、帝の皇后(妻)を殺したとしたら・・・?弟みたいなものだもの。弟の奥さんを、自分の父親が殺したら、そりゃあ、悩むでしょうよ)
父親のせいで、帝に即位した清流帝のことも。
そりゃ、迷惑なことよね。女のことは自業自得と言えるけど、朝廷での権力争いにも否応でも関わり、次期皇太子にも押し上げられそうになってもいるし。
内裏では権力闘争があって、それは驚くような陰謀や嫉妬や妬みが投げつけられるから、夕闇の君だって、内裏を半分連れて歩いていたって、半分は小石を投げつけて来るのが必定。
それに耐えて、生きている。力と名とがある華々しいこの人も、そうなのだ。
先代も夕闇の君とは親族にあたり、清流帝もそうで、それが夕闇の綺羅の星と言われるほどの権勢を持ちながら、これほど誠実さを見せられる人の、大きな負担になっているのだ。
個性的なまでに魅力ある人で、輝く星のようにまばゆいのに、とても悲しいものも表情の中に浮かべているのは、そのせいなのだ。
「私、私に出来ることは・・・?」
この後宮で奇しくも出会って、旧知の間柄とまで知り合って、優しく思ってくれる相手に私は何かしたいと思った。
「心配するな、お前ごときに心配してもらうほど、私は弱くない」
夕闇の君は私の頭をくしゃっと撫でて微笑んでくれた。
「私は心配ない。お前は己のことを心配しろ」
「私は師匠探しをしているだけでいいの?あなたのこと・・・」
「私はお前が心配するほど弱くない。お前のような子供に、助けてもらうほど落ちぶれてはおらぬ。お前が私とどうこうなろうと思ったら、それは一線を越える覚悟をするのだな」
「あーまた、女たらし」
そうだ、忘れてた。この人、女クセは悪いのだ。魔性の魅力があるんだった。近づいたら、いけないんだった。
「でも、ま、この内裏で、権力だの、力だの、金だの、それを奪い合うばかりの輩が多いのに、お前はまったく、何でもないことを気にかけて、毎日を何事もなく乗り越えていけるのだな。ある意味、すごい力だ。私にはそんな力はない。それで、毎日楽しく過ごせているのだろ?幸せな脳で出来てるな。単純で良いというか、お気軽というか」
「あー、私のこと馬鹿にしてる?」
私が憤慨したのを、夕闇の皇子はぶっと大笑いした。
「この世に、お前のような、何でもない者がいることは、私の救いだ」
私はまた頭を撫でられ、何か言おうと思ったことを、魅力の笑みで否応なく引っ込めさせられた。
でも、ま、確かに魅力も実力もある朝廷の人気者に、私がしてやれることなどほとんどないだろうけどさ。
「永城帝の周辺もまだ不穏なものがある。あの帝の動きにも、注意するのだ」
「うん」
「私もあの永城天皇を阻止するなら、何でも力になる」
「うん」
彼をただの人気者として見ている人には、彼がどんなに気が細やかで、優しいか、それとともにもろさも持っているか。知らないだろう。だから、きっとこのこの人も孤独に耐えている。きらびやかで、誰よりも恵まれた生き方をしていると見えても、本当は支えてくれる人が必要に違いない。その人が現れるまでは、私はいつまでも、この人を支えよう。
私は彼の隣で、そっとそう思った。
「何かあったら、また、私を頼るように」
「はい」
最後にそう言って、魅惑の笑みを浮かべて内裏の奥へと戻って行った。
私には彼の深い光を感じた。同時に、落ちていく夕日を見る思いもした。
夕闇の君がなぜ闇にきらめく綺羅のような人なのか、改めて分かった気がした。
輝く夕日だから、あの人は。
大きな闇を抱えて、それでもなお、立ち続けている人だから・・・
(それにしても・・・)
女の数・・・




