第6話
「いいなあ、常盤御前かあ。君が好きな人は、女流作家なんて素敵だね。僕の探すのは、とても到底、手の届かないものだから」
夜の演出と、謎めく雰囲気に最初は陰険な人の一人かと思ったけど、ぜんぜん気さくで話しやすい。常盤御前に興味を持っているってところも好感だ。
「あなたは、雪風人は、何を探しているの?」
「僕?僕は・・・・」
ざあっと風が吹いて、闇の木の葉が飛んで、雪風人の涼しい目元が一瞬ぎらりとひらめいた。
「僕は、この世に類まれな秘宝、かな」
一瞬で雪風人の表情が変わって、何者なのか、分からなくなった。
「それは・・・宝来の白銀のこと?」
「それは権力争いの道具だ。もっと、もっと貴重な、手に入らない、重要なものだよ。まあ、例えて言うならそれぐらい稀有で、得がたいものというほうが良いかな。それが得られたら、田舎生まれの僕の一生もあがなえるぐらいのもの。君なら分かってくれる気がする。すごく欲しいのがあるのに、手に入らない気持ちを」
「うん、分かる、分かるわ、雪風人さん」
私は雪風人が遠くへ消えかけていくように見えて、慌てて言った。
「そういうものだよ。内裏は得難いものがあるようで、手に入らない所だ」
私は先ほど見た、気さくな雪風人に戻って欲しくて話かけたけど、どんどん雪風人は遠い人になっていくみたい。暗い壁を巡らせて、冷たい風が吹いているように思えて、私は必死に追いかけた。
「私、私で出来ることがあるなら、手を貸すわ」
だって雪風人は子供っぽい子だもの。そんな夢見たら、手の届かないものなのにすぐ失敗してしまうわ。
くすっと雪風人は笑う。
「内裏で、あまり僕は人に興味がないのだけど、でも、君はまた会いたいな。常盤御前、もしも見つけたら、僕にも教えてくれよな」
朗らかな少年で、明るい笑顔を振りまいていた雪風人は、いつの間にか私の心に入り込んでいたのに、気づけば、最初出会った時のように、桜吹雪を散らせた雪風人の姿に戻っていた。
それは私に害をなした雪風人で、冷たい風を感じるごとに、私は寒々しいものを感じた。
「うん」
「君も気をつけてね」
雪風人は私に微笑むけど、びりっとするものを発する。冷たい壁の中でも、優しさが感じられるけど、私は心臓がどくんとする。
「君のいる後宮、つまり、妃嬪らは、多かれ少なかれ、内裏での権力と関係があるところだ。だから、気をつけて。右大臣派は権力一党、左大臣派は学閥派を集めて、対立し、今か今かと敵が転ぶ時を待っている。内裏は右も左も入り乱れる容赦なき世界。君はそれに巻き込まれないようにね」
「うん、分かった。雪風人も気をつけて」
最後は笑って、雪風人はまた笑顔を見せてくれた。
またね、そう言って、雪風人は去って行った。
(欲しい物。雪風人にも欲しい物、いったい何だろう)
いったいどんな物が彼にとって、手の届かない存在なのだろう。
誰でも欲しいものはある。きらびやかなもの、尊敬するもの。とても欲しいもの。
誰もが皆、そこまで追いかけていこうとするけど、遠くて、手が届かない・・・
内裏は権力闘争。雪風人の欲しいものも、それなの・・・?
何を探しているのか分からないけど、雪風人は遠いところにあるものが欲しいと言ったのだろうと思う。そういう気持ちは分かる気がする。
私もそう。常盤御前。若竹の君・・・全部が手が届かない。だから、追いかけている。だから、雪風人の言う気持ちは分かる。
「帝のおわす宮中は、華やかな栄華を得られる場。夢見る者、栄華を求める者が大勢いる」
背後から、若竹の君が出てきて・・・もとい、右少史の道臣が出てきて、私は飛び上がるほど驚いた。
(遠いところって思ってたところで、近くにいた)
いや、距離的にだけどさ。
「う、右少史殿?いつからそこに」
「先ほどから。ようやく入って来れたので、本を返しに来たよ」
道臣は前回、私から借りた本を持っている。
「いるならいるって言ってよ、驚くわ」
「話中だったんで、右衛門の少尉殿がいたし、邪魔したら駄目かなと。それに僕が後宮の中にふらっと出て来たら、おかしいだろう」
「それなら、あの人もそうじゃない?」
「少尉殿は衛門府だから、警護で出入りすることは出来る」
そうか。あちらは仕事。ここにいても、おかしくない。道臣とは密会になる。男と逢引したと言われる。
逢引、密会、の言葉に顔を赤くして、私は言った。
「そう言えば、助かったわ。ありがとう」
例の、筆事件の件は、若竹の君が情報を入手し、久理子を呼び出し伝えてくれたことだ。
「ちょうど、内裏で主計頭と史生が話しているのを聞いたんだ。主計頭は弘徽殿女御の後ろ盾を得ているから、何かやるなと」
「よく教えてくれたわ。あれがなかったら、危なかった」
「一介の事務職員の僕が、耳目を張り巡らせているとは、誰も思いもしないだろうね。でも、内裏にも君の手下はいるのだよ。それもまるで想像も出来ないような男、僕」
道臣はいたずら少年のような微笑む。
「敵も、誰が関わっているかなんて、判明しないだろう。僕が君と仲が良いことなんて、久理子さんや大和を除いて、誰も知らない。だから、大丈夫。どこから情報が漏れたかなんて分からないよ。また、君の手下になって聞いていてやるよ。君も後宮や内裏では、壁に耳ありと思って気をつけないと。内裏などでは、特にね」
私は周りをきょろきょろ。
「何してるの?」
「いえ、帝の密偵がいるのでないかと」
「いてもおかしくないが、この周りは、誰も見なかった」
なんかいるかもしれないね。あやつのすることだから。
「それにしても、ありがとう。何とお礼を言っていいのか分からない」
「筆と聞いて、やることは分かった。女御様など、王族の方の持ち物は、特別なしつらえをして作られ、下々の者には手に入らないものだからね」
「今回はあなたが気づいてくれて助かった。でも、次は太刀打ちできるかどうか・・・」
「僕も君の立場が難しいのを知ってる。大丈夫、僕も内裏に毎日勤めに来るし、いつでも見てる。何かあったら、次からも助ける」
「でも、何度もそう助かるかしら」
「何とか、なる、はず。宇多大和も一応、助けてくれる」
「いいの?私のためにそんなことをして。出世に響くかも」
「内裏で陰謀を聞いているだけさ。僕など何にも思われてない、家柄も良くないし、皆からも出世コースはないと思われてる人間だ。残念だけど」
「でも、後宮は嫉妬深いわ、内裏も右大臣も左大臣も分かれて争っているし、あなたも目をつけられたら」
「内裏では、誰もが右大臣か左大臣か、で争っているけど、中にはどちらつかずの人もいる」
「でも、そんなに、赤の他人のあなたに迷惑をかけられない」
「だって、君は姉の身代わりに後宮に入らされて、一人きりであのクズ帝と戦ってるんだろ?僕が助けないと、せめて、僕ぐらいは、可哀そうじゃないか」
「わーん、嬉しい、右少史殿、後宮に来て心細いけど、あなたがいてくれるから、安心できる。ありがとう、何て言ったら、お礼をどうしたらいいのか・・・」
私は思わず、泣いた。
「な、泣くなよ」
思いっきり顔を歪めて泣いたから、道臣は戸惑っている。でも、私の涙を拭いてくれる。
「君がいないと、せっかく会えた読書仲間が減るじゃないか。本の借り貸しも出来なくなるだろ」
本を持って必死で言い募る。あのページの重要箇所が第二版にはないだの、この文字で本物と分かっただの、汗をかきながらえーととか、指を眉間に当てて何枚目から何枚目が必要でとか。
そんなに必死で言い訳をするところを見ると、何か私に会いにくるのがそんなに人に言えないことなのかなと、私も恥ずかしくなってしまう。 だから、それだけ必死に言い訳しないで、右少史殿。
「だから、僕が君を助けるのは当然」
そう言って笑う笑顔を見て、私の胸はどっきりした。
優しく微笑み、池の向こうへ向ける横顔は、やって来た道を清々しく振り返る、まさに旅人。
本当に必要な時に現れて、若竹の君みたいな場面を見せてくれる。
池は水面が反射して、一面の銀の海で、天から降りて来た人みたいな・・・天人?
「あの人は、栄華を求めているの?」
道臣が雪風人を見た時に言ったことを思い出し、私は言った。
「ああ、僕の勘だけど、あの子は野心がある。まだ若いから出世レースには乗らないけど、中務卿に取り入ったりして、衛門府に入ったりした。衛門府の少尉は、若手の出世レースの出発点だ。帝からも気に入られ、雪風人の称号ももらった。今後、夕闇の皇子などの若手公卿について、出世する者たちの中にいるのは間違いないと、多くの人が見ている、黙ってるけど、野心家だよ」
(ふうん、そうなのか。雪風人はそうなのか)
あの人は近づいてはいけない人かしら?
私は雪風人の人となりとその野心について、何とも言えない感じを持った。
「そうだ、これ」
道臣は懐から何かを取り出した。と思ったら、手の平に小さい船を載せている。
「君が船に乗りたいって言ってたから。せめて、小船でも」
「これが遣唐使の船?」
「まあ、僕の手作りだけど」
「ありがとう」
若竹の君からの手づくりってのが嬉しい。
若竹の君御自ら、船のプレゼントってのがもう、夢のまた夢。これは本物の現実よね。今までの何より、嬉しいプレゼント。これは一生の宝物にする。
「小さい頃、遊ばなかったかい?」
「池に浮かべた船があったけど、でも、それよりもしっかりとして大きい船なのね」
「何十人と乗る船だからね」
「ありがとう、この前、船に乗りたいって言ってたの、夢が叶った」
「これで?一度、また、本物の船に乗せてあげよう、小船なら船の渡しに頼んだから、乗せてくれる」
「ほんと、やった」
くすっと道臣は笑う。
「また、こういう船で、唐国へ行くの?」
ふと、道臣のしていることが気になって、私は聞いた。
「まあ、希望したら乗せてくれるだろうけど、過酷な旅だ。心身ともに削るから、そう何度も出られる人はいない。だいたい、上陸して官職についたら、その後は内裏勤めになる。それに、僕もしばらくは、唐国へ行くのはいいかな、て」
「いいの?右少史殿は唐国へ行きたいのでは?」
「いや、こっちにいるほうが、良いことが多そうだって気づいたから」
道臣は笑いながら私と目が合い、なんか照れている。
良かった。ずっと日ノ本にいるなら、旅に出て、長いこと会えなくなる心配はない。私は胸を撫で下ろした。
「あの人は栄華を求めているって言ってたけど、では、あなたは?いいの?」
「僕は何も見返りを求めない。出世にも興味がない。でも、君みたいな女の子がもっと野心を持てというなら、持ってもいい」
私に向かって、野心を気にしている道臣を見て、なんか、私の視線って大事なの?て妙なところに気づいた。
(なんだか、背中で熱く語ってる。男って野心を持つか持たないかって、体面に関わるのかしら?野心ぐらいのことで、こちらはどう思うこともないけど、そこ、持ってないといけないようなものなの?)
「じゃあ・・・私を親切に助けてくれるのは、単なる親切心?」
「えっ?」
「ううん、ちょっと聞きたかっただけ」
(馬鹿ね)
学者先生だから友情に篤い人に決まってるじゃないの。私にしてくれてることを見たら、道臣は良い人なのは分かってる。それを今更、聞くなんて。
知りたがりのこの口がいけないわね。聞いた私が、低俗だった。
「ええと、僕だってそりゃ出世して、文章博士になれたらとは思ってるよ、そりゃ、それは一般論であるけど、大学寮を出たらそこが頂点なわけで、船から降りたら、そこは目指さないといけない」
「へえ、いいじゃない、博士」
「でも一般論以外にもそりゃ、僕だって何かやらねばというか、男として大志を持つべきと思う。人生生きてきて、野望も目標も持たず、漂うように生きるだけでは、確かに人間としてえらく志が低い悪い。それゆえ、人間として、僕としても、僕は・・・」
道臣も何だか口ごもっている。今度の背中は、自信が無さそう。
なんか、ごにょごにょして、うつむいて、何か言ってるけど、すごく小さい声だから、うまく聞き取れない。
「いや、あの・・・えと、す・・・」
「え?」
「いや、これからのことは、成して言うべきで、口に出すものじゃない」
私も聞こうとしたけど、口に出せなかった。
何者でもいい。たとえ若竹の君でなくても。
何者であったって・・・構わない。この人なら。
だから、私は疑う気はない。ただ、正体は知りたいだけ。
知りたがりって、煙たがれるのよね。姉上からも言われたけど、人に聞きすぎるなって。
だから、人生で会えて、一番大事な人を、私はせわしく、知りたがりたくない。
知りたがりが知りたがらないなんて、私も不思議だわ。
知るということは、難しい時もある。
けど、はや、先ほど言いかけた、す?を考えてしまう、私。悪い癖だわ。す・・・?というものが欲しいのだろうか?
す?・・・すだれ?・・そう言えば、最初出て来た時も、すだれって言ってたわ・・・
嘘でしょ。すだれのわけないでしょ。




