第4話
「そちは、妃様方のために用意された筆を盗んだな?」
そこへ、突然。後宮十二司でも兵司である女たちが、険悪な表情で二人入って来た。
「これと同じものが、後宮の御蔵から盗まれた。軸は長岡名産の破竹、毛は狸毛の逸品。お前の持っている筆は、女御様や貴嬪らしか使えぬ、決められた職工が作ったもの」
なにですと?
でも、さっき、長池殿に渡された・・・
「椎子殿、どうしてそのようなことをされた?」
周囲の女房方がまた冷徹な目を向ける。
その目の冷たさ。これは計略。私は悟った。
妙な罪名を布告され、私はざっと周りを取り囲まれた。
(筆?何のこと?筆なんて盗んではない。書写や筆跡を調べるのに忙しくて、部屋からほとんど出てないわ)
「いいえ、私はただ、北川殿に言われて、これを持って行けと、久理子殿が渡しそびれてしまったからと私に、久理子殿は椎子殿の腹心の部下でありますので、女御様のお傍に御目通りするのは私の役目かと思われ、言われた通りに持って来ただけで」
兵司の女性に、女御様が使う綺麗な筆を突きつけられ、長池殿は部屋の中央まで入り込んで来て、必死で弁明する。
久理子が?何かの間違いだろう。私を陥れるようなことを、久理子がするはずがない。
北川?それなら、やりかねない。いつも久理子殿を狙っている。何が気に食わないのか、徹底的な敵視っぷりなのだ。
「血迷いごとを申すな」
その、天敵が現れた。
「弘徽殿女御様、この者の言うことに信じられますな。私は関わってはおりませぬ」
冷ややかな声。
年域の貫禄ある女性だが、目鼻立ちも整っていて、後宮の妃ともなれそうな美人だ。だが、目が暗い。冷たく、残虐な楽しみに満ちている。
背後には、似たような冷酷な顔つきをした他の部下を従えている。
蔵司の典蔵。位階では長池殿と同等だ。
「のう、私が長池殿にそのようなことを言ったか?」
「いいえ、北川殿は今日はずっと貞観殿におりました。長池殿が嘘をついておりまする。自分の罪を人になすりつけようとして」
「いやしかし、私は北川殿に言われて」
北川という女官はしらっとして、冷淡に見下している。
「この者が悪いのです。勝手に御蔵から持ち出して。どうして、そのような罪を犯したのです?今まで同胞として、信頼して仕事をしていたのに」
まったく大げさに言い立てて、誰かと計画したのでしょう?
言い方で分かるわ。
(これは私を陥れようとする計略ね。嫌われたものね、私も)
「申し訳ございません。何か手違いがあったようです。仔細は調べて報告しますので、この者に多大な処罰を」
長池殿は、混乱しているが、私のことを庇おうとしてくれる。
「まあ、何と言う不行き届きじゃ」
いったん場がなごんだものの、私が憎しという風潮は変わらず、弘徽殿女御の中でも、年上の女房が発言した。
「この者は帝の寵愛を受けたため、思い上がっています。どのみち、女御様の筆を使ったのに変わりありません。一度とはいえ、お渡りがあった身。私どもの手にはどうすることも出来ませぬですが、後宮の罪は女御様なら、裁けます。この筆は弘徽殿女御様のもの。この者の罰は、女御様がお決めくださいませ」
「そうじゃな・・・」
弘徽殿女御はこの計略で、私に罪を着せようと考えている。
一度は女御様の怜悧な心も溶けたと思ったのに。
(こんなの、手違いって明らかだわ。デタラメよ。誰が見てもおかしいのに、弘徽殿女御様も罰を与える気?)
私はため息をつきながら、己の筆を持ち、周りに見せた。
「これは、私の筆です」
「な、なんじゃと?」
北川殿が一番驚いた。
「私が部屋から持ってきた私の家の持参の筆です。家紋がついております」
「なっ・・・・」
北川殿が目を剥いて、私を睨む。
(そう)
私はこの情報を先から入手していたのだ。
半信半疑だったけど、だから懐に最初から筆を用意し、長池殿の筆は腰帯の中に隠した。
確かに上級の逸品だが、女御様方の筆も破竹で、全体として茶色のため、私の家にある上級貴族向けの筆でも遠目には変わらない。
「女御様、確かにこの者の筆は、藤原家の係累の証、藤の紋が、端についておりまする」
「さようか。なら、これは兵司の間違い、ということか」
弘徽殿女御様はあっさりと陰謀から手を引いた。
梅壺の毒入り壺も蹴散らした方だ。計略に手慣れてる。
この計略はもう駄目と、すぐに危険を察知したのだろう。
「確かに、み、見ました。私は、女御様、長池殿がこの者に筆を渡し、この者が筆を持っているところを、み、見ました。この者らが盗んだに違いありませぬ。今一度、この者をお調べ願いたい。筆をどこかに隠し持っているかもしれず、今一度、詳細にお調べをお願いします」
北川殿だけは、弘徽殿女御に必死に食い下がる。
どうしても、私を犯人にせねば気が済まないらしい。
「手違いであろう?なら、もうこれ以上詮議することは必要ない」
「しかし、この者の着物のうちに筆を隠し持っているかもしれず」
「こちらを探すとなれば、ここにいる全員、その下に着ている表着から何もかも剥がして調べねばならぬ。この長池殿が持って来たのは、皆が見ておる。それから後、この部屋で行方不明になった。そうなると、この部屋にいる全員が怪しい。それなら、この子だけを調べたら、おかしいと言われる。それでも言い募るというのなら、ここで、帝の妃から、ここいる者全員から、着物、みぐるみ全部剥がして取り調べせねばならぬ。そうしたら、わらわこそ、帝の妃を公衆の面前で貶めた、前代未聞の女御として帝に報告が行こう。それはまことに醜聞。我が弘徽殿の名が貶められること。まさか、北川。弘徽殿の醜聞を帝に見せつけろと、そのように、梅壺から言われているのかえ?」
「そのようなことは断じてありませぬ。どうか、どうか・・・お許しを、弘徽殿女御様」
北川殿は逆に己を疑われて、許しを請う。
「しかし、こうした盗難と思しき事態が通告されたゆえは、詳しく調べねば、後宮の落ち度と言われまする。かくなるうえは、この運搬者である長池を、罪人として取り調べさせてください」
追い詰めるつもりが、逆に窮地に立ったと気づいた北川殿は、己の罪を他人になすりつけることに決めたようだ。
北川殿のせめての意地だ。己の失敗や落ち度。それを認めたら、次は己が責められる。だから、何が何でも他人のせいにしておかねばならない。
「私は、お主に言われて運んだと言っておる」
長池殿は気の強い上司だ。ひるむことない。
「それは良かろう。それは任せる」
「そ、そんな、弘徽殿女御様、私は何もしておりませぬ」
「引っ立てい」
「わ、私は何も」
後宮の古参も女御様に言われては反抗できない。
私に関わったばかりに、長池殿が衛士に罪人としてしょっ引かれてしまった。
私はまだ女房方から、調査しろだの、みぐるみ剥がせだの周りから不満タラタラ言われたけど、長池殿がこうして捕獲されて、何とか助かった。
(下手な絵で思ったより、女御様の歓心を買えたように思ったけど、後宮はやっぱり大変)
何も思わず絵合わせに出ただけなのに、計略をかけてくるなんて・・・
「おお、こわ。あんたも誰かの恨み、買わんとき。裏で誰とつるんでいるか、分からんよって」
どたばたと兵司に引っ張っていかれて、長池殿と北川殿が言い争う声が響く中、弘徽殿女御の部屋にいた女房が私に言った。
声の主かと思ったが、よく見たら、厚塗りで白仮面になるほど化粧した弘徽殿女御の女房だ。
(なんだ、単なる嫌味か)
結局、「声の主」も情報も何も得られなかった。
確かに北川殿と他のつながりも気になる。私は北川殿のあとをつけた。
「まったくあの女ったら、帝の御寵愛を得て、調子に乗っているに違いない」
「そうよ、藤原家の娘だからって、偉そうに。姉の代わりに、自分が帝に入内すつもりに決まっておる!」
北川殿を追って行ってみると、後宮の外れの建物の影に仲間たちと共に集まっていた。
「北川殿、ここは上級女官として、断固として阻止せねばなりまへんえ」
「分かっておるわ。あんな奴にのさばらせてたまるものか」
「そうは言っても、この度はそちらの落ち度でないですか」
そこへ、とある男が北川殿の横に現れた。
あの日、左大臣といる時に、ぶつかって、怒られそうになった嫌味な男。日下部だ。
(あ、あの男、北川殿とつながっていたのか)
「梅壺の手先である長池殿を使い、梅壺の命令と思わせ、梅壺と証拠もろとも、検非違使に突き出して処分するはずだったのに、見事にやり返されましたな」
「さすが腹黒いだけあって、やりおる。甘う見ていたわ。来てそうそう、私に恥をかかせおって。あの女め、この私を引っかけるとは」
やっぱり、あれは私を陥れる計画だったのね。
ほんと、後宮ってところは、陰湿。
「やれやれ、上へ上がりたいと言うから、お前の計略をお前にさせてやったのに、ぶざまに失敗しおって」
「な、何を」
「こちらが運んだ筆は后妃の筆。それを目にしていながら、お前の目は何を見ていた。弘徽殿女御様には協力をしてもらわなかったのか」
「弘徽殿女御さまは計略などに加担せぬ。させられぬ。それに、帝を純粋に思うあまり、あの方は動かぬ」
「言い訳はいくらでも出来る。まんまといっぱい食らわされおって。お前と内裏を取り持つ私の立場まで、危うい。此度は左大臣派が助けてくれたから、事なきを得たが、次回はこううまく行くとは限らんぞ。まったく迷惑な」
「な、なにを、不敬な、位階が上の私に向かって」
私の胡蝶の模様に目を止めた男は、相変わらずつんけんで傲岸不遜。相手を軽視した態度だ。
「まだ上には私に合う役職がある。そのためには、女御様方の役に立つことなら、何でもやるつもりだ。もし、私の功績が認められ、女御様、ひいては大臣たちに取り立てられた時には、日下部、お前、見ておれ、今の言いざまを泣いて詫びさせてやるからな」
「お前に先を越せると思っているのか。お前が上がる前に、俺が上へ上がっているわ。心配してやったのも有難く思え」
「な、何い、この北川を何度も愚弄するとは」
「おい、こっちへ荷物を運べ」
そこへ人が大勢通って、日下部は子分ともども姿を消した。
北川殿は、消えた先の男の行き先を忌々しそうに見る。
「おい、荷物はこっち」
大勢の人が荷物を持って移動していった。
北川殿がこちらを向いて、何かを伺う気配だったので、私も近くの木に上った。
人が行ってしまうと、北川殿は放心したように、独り言を言い始めた。
「それにしても、左大臣様も腹黒いお方。右大臣が一人勝ちしているので金儲けで地方に手を伸ばしながら、私らに、金も出さぬ。感謝もせぬ。そのうえ、あんな男を遣わし・・・ええい、忌ま忌ましい。皆が皆、私を愚弄しおって。左大臣も弘徽殿女御も、今にみておれ」
私は考えた。
(つまり、筆事件は、梅壺女御や私を犯罪者として仕立て上げる北川殿が仕組んだ自作自演だった。私を検非違使に突き出して、それを手柄にして、出世する気だったんだ)
私も危ないので、すぐその場を離れた。
(後宮で威張り散らすのが北川殿)
帰り道、後宮内の庭の道を、てくてくと歩きながら、私は考えてみた。
(もし、私が筆事件で罪人になったら、梅壺や弘徽殿が大喜びし、北川殿に上の役職を与えただろう)
陰謀があり、殺し合いがあり、寵愛争いがあり、ここは姉には本当に無理なところよ・・・
北川殿だって、己の出世のために、どこまで考えているのやら。
(ありゃあ、長池殿とはどっこいどっこいの、同じ出世の鬼タイプだわ)
でも、長池殿のほうが何倍もマシ・・・いや、似てる。いっしょだ。
(これが、内裏の陰謀ってわけね。北川殿の上昇志向は凄まじい。長池殿よりも、出世の権化だわ。何をしでかすのか。これからも、注意しなければ・・・)




