第1話
私は椎子。
大納言藤原貞見を父に持つ私は、何でも思い通りの身分だ。
私というのは、好奇心が旺盛で、通り名やあだ名は、知りたがりの椎と言われ、椎の君と言われている姫君。
そろそろ婿をと言われているけれど、私は物語の登場人物である若竹の君が好き。
私の生きている時代は、貴族が大半の国民を統治し、帝という位の人が京の都に住み、絶対的に崇めらえていた。
女の人は、家で子供を育て、家事をするのが当然で、男は外で働きに出る。
女はたいてい、夫や家の主の言いなりで、結婚すら好きにできないのが当然だった。
女にとっては窮屈な生活。
おまけに、女は髪が長く、長い裾の上衣を着て、だぼだぼの袴という下履きを履き、自由になんて動けない暮らし。貴族の娘たちは、皆、そう。
外に出たら、男性に遭うからと言われて、気軽に外へ出ることも許されない。
その時代、女は男の前に、気軽に姿を見せたりしなかった。特に、貴族の娘は。
一日中家にいて、重たい髪と服を体にのせ、じーっとしていなきゃいけない。それって、苦痛。
男性が近くを通りかかったら、姿を見せちゃいけないし、人が出入りするのにも、気を使わなくっちゃいけないし。
そんな生活で、私の唯一の癒しと言えば、宮中の女性作家が書いた物語を読むことだった。
「坂田中将物語」
「如月尚侍日記」
その時代、内裏ではお上の妃が複数いて、その妃に使える有能な女房たちがいた。
物語はそういう女流作家が書いた作品。
私は彼女らが書いた物語を読むのが楽しみだった。
子供の時から、物語の冊子を見つけては、西松、お付きの侍女に持って来させて、いっしょに眺めていた。その時代のよく出来た物語は、綺麗な挿絵がついていて、侍女の西松とふたりで、ため息をついたものだった。
「え、私が、内裏へ?」
だから、その日、大臣の父から、帝の妃たちがおわす後宮へ勤めに出る話を聞いても、真っ先に思ったことは、物語がいっぱい収集されている内裏へ行ける!ということだった。
「本当ですか、父上」
父はしかめっ面で答えた。
「ま、帝じきじきのお声がかりでな・・・」
(まー、喜んでばかりもいられないんだけどさ、私も)
清流帝という帝は、うちの姉にいちずに思いを寄せている男。
帝の思い人として、前から入内をと言われて、何かに際して、贈り物だの、文だのを、執拗に送ってくる男(粘着質)。
時の帝がうちの姉などに一途に思いを寄せるのもおかしい、が、うちの姉も姉。
若くて美男子、聖君と言われる帝に、一向になびかないのだった。
大納言程度の家、求められたら当然、嫁ぐのが普通だ。でないと、朝廷からころがり落ちる。
なのに、姉は好みでないだの、和歌が下手くそだの、容姿が気に入らないだので、拒否一点張り。
「なんてこったあ。位階の最も卑しくない男が翠子を求めているのも変だが、求められて当然行くべき下の立場の翠子が、当然のように断っているのもなあ」
我が家はこの問題に、疲弊し切っている。
「このままじゃあ、うちは・・・終わりだ」
父が泣き崩れる。
「ああっ姉上は」
私も思わず、涙が出てくる
「父上、なぜ、翠子姉上はあのように、頑なになってしまわれたのでしょうね」
よよっと袖元で涙を・・・まあ、そんなにひ弱なタイプでないけど、こんなことまで図太い私でもしたくなるほどの姉だわ。
「ワシら、大納言としての権勢はひとえに帝のおかげと言っても良い」
「ええ、ええ」
「その、結婚を断ると言うと、朝廷での権力を失うのと同じ」
「まったくですわ。翠子様のあまりのなさりよう」
侍女の西松も、この問題では控えておれなくて、私と父の間に出てくる。
「でも、なぜ、私なのです?本来なら、女御として入内すべきは姉なのに、なぜ、私が後宮へ女房勤め?」
「そりゃそうですよ。なぜ、椎子様なのです?」
「内裏勤め、女房勤めと言ったら聞こえは良いが、後宮は帝の女人として差し出される場所で、椎子様だっていつ、帝の身辺にいる女として、妃に上げられるかわかりゃしないですもんなあ」
父のそばにいる妻、姉の母、私の義母(姉とは腹違いの姉妹)が言う。大人しい人なので滅多に口を挟まないが、ぼそぼそとでも、言うことは言う人だ。
「本当にそうなのですか、父上、何かの聞き間違いでないですか?爺やの耳が遠くなっていて」
「いや、違うんや、椎子。ワシが直接聞いたんや。つまり、業を煮やした帝が身代わり、人質として、お前を後宮へ入れるんや」
「人質?って・・え」
「つまり、椎子様を帝の後宮へ上げる、姉君の身代わりってことですか?」
「身代わりいっ?」
「いや、だが、あれほど姉の翡翠、翠子にご執心の帝が、お前に心変わりするとは思えず、たぶん、ニセの花嫁じゃろう」
「ニセ?何です、ニセって、あの二世の縁とかのニセですか?」
「いや、事をいつわりて、ダマシのニセじゃ。お前を人質に取り、お前がどうなってもいいかとわしらを脅し、翠子へ結婚の圧力をかける気だ」
「ふええっ」
私は西松とともに、ふたたび、げっとなった。
「今の上さんは、先の粛清された帝の甥っ子はんや。今時珍しい、清廉な帝はんじゃが、反面、先の先の事件があるから、宮中勤めやワシら官吏にはとても厳しい時がある。いつまでも拒否しとったら、何か良からぬことを企んでいると思われて、いつなんどき、ワシも首が飛ぶか分からん。そう思ったら、ワシも勅旨ひとつで心無いことと思ったけど、イヤとは言えんかったんや」
父は何ともなくそのまま説明続けるかと思ったが、さらに泣き崩れた。
衿元を窮屈そうに広げ、顔を膨張させて本当に苦しそう。
「じゃあ、何ですか。いつまでたってもなびかない姉に対して、粘着質が横にそれて、私に来たってこと?」
「つまりはそういうことじゃ」
げっ。