北の大地
祖父母の家は十勝にあった。祖母の時乃が出迎えてくれた家は、前の家よりも小さい二階建ての家。平らな青い屋根と白い外壁。周りには畑が広がっていた。
「街中は少し離れてるが、ここは静かだし庭も広く作れる。どうだ、やって行けそうか?」
「自然が多いのは好きだ」
「そうか」
風の音、草木の音、虫たちの声。前世で過ごした山を思い出した。抱き上げていた詩乃が左右に顔を振った。おそらく、周囲の音や匂いに注意を向けているんだろう。
「詩乃、ここはいいところだ。詩乃もすぐに気に入る」
祖父母は定食屋を営んでいた。1階の一部が店になっている。近所の農家や自分の家で採れた食材を使い、決して多くはないメニューを用意して客を待っている。来るのは祖父母と同じぐらいの歳の人、仕事途中の若い人、家族。祖母の作る料理は程よい味付けのもので、同じものを何度食べても飽きることがない。
「影丸ちゃんはよく食べるね〜」
1度食べて、祖母の料理は気に入った。大量に用意された料理を全て平らげる。
「にーい」
詩乃が両手をバタバタと動かしている。これは俺を探している合図だった。詩乃の前に用意されているお椀を手に取り、食べやすい量をとって口に運んだ。
「詩乃、ほら口を開けろ」
匂いを感じとったのか、詩乃が小さな口を開ける。飲み込むのを待ってからまた匙を運ぶ。詩乃も祖母の料理が好きなようだ。
祖母も、詩乃の目がないことに怯えることは無かった。つかまり立ちをする詩乃が怪我をしないように、祖父と2人で家を整理したぐらいだ。ここに来て1週間程すると、俺は地元の小学校に通うことになり、祖父に剣道を教わるようになった。祖父の教える教室に混ざり、人を1人も殺せそうもない竹刀を振る。前世で使った刀よりかなり軽くて、面白みもない。だが、剣道というのは不思議と自分に馴染んだ。
ここに来てからは必然的に詩乃と離れる時間が多くなってしまう。その間、詩乃のことは祖父母が面倒を見ている。だから自分が家にいる時は、詩乃のことを独占していたいと思うようになっていた。
「影丸、1度詩乃を病院に連れて行こうと思うんだが、お前も着いてくるだろ?」
祖父は詩乃のことを溺愛し、ひどく心配していた。なんとかしてやりたいという祖父心なんだろう。だが、詩乃の目は、病院に行ったところで良くなるものでない。人間の理解出来ないことが、詩乃には起こっているのだから。それを言ったところで、祖父が納得する訳ではないから素直に頷いてみせた。
その翌日の夕方、祖父と共に詩乃を連れて病院に向かった。診断結果は予想通り、医師も何が原因か分からない。本当に最初からないのだろうと、結論付けた。祖父は落胆したようだったが、その日の帰りに書店に寄って数冊本を買った。おそらく、目に障害がある者について書かれている書籍。祖父は祖父なりに詩乃の助けになりたいと思っているんだろう。
祖父母は詩乃にたくさん触らせ、たくさん嗅がせ、たくさん聞かせた。視覚以外に感覚全てに多くの刺激を与えていた。両親が決してしなかった向き合い方で、祖父母は教えてくれる。そのおかげか、詩乃は活発に行動するようになり、祖父母の元ですくすくと育った。それを見守りながら、俺はこの北の大地に漂う気を集め、自分の中に取り込み妖気を作り出していく。かつての力を取り戻し、詩乃の目を奪ったぬらりひょんを討ち滅ぼすために。
「じぃじ、これおいも」
「そうだ、なかなか立派じゃないか。いいものを掘り起こしたな」
祖父と詩乃が少し離れたところで作物を収穫していた。土を作り種を植え、育てて収穫をする。そのサイクルはもうお手のものだった。5歳になった詩乃も、祖父を手伝うために小さな手足を懸命に動かす。
この頃には、自身の妖気も安定し、弱い妖たちが顔を見せるようになっていた。
弱い妖には、強者の妖気のお零れをもらおうとする者がいる。害はないし、時々自分の利益となることもあるため、排除するという考えはない。
足元を緑の小人が走り回った。なるほど、やはり自然の多い場所にはこういった者が現れるのか。
「おいお前、コロポックルだな」
「ツヨイアヤカシダ! ソウ、ボクハコロポックル」
高めの声が足元から響く。古くからこの土地に住み、どこかの伝承では人間に迫害されていなくなったと言われているが、実際にここにいるのだから単純に姿を見せなくなっただけなのだろう。
「ココイイトコ! タノシイ!」
「そのようだな。悪いが、しばらく世話になる」
「ドウゾ、ドウゾ! イランカラプテ!」
強めの風が吹いたと思ったら、足元にいたコロポックルは葉に乗って去っていってしまった。あいつは妖気を感じて、好奇心のままやってきたんだろうな。おそらく、この辺りでは妖同士の争いがない。だから警戒心もなしにああやって無防備に訪れるのだろう。
「影丸、これを運んでくれ」
「ああ」
詩乃と祖父が集めた野菜が入るカゴ。詩乃は自分で持ちたいのか、力を込めて持ち手を掴んでいるが、カゴはビクともしない。その姿に少し胸を打たれながら、カゴを持ち上げ、端っこを詩乃に掴ませてやる。
「詩乃は力持ちだな。俺の持つ分が軽くなったぞ」
「えへへ」
常にちょろちょろと野ウサギのようにあとを着いてくる詩乃。可愛くて愛しくて、ずっと自分の手元に置いておきたい。かつて山で過ごしていた穏やかな時間を、ここでは再び味わうことが出来る。そんな土地で不思議な現象に気がついたのは、祖母だった。
俺たちが来てから、作物がよく育ち店も繁盛していると祖母は言った。ただの冗談だと思っていたが、詩乃と過ごすうちにそれは事実だとわかる。
おそらく詩乃には妖気が僅かに入っている。大嶽丸であった俺の妖気を吸い、体に変化が起こったまま死んだ詩乃。その妖気がまだ詩乃の中に残り続け、妖としての力に変わったのだろう。詩乃の元々の性格からか、無意識に自身の妖気を他者の幸福のために使っている。座敷わらしと似たところがあるな。姿を見れば幸福に、もてなせば幸福に、住み着かれれば繁栄する。いろんな説があるが、結局は妖本人の気分次第だ。
今こうして詩乃が無意識に妖力を用いても、何ら害はない。俺がそばにいることで常に妖気を浴び、力が尽きることもないだろう。
「きっと、神様が詩乃ちゃん達に幸せを運んでるのね」
先日採った野菜を頬張る詩乃の頭を撫でて、祖母は嬉しいそうに微笑んだ。
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