ただいまおかえり
狛天の治療を受けてから家に戻った。血の匂いが無くなるように時間をかけたから、気がつけば翌朝を迎えていた。家に近付けば、ほのかに朝食の匂いがする。
卵と焼き魚か。
まだ詩乃は寝てるか? それより昨日はちゃんと寝れたのか?
扉を開けようと、鍵を探った時、ガラッと目の前の扉が開いた。
「おかえり! にいに!!」
「詩乃、起きてたのか」
「うん! にいにが近くにいる気がして、お迎えに行こうと思ったんだ」
「そっか、ありがとな。遅くなって悪い、ただいま」
手を引かれ家に入れば俺のスニーカーが1つ置いてある。詩乃が出迎えたから、田貫が失敗したことは理解した。でもこの靴があるってことは、堂々と泊まっていったのか。
「あ、おかえり影丸!」
「なに呑気に飯食ってんだよ」
「おじいさんの卵焼き美味しいです!」
「それは良かった」
「受け入れてんじゃねえよ爺さん」
「さっさと手を洗ってこい。飯を食え」
変わらない飯の風景。違和感があるとすれば田貫がいることぐらいだ。詩乃のテンションは少し高いようだ。爺さんに話しかけては、楽しそうに笑っている。穏やかな時間に、少し心が浮つく。
炊きたての白米は、食べても食べても食欲を増してくる。3杯目のおかわりをよそうと、田貫が信じられないと言うような表情を浮かべていた。
「終わったのか」
「……ああ。全部終わった」
「なら、詩乃と遊んでやれ。昨日は1人で我慢してたんだ」
「あの、いちおう僕もいるんですけど」
爺さんは食い終わったらしい。食器をさっさと片付けて食卓を離れた。
「田貫、お前飯食ったら帰れよ」
「え? ああわかったよ」
「1日付き合ってもらって悪かったな」
「いや、おじいさんと話すの楽しかったし、大丈夫だよ」
土産だと言って詩乃は田貫に栞を渡す。画用紙で作られたそれを、大事にしまうと手を握って別れを告げている。一晩でかなり仲が深まったみたいだ。
2人の穏やかな会話を聞いていると、昨日の出来事が夢のように思える。いや、その逆もある。今この時間が、夢なのかもしれない。
「田貫さんまた遊びに来る?」
「ああ、俺が連れて来てやるよ」
「よかった! 今度、一緒にお菓子を作る約束したんだよ」
「そうか。……詩乃、ちょっと来い。お前にやりたいもんがある」
だけど、これからすることはどうか夢ではなく、現実であって欲しい。これだけを目的に、力を蓄え戦ってきた。もし夢であったなら、奴の幻術であったなら、俺は何もかも呪ってしまいそうだ。
詩乃が向かいに座り、顔を上げる。閉ざされた瞼の奥には何もないが、今からそれを返してやれる。ようやく詩乃に幸せを与えられるのだ。
自身の中にある、微弱で温かい妖気を探る。ぬらりひょんに捕らわれ、苦しんでいた哀れな力。
「詩乃、少しでも痛いとか苦しいと思ったら言ってくれ」
「うん。でも、何をするの?」
「おまじないだ。詩乃が全てをとりもどせるように」
「わかった! でもねにいに、私はもう全部持ってるよ」
目に触れようとした俺の手を、ひとまわり以上も小さな詩乃の手が握った。そこから感じる幸福に満ちた感情と、詩乃の優しい体温。
「じいじとにいにがいて、友達がいて、皆と楽しいことがいっぱい出来てる。にいにがいつも、私にたくさんのことを教えてくれる。だから、私ね、もういっぱい持ってるんだ」
「……他にも欲しいもの、あるだろ?」
「うーん……」
無欲で純粋で、弱い小さな魂。見捨ててしまえば、数分ともたずに消えそうな愚かな命。だからこそ俺は、この存在がたまらなく愛おしい。
「じゃあ、ひとつだけ」
「なんだ」
「1回でいいから……にいにの、お顔が見たい」
誰もが恐れるこの鬼を、誰もが憎むこの鬼を、この童は簡単に操ることができるだろう。だってこの鬼は、こんなにもお前のことを想っている。お前の幸せだけを願っている。
「1回なんてケチ臭いこと言うな」
詩乃を引き寄せ、自分の腕の中に閉じ込めた。頭を抱えるように包み込んで、これ以上ないほど丁寧に妖気を受け渡す。他の妖気が混ざらないよう慎重に。どうか、どうか詩乃の目が元に戻りますように。
「にいに、お鼻潰れちゃうよ」
プハッと顔を上げた詩乃は、いつも閉じていた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。
「わあ、私のにいにとってもかっこいい!!」
「そうか?」
「うん! でも知ってたよ、にいにはきっと世界で1番かっこよくて強いんだって。昔からずっと知ってたの」
「間違ってなかったか?」
「大正解だったよ! にいに、私の目取り返してくれてありがとう」
知っていたのか。自分の目が、誰かに奪われてしまったことを、今それがようやく元に戻ったのだと。やっぱりこの子は不思議で特別な子だ。
「違和感はないか?」
「うーん、ちょっと眩しいや」
「そうだな。この世は思ったより、眩しくて、愉快なんだ」
もう一度、詩乃を腕に抱え込む。今度は鼻を潰さないように。
「おかえり俺の愛しい妹」
これからも共にいよう。
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