別れと祓い
空気が湿り気を帯びてきた。雨雲が近くに来ているのだろう。今日は朝からシノと山の奥に入り、散策を行っていた。そろそろ戻ったた方がいいだろう。
「シノ戻るぞ。雨が近い」
「はい」
シノが手を伸ばす。その手を掴もうとした時、背後から何かが飛んでくる気配を感じた。身をかがめ、シノを抱き寄せ左に大きく跳ねた。飛んできたものは、陰陽師が使うという式神。鳥の形をしているが元を辿ればただの紙だ。呪術を使い力を込め、妖に対抗する武器としている。
「おやおや、体の大きさの割にずいぶんと素早いようで」
「初めて見る陰陽師だ。お前、誰に勝負をしかけたのかわかっているのか?」
「失礼しました。初めまして、私、東の都より参りました、夏凪と申します」
白い狩衣を纏い、黒い扇で口元を隠す。丸い双眸のせいか気性が穏やかそうな雰囲気を持っていた。
「大嶽丸さま……?」
「案ずるな、すぐに家に戻ろう」
震えたシノを小声であやす。何が起きたか分かっていないのだろう。夏凪は腕の中にいるシノを見つけ、おや?っという顔を見せた。
「そちらは人間の子供では? どこで攫ってきたのやら。早くこちらへ渡しなさい」
「断る。これは俺のものだ」
シノを深く抱き直した。ここで自分と関係があると言えば、シノまでも夏凪に狙われてしまう。
「ただ食うだけでは足りず、家畜のように飼うようになったのですか? これだから妖は……理解ができない」
「お前のような人間に理解されても嬉しくはないな」
対峙し、言葉を交わすとよくわかる。この夏凪という男は、普通の陰陽師ではない。強い力を持ち今までいくつもの妖を葬ってきたのだろう。
「シノ、隙を見てお前を離す。止まらず家へ走れ」
「……は、はい」
こういう時の聞き分けの良さはありがたかった。シノを庇いながらでは上手く戦えない。奴を殺したら新しい山を探そう。またシノと共に散策をしたい。
「では参りましょうか」
夏凪は数枚の札を出し、俺に向かってそれを飛ばした。夏凪が息を吹きかけると、それらは狼や鳥の形となって襲いかかる。よくある陰陽師の術だが、1体の大きさが並の陰陽師よりもあった。式神の能力や大きさは術者の力に比例する。太い足を振り上げる狼は真っ直ぐに俺を狙っていた。岩や木を利用してそれらの攻撃を避けていく。
「鬼神ともあろうお方が避けるばかりではつまらない」
式神を繰り出しながら、火の玉を飛ばす夏凪は退屈そうに微笑む。攻撃を交わしながら、シノがわかるであろう道まで移動できた。背後にシノを下ろし、狼の手を受け止める。
「行け!」
俺の声に反応してシノが駆け出した。それと同時に狼の手を弾き、鋭い爪で首元から引き裂く。
「ほお……」
「柔い。柔いなぁ。お前の式は本当に柔いだ」
笑う俺の元に4羽の鳥が飛んでくる。先程よりも数が増えたそれは、夏凪の式神だ。1羽は途中で炎を、1羽は水を、1羽は風を、最後の1羽は雷をまとった。1羽ずつ弾き、最後に雷を捕まえる。
「俺に稲妻を向けるとは、勉強不足だな」
バリバリと音を立てる鳥の雷を自身に取り込む。天からの雷撃は、俺にとっては呼吸と同じ。自分の意のままに操ることが出来る。雷撃は1度白く輝くと、俺が触れた途端に黒く染った。集まった雷を右手に移動させる。そしてそのまま夏凪へと放つ。夏凪は驚きながらも術を使い、何とか雷撃を凌いだ。だが、足がかすかに震える。痛みはあったようだな。
「次は仕留めてやろう」
確実に夏凪を殺すため、自身の姿を元に戻す。赤黒い肌、盛り上がる筋肉、口からは上下に牙が2本ずつ生えた。そして額から2本の大きな角が伸びた。角は先に行くに連れて赤みを増している。体はそこらの岩を3つ重ねる程に大きくなった。これが本来の姿だ。
「化け物め……」
「違えるな、俺は鬼だ。そこらの化け物と同じにするなよ」
さぁどう殺してやろうか。ギロりと夏凪を睨みつけた時だ。夏凪の奥から、もう1人陰陽師が姿を見せた。
「夏凪さま、もう一体妖がおりました」
その男の陰陽師が片手で持ち上げたのは、ぐったりとしたシノであった。
「おや? それは人間で……いや、違いますね」
「はい。微弱ではありますが妖気があります。夏凪さまでも近付かねば気が付かぬほど弱く、私も戸惑いました」
気が付いていた。シノは俺の妖気にあてられ、だんだんと人ではなくなっていると。そんな人間は見たことがなかったが、恐らくシノは呪術の才があったのだろう。この世に生を受けたものが等しく持つ気。それが妖では妖気となる。その気が陰陽師として活かされるには修行が必要になるが、誰からも教えをもらえなかったシノは、俺のあまりにも強すぎる妖気を察知し、取り込み、いつしか変化してしまったのだ。
「その手を今すぐはなせ」
「お断りします。私の任は妖の退治。この雑魚も例外ではありません」
微かな気配を感じた。シノはまだ、辛うじて生きている。
「ならば死ぬがいい!」
地面を蹴り陰陽師の元に向かった。雷撃ではシノも巻き込んでしまう。なんとか無傷で助けなければいけない。しかし、向かっていく俺の足元がカッと光り始めた。その瞬間、足に信じられないほどの重みを感じ、その場から動けなくなる。
「なっ!?」
「ようやく出来たようですね」
「何をした!」
夏凪は扇を掲げ、大きく笑みを浮かべた。
「この山全体に数百の陰陽師やその弟子を集めました。皆の力を使い、あなたをこの山に封じます。肉体を腐らせ、永遠の眠りにつきなさい」
足の次は腕が、肩が。上から押さえつけられるように重みは増していく。
「ぐがぁあああああ!!」
雄叫びを上げると、シノがぴくりと動いた。顔を上げ、俺の姿を捉えた。見えていないはずなのに、その目はしっかりと俺を見つめている。
そしてシノは、傷だらけの腕を俺へと伸ばした。
「あ、に……さま」
小さく途切れ途切れの声だった。だが、それは確かに届いていた。
「あの鬼を兄などと。哀れな……秋正祓って差し上げなさい」
「はい、夏凪さま」
「やめろ! やめろぉおおお!」
秋正と呼ばれた男は、シノに向け、何かを唱えた。その瞬間、シノの体は鼓草の綿毛のように消え去った。
「シノ……?」
「さぁ、あなたも大人しく死になさい。そうすれば先に行ったあのあ妖と地獄で再会できるでしょう」
夏凪の言葉は聞こえていなかった。一瞬で消えてしまったシノの姿を、必死で探した。だが、どこを見渡しても、シノの姿は無い。
「あぁ……。ああああああ! 許さん! 許さぬぞ人間ども! お前たちはこの俺が殺してやる! 家族も友も全て呪ってやろう!!」
「何を馬鹿なことを。あなたは死ぬのです」
雲が厚みを増した。黒々としたそこから、地面を震わせるほどの歓声が聞こえる。重い体に渾身の力を込めて、己の足で立ち上がる。なぜ動けるのかと、夏凪たちは驚きを隠せていない。天に向かって吠えれば、雷が俺に力を与えてくれる。
「秋正! 術を発動させるのです!」
「ですが、まだ封印するには力が」
「いいから! 急ぎなさい!!」
2人が慌てた様子を見せる。それに構わず集めた雷を刀へと変えた。雷霆刃、俺が持つ最恐の武器だ。怒りを混ぜた今のこの刀は、大木を凌ぐほどの大きさとなった。
「死ぬがいい! 陰陽師ども!」
刀を振り下ろすと同時に、足元で光っていたものが全身を包んだ。
夏凪たちかどうなったのか見届ける前に、俺の意識はそこで途切れた。
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