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突然の誘いに

松元との待ち合わせは彼行きつけの喫茶店だ。店の外見は中世ヨーロッパのような木造建築を思わせる重厚感があるがっしりとした構えになっている。両隣はコンクリートのビルで、発展した大都会の中にただ一つだけ忘れられた場所のような感じをも思わせる。

中に入るとウエイトレスが入口までやってきて案内しようとしたので連れが待っていることを伝えて店内を見渡した。奥の方のテーブル席にメニューを見ている大柄な男が1人。彼も今来たばかりなのだろう。近づくと俺の気配に気づいたのか視線を少しあげる。俺は軽く挨拶を交わしながら彼と対面するように座った。


「休み中に呼び出してすまんな」

松元は注文を取りに来たウエイトレスを見送るとこちらに向き直って話しかけてきた。

「まあ、どうってことないさ。仕事明けの連休はだいたい持て余してるからな」

俺は軽く笑って見せた。仕事は仕事で辛いものだが、かと言って休みが長く続くのも考えものである。羽を伸ばしすぎるといつものリズムが崩れるからだ。

「にしても珍しいな。お前からの呼び出しだなんて」

「そうだな。あの頃は私がお前をしょっちゅう呼んでいたのに。今となってはお前からの悪い便りで呼び出される日々だ」

松元は皮肉のつもりで言ったのだろう。あの頃という言葉に俺は少し眉を寄せてしまう。俺の反応に向こうは気づいているのか気づいてないのか。そのまま話を続ける。

「それでた。お前を呼び出した理由なんだが」

真剣な顔つきになった松元。少しの間が生まれる。俺は他の新聞社と同じ面倒な案件の依頼をしてくるのだろうと思って次に出てくる言葉を待っていた。

「もう一度、刑事をやってみないか?」

出てきた言葉が意外過ぎて一瞬固まってしまう。どういうことなのか情報を頭で理解しようとしてる。

「おい、それはなんかの冗談か?」

向こうに映る自分はきっと引きつった作り笑いなのだろう。自分の中では笑い事ではないのだが。

「冗談ではない。今日お前をスカウトするために呼んだ」

遠い昔の記憶が蘇る。そんなうろたえてる俺に構わず松元は話を続ける。

「刑事と言っても警察官なる訳では無い」

刑事なのに、警察官では無い?状況が理解出来ずさらに混乱する。

「松元、お前は何を言ってるんだ?刑事なのに警察官では無いって」

「お前、裁判員制度は知ってるだろ」

「凶悪事件が起きた時に民間人が裁判官と一緒に判決を出す制度…」

話の糸が見えてきた。今でてきた単語を頭の中に並べて一つ一つを繋ぎ合わせる。

「事件、刑事、民間人…ってまさか!」

「その通りだ」

松元が初めから説明してくれた。今警察内部では度重なる不正により国民からの信頼が下がっている。それにより警察官を辞す者が増えると共にその職を志す者が減った。

人手不足が深刻になった組織に待っていたのは一人あたりの負担と治安悪化だ。事件が発生しても質の良い捜査が出来ない。それでもお構い無しに毎日のように新しい事案がやってくる。

極めつけは上層部からの圧力だ。人手が減ったとしても以前と同じように結果を出さないといけないという重圧に耐え兼ねて不正や違法な捜査に手を出してしまう者が少ないくない。加えて十分な証拠を集められないまま逮捕して蓋を開けてみたら誤認逮捕だったというケースも急増してるという。

松元が指揮する公安部特務室はこういったケースに対応しているのだが、最近は件数が多く手が回らなくなっているらしい。

「この状況を警察庁の上層部が良く思ってるわけはなくてな」

松元は話を止めて目線を逸らした。それにつられて振り返ってみると先程頼んだコーヒーとサンドイッチが運ばれていた。それらがテーブルに並べられ松元は端に置かれた砂糖入れに手を伸ばしながら説明を再開する。

「先日重要ポストの間で緊急会議が開かれた。そこで出た案が民間人を捜査に加えるというものだった」

コーヒーをゆっくりかき混ぜながら話をする。そしてスプーンをソーサーに置くとそばにあったカバンを開いて紙の束を取り出すと俺に差し出してきた。

「臨時特別捜査官任用制度…」

俺は目に入ったタイトルをゆっくりと理解するように読み上げた。

「私たちはこれを民間刑事制度と呼んでる」

松元ほらっ、と紙の束を少し上にあげる。ずっしりとした量の書類受け取ると向こうはサンドイッチに手をつけ始めた。俺はページをめくりながら置いてあるコーヒーを飲む。ページをめくるとびっしりと書かれた文字に嫌気を覚えた。役所というものはもう少し簡単に書いてくれないかものか。

「マーカーが引いてある部分を見てくれ」

重要な部分をまとめておいてくれたのだろう。手描きのマーカーが引いてある。そのマーカーの部分に目を通す。


運用の流れとして、まず事件が発生するとその事件の罪に応じてランク付けを行う。大きくわけて3種類でAクラス、Bクラス、Cクラスのどれかに分類される。

Aクラス:殺人や放火、強盗致死など主に刑罰が無期懲役以上になりうるもの。

Bクラス:詐欺や傷害、窃盗などの有期刑で3年以上

Cクラス:3年以下の比較的軽い刑罰。

民間刑事はAクラス以上の事件が発生した時に候補者リストから適正のあった者を選出する。なお、Bクラスの事件の内、悪質と判断されたものはAクラスに割り当てられることがある。その際は捜査の途中であっても民間刑事の運用を開始する。また、選出された民間人は病気などのやむを得ない事情を除き、この任用を断ることが出来ない。


「これは裁判員制度というより徴兵だな」

思ったことをつぶやくように漏らしつつ松元に疑問を投げつける。

「ちなみにこの候補者リストはどうやって?」

「アトラスを使用する」

正式名アトラス・システム。このシステムには国民の情報が保存されている。氏名、住所、生年月日、性別はもちろん職業や勤務先、保有してる銀行口座など細かな情報が格納されている。莫大な情報量が故にアトラスの運用は原則AIが行っている。

「一口に殺人と言っても様々な種類がある。包丁を使用したものから拳銃が使われたものとかな」

松元は包丁を振りかぶるポーズやガンマンのように拳銃を握るポーズをしながら説明を続けた。

「例えば、その事件で拳銃が使用されてたとしたら大抵が反社会的組織から入手したパターンが多い。だからそこのルートに詳しいやつを民間刑事として任用する。」

その他にも、爆発物、薬物、ハッキング、精神異常者による犯行など専門的な知識が必要なものに関してはその道に精通した者が選ばれると言う。

「民間人を事件捜査に巻き込むなんて危険極まりないぞ。ましてやこのAクラスの犯罪捜査で危険を伴わないケースの方が珍しいのはお前も知ってるだろ」

俺は少し声を荒らげてしまった。松元が慌てて人差し指を立てて唇の真ん中に近づけた。冷静さを取り戻した俺は周りを見渡すが幸い平日の午前中ため幸い客は周りにはいない。遠くの客もこっちの内容までは聞こえてないようで少し安堵した。落ち着いた俺を見た松元が口を開いた。

「警察官は決して万能では無い。多くの知識を持ってることが望ましいが専門知識を押し付けるのは酷だと思わないか」

俺はその言葉に納得する。そして咄嗟に専門官がいるじゃないかと聞き返す。松元はバツが悪そうな顔をする。

「この現状だ。専門官も同じく辞めていって空いた分の穴埋めは警察官より難しい」

「それはそうだが、国民にはどうやって説明する」

「この制度の建前はあくまでも警察の視察と監査役だ。もしこれを立候補制にすると人員が偏る可能性があるし癒着が起こることも十分に考えられる。それを防ぐために国民全員が民間刑事になる可能性があると発表する」

「そして実際にはその人の能力を駆使して捜査を行うと」

「私が言うのは筋違いかもしれないが、警察は信用が失墜してるといっても過言では無い。この制度の趣旨を宣伝することで国民の理解は十分に得られるさ」

最終手段もある事だしなとニヤリと笑みを浮かべる松元。その言葉と表情ですぐに公安部の情報操作のことだと理解した。

「確かに捜査には危険を伴う場合がある」

ページをめくるように促され数ページめくると民間刑事の装備品にマーカーで塗られていた。携帯品として身分証、通信機、捜査端末、手錠といった警察官が装備してるものに加え、防衛品として携帯型テザー銃、高機能閃光弾、鎮圧麻酔スプレーの携帯が認められる。

俺は視線を上げて向こうの様子を伺った。

「さすがに民間人に拳銃を携帯させるのは問題になるからな」

あくまでも武装は制圧と防衛を目的としたものである。しかし、どれも軍事用に開発されており、機能は最高のものだと彼は付け加える。

「それと捜査は単独で行うことはない」

次のページに民間刑事の禁止事項がまとめられていた。情報漏洩の禁止や命令指揮の無視など当然のことが書かれている中、民間刑事のみでの捜査・行動の禁止に色がついていた。

「民間刑事は原則1人の警察官に1人つく。必ずペアで行動して捜査をする形にする」

先程の懸念していた事はしっかりと対策されているようである。俺はもう1つ疑問をぶつけることにした。

「なぜ、俺なんだ?」

「この制度はまだ導入前だ。ここまでのことをすると法の整備が必要になるんだが、その前に試験運用をした方が良いと言う話になってな」

「それで俺を?」

「この試験運用の選抜条件は元警察官だ」

薄々分かっていた。なぜこのような話が俺に届くのか。経験者であれば何かと扱いやすいのだろう。

「今回の場合は再任命制度を使う」

警察官再任命用制度。警察官として勤務していた者が辞職した時に必ず説明を受ける。もう一度警察官としての志が芽生えた時に採用試験の優遇、研修の大幅免除などの措置があり、比較的容易に返り咲ける制度だ。もちろん懲戒免職などのトラブルで離れたものは対象外である。

「だからスカウトなのか」

「そうだ。そしてもうひとつ条件があって公安部のお墨付き、つまりは我々が信頼出来る人間にしか声を掛けてないという所だ」

松元は過去の俺の働きぶりを今でも評価してくれてるのだろう。過去の功績など、もうどうでもいいというのに。

「もし断ったら、どうするんだ?」

「別になんも無いさ。今回はあくまでも試験運用。強制的にお前を引っ張る事は出来ない」

俺の目を真っ直ぐと見つめる松元。真剣な時に見せる彼の凄みの効いた目にたじろぎそうになる。昔は彼の鋭い眼力と威厳のある見た目で捕まえた犯人はもちろん、周りも畏怖を覚えるくらいの風格があった。年月がたった今でもそれが健在で懐かしさを覚える。だが、その懐かしさに割り入ってくる重たい記憶。奥底に閉じ込めていた暗いものが少しづつ染み出てくる。

「俺はごめんだぜ」

答えは決まっていた。何故辞めた人間がもう一度警察に戻らないといけないのか。忌々しい過去の記憶がゆっくりと近づいてくる。

「あの事をまだ引き摺っているのか?」

しばらく俺の顔を観察して口を開く松元。

「あれは不慮の事故だ。決してお前のせいではない」

フォローをしてくれるが、それを素直に聞き入れられず沈黙の時間が流れる。

「だが、起きてしまったのも事実で」

俺は重たい口を無理やりこじ開けて言う。

「俺がその場にいて何も出来なかったのも事実だ」

松元は返す言葉を探してるのか、黙ったままこちらを見つめる。カウンターから店主がコーヒーを入れる音が聞こえてくる。

「分かった。とりあえずこの件は保留にしよう。今日は呼び出してすまなかったな」

松元のはっきりとした声が静寂を裂く。

「少し考えておいてくれ。頼んだぞ」

向こうは伝票を持って立ち上がり去り際に言い残した。彼が店から出た後、またこの場を静寂が支配し始めていた。俺は窓の方をゆっくり向いて外の景色をぼんやりと眺めた。そして思い出したかのように先程頼んだコーヒーを手に取る。コーヒーは既に冷めていたがそんなことも構わず口をつけた。

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