彼は誰時の破鏡落花
初投稿です。
昔書いていた作品を記憶を頼りにリメイクしたものです。
所々拙い描写ばかりなので期待しないでください。
蒼。果てしなく続く空。
翠。どこまでも広がる草原。
この世に果てがあるとしたら、そこはきっとこの蒼と翠が交わるところだろう。そんな場所が本当にあるのか、誰も知らないが。
その翠を裂く灰色の道の上を、二つの人影がまっすぐ歩いていた。どちらも若いというには、幼過ぎる背の高さだ。
空に高く浮かぶ太陽は、そんな二人に容赦なくザンザンと熱光の大雨を降り注ぐ。それだけでなく、灰色に色褪せたアスファルトが照り返して、下からも二人の身体を焼く。何と大人げない。だがそれに物申す者もいない。
「大丈夫? 疲れてない?」
先頭を行く子供が歩きながら肩越しに振り返ると、一回り小さい子供は力なく首を垂れた。それを確認するとまた前に向き直る。
浅黒く日焼けした少年の頬を一筋、二筋の汗が伝う。背中には身の丈はあろうという大荷物。流れ落ちた汗が道路に落ち、ジュンと音を立てる。灰色のアスファルトが、長い間手入れされていないことを静かに物語っていた。
その後ろをついて歩く華奢な少女は、力なくうなだれながらも、しっかりと足は前へ前へと進んでいる。
彼ら二人の他には、前も後ろも誰もいない。ここを歩き出してもうどれくらい経ったか、考えるのもとっくに辞めていた。せめて水筒の水が空になる前には休める場所に着きたい。そのために歩き続ける。
「そうだ。水飲もうか。ちょっとだけなら、まだ……」
そう言って重い荷物を下ろして封を開けると、中から革製の水筒を取り出す少年。持ってみた感じ、残り半分といったところか。
「はい。お先にどうぞー」
蓋を開けて少女に手渡しすると、受け取った少女は勢いよく中身を呷り、
パァン――ドサッ
次の瞬間、弾かれたように倒れ込んだ。
手を離れた水筒から、水がこぼれる。陽光に反射してよく目立つ銀髪の隙間から、とめどなくあふれ出る赤い血。
「――っ!」
咄嗟にその場に身を屈めた少年の頭上、丁度先程まで頭があった位置を一陣の風が吹き抜ける。
キッ、と向かい風の方を見るも、見えるのは背の高い草の海だけ。……否、草の海を掻き分け、細く黒い背びれの先端から煙を吐きながら、何者かが逃げていく。
少年は立ち上がると、ズボンのポケットに無造作に突っ込まれていた銃を取り出す。リボルバー式、大口径の拳銃だ。
すっ、と構え、引き鉤を引く。
ドンっ
重苦しい銃声の後、一瞬遅れて緑の水面に赤い潮が噴き上がった。
改めて身を屈めて耳を澄ます。風が草を優しくなでる以外に音はない。そのままの体勢で暫くして、漸く張り詰めた緊張を解く。新手は……いない。単独犯だったようだ。
拳銃をポケットに戻して倒れた少女に近づく。可愛そうに、折角の綺麗な銀髪が流血で赤黒く染め上げられてしまっていた。
血が固まって銀髪ごとアスファルトにこびりついてしまっていたので、髪を痛めないよう、慎重に剥がし、荷物から取り出した乾いた布で血を拭ってあげる。だがやはりと言うか、固まってしまった血はそう簡単には落ちてくれなかった。
おもむろに手を伸ばして水筒をつかみ取る。案の定、中身はもうほとんどない。一瞬迷った後、残りの水を全て布に吸わせて髪を拭ったことで、漸く元の銀色の美しさが帰ってきた。
同時に、少年も忘れようとしていた疲れがドッと押し寄せてきた。荷物から大きな布と棒を取り出し、簡易的なテントで日陰を作る。日が暮れるまでは休もう。
日陰を作ったとはいえ、流石に灼熱のアスファルトの上に寝そべる気はないので、別の大布を取り出してその上に少女を寝かせ、少年も隣に腰かける。
太陽は、未だ無慈悲な光の雨を降らせ続けていた。
やがて日が沈み始めた頃、再び歩き出す。
今度は二人、手をつないで。
◇
「あ、見て。街が見えてきたよ」
「……」
それは、最後に人と出会ってから十日以上過ぎた頃だった。
「誰か暮らしているといいね。でも、また人さらいに出くわしたら嫌だねぇ」
「……」
朗らかに話しかける少年と対照的に、少女は一言も喋らない。
街に着く頃には、すっかり日は沈み誰そ彼時になっていた。
元は市街地だったのだろうか。家々が立ち並んでいるが、人が暮らしている気配はない。中心部に行けば誰かいるかもしれないが、今日はここで休むことにして、明日先に進むことにする。
テキトーな家を選び、土足で物色する。思った通り、埃と塵まみれで最近まで人が暮らしていた形跡はほとんどない。金目のものもほとんどなかったが、幸いにも布団はあった。かび臭くジメッとしているが、野宿と比べれば贅沢も言っていられない。
味のしない携帯食で簡素な夕食を取り終わった頃は既に太陽と月が入れ替わった時間帯だった。布団に少女を寝かせると、長旅の疲れが溜まっていたのか数刻もしないうちに眠りに落ちた。
その姿を見て少年も即座に寝入りたい気持ちになったが、頭を振って邪念を払うと、少女を起こさないようそっとその場を離れて夜の街に繰り出す。
空に浮かぶ月だけが、彼の行方を知っていた。
夜が明け、日が昇り始めた頃に少女は目を覚ました。上体を起こし、伸びをすると関節がポキポキ音を立てる。やはり地面に寝るのとは雲泥の差だ。
と、そこで漸く少年の姿がないのに気が付いた。そしてどこからかいい匂いが漂ってくる。
匂いに釣られるように部屋を出、廃屋から出ると、果たして探し人の姿はあった。
「~♪ ……ん?」
鼻歌を歌いながらしゃがみこんで何かしらゴソゴソとしていた少年は、振り返って少女の姿を見ると、いつも通りの笑顔を見せた。
「おはよう。よく眠れた?」
「…………」
問いに無言で返す少女。彼女の興味は別の方に向いていた。
「丁度良かった。朝ごはん出来たから、起こしに行こうと思っていたところだったんだ」
少年が横にずれると、どこから拾ってきたのか、鉄板の上で肉が焼かれていた。
「見回りしていたら痩せた犬がいてね、それをパンってね」
指で銃を形作りおどけた様子で笑う少年から――これもどこからか拾ってきたのであろう――フォークを手渡され、隣に腰かける。よく焼けた手頃な肉を一切れ、フォークで刺して頬張る。痩せた犬肉だけあってあまり美味しくはないが、よく噛めば肉汁が舌の上で踊り、味のしない携帯食と比べれば十分美味しかった。
そのままパクパクと一切れ、また一切れ口に運んでいくが、はたとその手が止まる。先ほどから少女しか食べておらず、少年はその様子を見てにこにこほほ笑んでいるだけだった。気づけば肉は最後の一切れになっていた。
「あぁ、僕なら大丈夫。先に食べたからね」
少女の逡巡を察してか少年がそう言うが、直後にくぅと音が鳴った。
「……」
「……」
……気まずい空気が流れた後、少女は最後の肉の一切れをフォークで刺すと、少年の方に向けた。
「……ありがと」
差し出された肉を、少年は素直に受け取った。
朝食も済ませて片付けを終えた二人は、街の中心部に向けて歩き出した。
元は都会だったのだろう、先に進むたびに段々と背の高い建物が増えていくが、どれも荒廃して人が住んでいる様子は見られない。
それでも奥へ進んで行くと、漸く人が暮らしている場所に辿り着いた。よそ者である二人は四方八方から厳しい視線を向けられながらも、何とか店屋の情報を得ることができた。
中でも特に高い建物の一階にそこはあった。元はオフィスビルだったのだろうか、扉を開けて入った中は所狭しと物が乱雑に置かれていた。
奥にある、そこの周囲だけ整理された大きな机越しに店主らしき恰幅の良い男は来店者を一瞥すると、ゴミを見るような目をしながらも口を開く。
「いらっしゃい」
「すみません、ここがこの街のお店と聞いたのですけど……」
「いかにも、この街の唯一にして最高の店は、ここの店だが?」
唯一なのに最高とはこれ如何に、というツッコミをする者は誰もいない。
「旅の者です。携行食料と弾薬を買えるだけください」
「ちょっと待ちな」
店主は面倒くさそうに一枚の紙きれを取り出す。それは品揃えと料金が書かれた表だった。が、
「うわぁ、高いですね……」
思わず素直な感想がこぼれてしまい、少年はしまったと思った。だがそう思ってしまうほどに、書かれていた料金はとても高額だった。
「あぁ? 文句があるなら帰れ。野垂れ死んで犬のエサにでもなりな」
案の定、店主は機嫌を損ねて少年を突き離そうとした。
「いえ、買います。買わせてください」
少年は慌てて荷物に手を突っ込み、持ち合わせの全ての硬貨を店主の前に差し出した。
「なんだ、たったこれっぽっちしかねぇのか? これじゃ弾は売ってやれねぇなぁ」
足元見やがって……! 怒りがこみ上げてくるが顔に出さないよう必死に笑顔を取り繕う。
「……ホラよ、食料だ」
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
硬貨と引き換えに渡されたのは、片手に乗る程度の、とてもではないが数日ももたないような量の食糧だった。
大げさに頭を下げつつ感謝の言葉は忘れない。惨めだ。だがそうでもしないと生きていけない。
「おう! 今後ともごひいきにな!」
少年の態度に気をよくしたか、店主はがっはっはと笑う。当然二度と来る気はないが、愛想笑いは何とか崩さずに済んだ。
「ところでよ、旅と言ったがお前ら二人だけか?」
「えぇ、あの子の故郷が火災で失われて、安住の地を求めて旅をしているんです」
「ふーん、なるほどねぇ……」
そう言って商談中、二人から離れた位置にいた少女の身体を上から下まで眺める店主。その値踏みするような目つきに、少年は目を細める。
「なぁ、少しサービスしてやろうか。代わりと言っちゃなんだが、あの子を――っ!」
ゲスな提案は最後まで言い切ることはなかった。音もなく少年のズボンからいつの間にか抜かれた拳銃が、店主の額にキスをする。
「あの子を……何ですって?」
「じょ、冗談だ! ちょっとした気の迷いだから! なっ!?」
「……そうですか。行くよ、ミサキ」
店内の商品を眺めていたミサキと呼ばれた少女は、声掛けに応じ先に店を出た。後から続けて少年も店を後にする。
「お邪魔しました」
「…………ケチ」
扉を閉める直前、小さな悪態が聞こえた。あの店主にだけは言われたくない。少年は心の底からそう思う。
店を出ても銃は抜いたまま。店内に銃が置いてあったのは確認してある。もし実力行使で奪いに来られても反撃できるように油断はしない。
正面の大通りは通らず、脇の小道に入って暫く歩き続ける。どうやらこっそり後を尾けられてはいないようだ。やれやれと嘆息しながら、漸く拳銃をしまう。
先を行く少女――ミサキはそんな彼の心情を知ってか知らずか、一本結びにされた銀髪を揺らしながら、周りの背の高い建物を珍しそうに見上げていた。気づかぬうちに髪が大分伸びてきたかもしれない。今度散髪してあげよう。ここ数日暑い日が続いているし、彼女の美しい銀髪は売れば二束三文だが旅費の足しになる。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか背の高い建物群を抜けていた。そろそろ今夜の泊まるところを探さないといけない。その時だった。
「キエェっ!」
奇声を上げながら、一人の老婆が棍棒を振り上げて襲い掛かってきた。真っすぐ、ミサキへと。
「ミサキっ!」
咄嗟に彼女の腕を掴んで後ろに思い切り引くと、棍棒が彼女の銀髪を掠めた。腕を引いた勢いでそのまま二人の位置を入れ替え、荷物を放り出し、持ち上げられかけていた棍棒を踏みつけ阻止する。
「動くなっ!」
「ひいっ!」
銃を抜いて襲撃者に向かって叫ぶ。最初に見た時は老けて見えたが、声はしゃがれているものの意外と若い。四十前後だろうか。
「こっ、殺さないで……っ!」
怯えた様子で老婆、否女性は命乞いをする。先に殺そうとしたくせに何と都合のいいことだろう。
「……何故この子を殺そうとした?」
当然、少年の声には隠しきれない怒気が孕んでいた。だがそのままでは怯えて話にならないので、少しだけ銃口を下げる。
「こ、子供が死んで……い、生き返らせたくて……」
あわあわと何とか言葉を紡ぐ女性。理由は何となく想像できていた。今の時代、他人を襲う理由なんて追い剥ぎかそれ以外にない。が、
「それで? あなたは子供を生き返らせてまた死なせたいの?」
少年は故意に冷たく言い放つ。
「そ、そんなわけ――!」
「違わないでしょう? 貧しいこの街で生き返らせたところで、どうせすぐまた餓死するでしょ」
「…………」
先程の店の様子を見るに、この街はあの店主が物資を独占しており、それ以外の人々がどうしているかは明白だ。彼女のような人は決して多くないだろう。
「悪いけど、諦めた方がいいよ。死んだ人より今を生きる方が大事だ」
非情な現実を突き付けられ、女性は力なく項垂れる。少年が棍棒から足を離すが、何の反応も見せなかった。
「ミサキっ、大丈夫だった?」
放ったらかしにしていたミサキに駆け寄る。彼女は投げられた際に尻餅をついたままで、痛かったのかムスッとしていた。
さて、どうやって宥めたものかと思案する少年に、黒い影が覆いかぶさる。
「ミサキっ!」
咄嗟にミサキの細い身体を抱きしめる。直後、背中に走る激痛。
「あがっ……っ!」
「知ったような口聞くんじゃないわよ……」
女性が棍棒を振り上げ、怒りの形相で歯を食いしばる。
「アンタみたいな若造にっ! アタシの苦しみが判るものかっ! 死んでも誰も悲しんでくれやしないっ、生きる価値のない汚らしい浮浪児ふぜいがっ!」
二度、三度棍棒を振り下ろしつつ、大粒の涙をこぼしながら少年たちを罵倒する。
「死ねっ! 死んでその命を寄越せ!」
が、それ以上は棍棒も罵倒も叩きつけられなかった。その代わり、パァンという音と共に女性の顎から上が弾け、赤黒い血と脳漿をまき散らす。
「生きる価値がないとか、勝手に決めないでよ」
銃を後ろに向けながら、少年は誰ともなしに呟く。
「それでもボクらは生きたいんだよ」
ミサキは一連の流れに目を見開いて驚いていた。無理もない。目の前で人が無惨にも死んだのだから。
「ばあさんが死んだぞ!」
そしてそれを見ていたのは彼女だけではなかった。
「やれやれ、やっと死んだか」
「まあいつかはこうなると思ってたよ」
「俺もこの前襲われかけたんだよ。死んでせいせいだ」
「大人しく『蘇生屋』でも雇えばよかったのにな」
「バッカ、そんな金あるわけないだろ」
いつの間にか遠巻きに彼らを眺めていた人々が集まり、仰向けに倒れた女性を囲んでいた。その中に彼女の死を悼む者は誰もいない。それこそ『死んでも誰も悲しんでくれない、生きる価値がなかった』ように。
「…………行くよ、ミサキ」
彼らの興味がこっちに向かないうちに、荷物を拾い上げ未だ放心状態のミサキの手を引いてそそくさとその場を後にする。
そのまま暫く歩き続け、昨日とは別の元居住区に辿り着くと、適当に選んだ一件の廃屋の中に入る。その頃には日も大分傾き、ミサキも落ち着きを取り戻していた。
「いてて……大分腫れているなぁ」
シャツの上から殴打された箇所に軽く触れると、ピリピリした痛みが走る。シャツを脱ぎ、荷物から取り出した布を水で軽く湿らせ患部に押し当てる。が、
「……あっ、あれ?」
背中に指先しか届かず上手く拭けない。いくら力を込めても、関節が言うことを聞いてくれない。
「…………」
「……ミサキ?」
どうしたものかと悩んでいると、ミサキに布を取り上げられた。どうやら代わりに背中を拭いてくれるらしい。
「じゃぁよろしくね」
いい子だなぁ、なんて思っていると、
――――つんっ。
「ひゃいっ!?」
突然の痛みに背中がビクンっと跳ねる。肩越しに振り返ると、少年の反応が可笑しかったのか、ミサキはクスクスと笑っていた。どうやら背中の患部をつつかれたらしい。こいつめっ、と軽く小突く。
「……今度はちゃんとしてね」
身構えていたが、今度はいたずらされることなくちゃんと拭いてくれた。
その後は軽くテーピングしてシャツを着直す。気づくと、日はとっぷりと沈み、ミサキも壁にもたれて寝入ってしまっていた。
荷物から野宿用の小さい毛布を取り出すとミサキに掛けてあげ、その隣に腰を下ろす。――あぁ、それにしても、
「……お腹空いたなぁ」
ミサキを起こさないよう、ぼそりと呟く。今日ぼったくられ殺されかけと、散々な一日であったが、それ以上に空腹が酷かった。今朝食べた犬肉の一切れだけではとてもではないがもたない。
ちらりと、荷物を見る。食料はある。だがこれを食べてしまえば、この先飢えてしまうのは明白だ。それでも胃は食料を求めて暴れ狂う。
ギリッと歯を食いしばって、握りこぶしを自身の頬に打つ。痛いが、多少は空腹が紛れた気がする。
そのまま目を閉じじっとする。隣で眠るミサキの体温と寝息を感じているうちに、少年もいつしか寝入っていた。
◇
この世界が変わったのは、今から何世紀前だっただろうか。
死んだ者が生き返ることはない。それは遥か昔、人類が生まれる前からの絶対不変の理であった。だがその理はある日突然音を立てて崩れ去った。
『人を殺すと、臨んだ人物が五体満足で生き返る』。そんな現象が突然起きたのだった。
人類は遂に死を克服したのだと、神からの祝福だと最初は喜ばれた。だが、それは長くは続かなかった。
それはやがて、性別を、宗教を、国を超えた大戦争にまで発展した。誰だって知っている人を殺すよりも知らない人を殺す方が気が楽だ。それが憎い相手ならば一石二鳥だろう。
戦争の裏で、殺し屋の他、対象を殺すのではなく生き返らせることを生業とする『蘇生屋』などという酔狂な輩も生まれていた。
永劫に続くかと思われた地球全土を巻き込んだ大戦争の中、やがて人類は思い知った。これは祝福などではなく、呪いなのだと。気づいた時は既に遅く、戦争により傷ついた地球上に人類は最盛期の百分の一にまで減ってしまっていた。
かつての技術の大半も失われ、人類は静かに滅びの時を待っていた。
◇
頬に当たる冷たい感覚で少年は目を覚ました。目を開くと、心配そうに覗き込むミサキと真正面から目が合う。
「やぁミサキ、おはよう。よく眠れた?」
明るく声をかけるが、それでもミサキの表情は優れない。そこで頬に残る鈍い痛みと、彼女が水で濡らしたタオルを持っていることに気づいた。
「あぁ、これ? 昨日ちょっとトイレに行ったときにぶつけちゃってね」
嘘だ。だが少女は納得したのかほっとしたような表情を見せる。それを見て心が少し痛んだ。
「もし。君たちは旅の者かね?」
携帯食で軽い朝食を済ませた後、二人は廃屋を後にして旅立とうとしたが、そこで杖を突いた老人に声を掛けられた。
「えぇ。そうですが……」
「おぉ、それはいい! やはり子供は元気なのが一番だ!」
急に話しかけられ困惑している少年をよそに、老人はとても嬉しそうに表情を綻ばせた。
「良ければ旅の話を聞かせてもらえないかな? 老い先短い爺さんの願いなんだ」
「うーん……」
「勿論無理にとは言わないが、もしもお願いを聞いてくれるならご馳走するよ」
ご馳走、という魅力的な提案に少し心が揺れ、ちらりとミサキの方を見やる。ミサキのことも考えると、答えは自ずと決まった。
「判りました。ご期待に応えれるかは判りませんが……」
「ありがとう。それじゃあ場所を移動しよう。こっちだ」
老人に連れられて二人は歩き出す。後ろをついて歩いていると、老人の歩き方が不自然なことに気が付いた。どうやら義足らしい。
連れてこられたのは周りの廃屋と比べると、気持ち片付いている印象の家屋だった。中に案内され、軽く埃を払われたボロボロの椅子に二人腰かける。
「どうぞ。こんなものしかなくて申し訳ないが……」
そう言って対面に座った老人が部屋の奥から取り出したのは、今時珍しい、焼き色が綺麗な真っ白なパンだった。
「ありがとうございます。いただきます」
パンを受け取り、一つちぎって残りをミサキに手渡す。ミサキはパンの匂いを愛おしそうに嗅いだ後、大きな口でかぶりついた。それに習い、少年も一切れを口に放り込む。
「――美味しいっ」
途端、口いっぱいに広がる小麦の美味しさに素直な感想が漏れた。隣のミサキも、珍しく目を輝かせてパンに舌鼓を打っていた。
「お口に合ったようでよかったよかった」
そんな彼らの様子に、老人は満足げな様子でほほ笑んだ。
「私には昔、君らより少し小さいくらいの子がいてね、あの子たちも私の作るパンを美味しい美味しいって食べてくれていたよ」
笑ってこそいるものの、そう語る老人の顔はどこか寂し気だった。昔にいた、という言い方から大体の事情は察せられる。
「死んでしまった、のですか……」
「あぁ……この街は数十年前はまだ活気のある街だったのだがね、戦争に巻き込まれて、今じゃこの有様だよ」
老人は俯きながら言葉を続ける。
「当時の私はまだ新婚でな……子供は二人。幸せな家庭を築けると信じていたよ。徴兵されるまではね」
「それで足も……」
「あぁ、その通りだ。『死療』から逃れるのは苦労したよ」
死療。それは長く続いた世界大戦の中で生まれた新たな医療法だ。早い話が、負傷するなどして戦えなくなった兵士を殺し、別の兵士を生き返らせるという、医療とは名ばかりの味方内での命の奪い合いだ。だが戦争が長期化すればするほど、食料だけでなく薬も不足する。ならばと使い物にならなくなった兵士の命を別の兵士のために活かすのは美学だとされて世界中で流行ったと少年も聞いたことがある。……それがさらなる戦争の泥沼化を引き起こす要因となったのは、甚だ皮肉なものだが。
「でも、貴方なら家族を生き返らせるくらいできますよね?」
「……どういう意味だい?」
「その杖、仕込み銃ですよね?」
その一言に、椅子に座っても未だ手放していなかった杖を握る手がピクッと動いたのを、少年は見過ごさなかった。
「ボクたちを殺して、息子さんたちを生き返らせようとした……違いますか?」
「……やれやれ、全てお見通しだったというわけか」
はっはっは、と大きな声で老人が笑う。
「おじさん、実は殺し屋ですよね? そんな目をしています」
「如何にも。私は元殺し屋だよ」
少年が核心を突くと、老人はあっさりと認めた。
「これでも若い頃はそれなりに腕の立つ殺し屋として名を馳せたものさ。『蘇生屋・命のシズクの再来か』とまで言われたものさ。知っているかい? 『命のシズク』」
「……えぇ、名前だけは」
『命のシズク』。それは殺し屋と反する蘇生屋という仕事が生まれた原因とも言われる、全ての殺し屋の原点とも言われる人物だ。その人物に関わった者は誰一人として生きて帰らず、その在り様だけが伝説的に口伝されているのみとされている多くの謎を秘めた蘇生屋。
「でも、なんでボクらを殺さなかったんですか? 殺すチャンスはいくらでもあったでしょう?」
「……いや、殺さなかったんじゃない。殺せなかったんだ」
そういうと、老人は両手で顔を覆った。杖が机の端をツツーッと滑り、カランと音を立てて落ちる。
「私はあまりに年を取り過ぎてしまった。たとえ今君たちを殺して家族を生き返らせたところで、受け入れてくれるか……そう考えると、あまりに恐ろしくてとても殺せなかったんだ」
少年はチラリとミサキの方――その先の壁に掛けてある小さな写真を見やった。若い男女が、二人の子供と一緒に映っていた。
「それに、私と会ってから君、ずっとポケットの銃を離さないからね。全く隙がなかったんだよ」
「それは、まぁ、いきなり声を掛けられたら警戒しますよ」
「それもそうだね」
暫くの沈黙。そして、
「……誰か来ていますね」
「……だね」
名残惜しそうに未だにパンを食んでいたミサキの手を引き、老人に連れられ二階へ移動する。すると、どこからともなく聞こえてくる駆動音。この音は……バイクだろうか?
ベランダからチラリと様子を伺うと、思った通り、バイクに乗った若者たちだった。その数、十はいるだろうか。
「流れの浮浪者共か? しかし何でここに……。まさか街の誰かがここをバラしたのか?」
「ここに何があるんです?」
「小麦粉とか多少の蓄えだ」
少年と老人がブツブツと話している間に、若者たちは次々と家の中に入ってくる。遠目にしか見えなかったが、全員武装していることだけは明白だった。
二階にくるのは時間の問題だろう。そう思った時は既に遅く、ドタドタと騒がしい足音がすぐ後ろまで迫っていた。
「二階に誰かいるぞ!」
「ちぃっ!」
二人同時に、少年はズボンの銃を、老人は仕込み杖の持ち手を外して侵入者に向ける。パンっ、と二つの銃弾が飛び、額と胸を撃たれた男は叫びながら倒れ込んだ。
三人が急いで一階に降りると同時、外にいた連中が大挙して押し寄せてきた。
物陰に身を隠し籠城戦を行うが、多勢に無勢、裏口からミサキを逃がし、少年は老人と共に戦うことを選ぶ。
「何をしている!? 君も早く逃げるんだ!」
「ボクも戦います。彼女が逃げる時間を稼ぎます」
「馬鹿者! 君が死んだら、誰があの子を守るんだ!」
その言葉に少年の銃を握る手が震える。そうだ、もし仮に逃げおおせたところで、彼女に一体何ができる? どこかで野垂れ死ぬか、人攫いに捕まるのが関の山だろう。
「ここは私が何とかする。君はいきなさい」
優しく諭され、少年は老人を置いてその場を逃げ出した。直後、背後で起きる轟音と爆風。老人が小麦粉を部屋中にまき散らして粉塵爆発を起こしたのだった。
そのままの勢いで裏口から外に転がり出た少年は急いで先に苦したミサキを探す。すると、とても目立つ綺麗な銀髪の少女が屈強な男に抱えられていた。
「ミサ――あがっ!」
死角から襲ってきた別の男に頭部を殴打され、少年は倒れ込む。
「ミ……サ、キ……」
薄れゆく意識の中、エンジン音が街の中心部へと去って行くのが聞こえていた。
◇
異様に静まり返った夜、とある廃ビルの二階で、男たちが騒いでいた。原因は酒だ。このビルの一階で商いをしていた店主が隠し持っていた大量の酒で簡素な宴会が行われていたのだった。なお件の元店主は額から血を流しながら、ハエがたかる床の敷物に成り果てていた。
「それにしても、今日は大収穫でしたね。食料がたんまりと、それに売り物になりそうな女も少々」
「あぁ、これで暫くは食い繋げるな」
瘦せぎすた男がリーダー格の男に寄って話しかける。彼らが街を襲ったのはこれが初めてではない。道行く先々で待ちがあれば物資を奪い、女を攫い、奴隷商に売りつける。そんなその日暮らしで生計を立てていた。どうせ故郷を追われたならず者の集まり、どんな生き方をしようが咎めるものなどいなかった。
「ところで売りつける前に、少しだけ味見しても?」
部屋の片隅に転がっている、一際美しい銀髪の女を横目にメンバーの一人が言う。
「辞めておけ。傷物になって値打ちが下がったらたまったものじゃない」
へーい、と気の抜けた返事をし、彼は大人しく引き下がった。
そしてそんなロクデナシをまとめ上げたのは、現リーダーの手腕によるものだ。纏まりのない輩をまとめるのに、文字通り何度骨を折ったか判らない。
その時だった。
「キャーッ!」
突如、窓の下から女性のような甲高い悲鳴が聞こえてきた。静かな夜に、その声はとても響いた。
「おっ、こんな時間に強姦か?」
一人の酔っぱらった男が、興味津々と窓から身を乗り出して覗き込んだ。そして、
パンッ。
男の身体がぐらりと傾き、そのまま窓から転落した。その場にいた全員が、何が起こったのか判らず硬直する。
立て続けに二発、パンパンッ、と音が響いたことで、漸く自体が飲み込めたリーダーが叫ぶ。
「て、敵襲だ!」
その言葉を合図に、男たちが慌てて立ち上がり各々の武器を手に取り下の階へと降りていく。後から遅れてリーダーも続いて外へと繰り出すが、暗くて襲撃者の姿が判らず全員右往左往しているようだった。
「裏路地の方だ!」
メンバーの誰かが叫ぶ。すると足音が確かに裏路地の方へと駆けていくのが聞こえた。「逃がすかよ!」と、別のメンバーが停めていたバイクに跨って追いかけようとエンジンをかけた。瞬間、突然の轟音と閃光が闇夜に広がった。バイクに細工を仕掛けられたと気づいた時には、乗っていたメンバーが火だるまになって転げまわっていた。
「熱い! あちぃよぉ!」
地面に転がり手足をばたつかせる、それはさながら虫のようだった。
「どけ」
そんな一人を遠巻きに見ていた他のメンバーを押しのけ、リーダーは前へ出ると散弾銃を向け、躊躇うことなく燃えているメンバーを撃った。
「ギャッ」
撃たれたメンバーは悲鳴を上げるが、間もなく息絶えた。それでも火は消えることなく、煌々と命を燃やし続ける。一見非情に見える行為だが、この時代では特に珍しくもない行為である。しかし、
「ひとごろし」
闇に紛れてどこからか知らない声が聞こえると、銃声と共に別のメンバーの一人が倒れた。
「おい、大丈夫か!?」
「辞めろ、そいつに近づくな!」
リーダーの生死も遅く、倒れた一人を気遣ったもう一人も撃たれた。闇に紛れた襲撃者の前になす術もなく、一人、また一人とメンバーが殺されていく。
「逃げろ! 建物の中に急ぐんだ!」
リーダーのその一声を皮切りに、先程まで宴会をしていた建物に残った全員が殺到する。――このままでは全滅する。そんな嫌な予感が悪寒となってゾワゾワとリーダーの背中を駆けのぼる。
「早く閉めろ!」
「待って! 置いていかないで!」
リーダーを含め、数人入ったところで扉が閉じられ鍵が掛けられる。外にまだ残っていたようだが、お構いなしだった。
鍵のかかった扉越しに数発の弾が撃ち込まれ、鍵をかけたメンバーはその場に崩れた。この扉が破られるのも時間の問題だ。そう判断し二階に避難する。
二階の一室に一斉に転がり込む。十人弱いたメンバーは、リーダーを含め三人にまで減っていた。得体の知れない襲撃者に、誰もが戦々恐々としていた。
「何でアイツらを見捨てたんですか! まだ助かったかもしれないのに!」
「これ以上リスクを背負うわけにはいかなかった。それだけだ……」
「でも……!」
「あそこでアイツらを見捨てなければ、お前らまで危なかったんだぞ!」
嗚咽交じりのリーダーのその言葉は、最早慟哭じみていた。味方を気遣ってばかりでは、いずれ己の身が危うくなる。時には非情な決断を下してこそのリーダーの在り方だった。だが、
「で、お話は終わりかな?」
いつの間にか扉を破って表れた襲撃者の前に、そんな葛藤は茶番でしかなかった。
「ひ、ヒィィッ!」
メンバーの一人が悲鳴を上げる。襲撃者は煩そうに顔をしかめると、すっと銃を持ち上げてメンバーを撃つ。一人、もう一人。そして最後に既に抵抗する気を失ったリーダーに銃口が向けられ、
――カチッ
「……あれ?」
弾は、出なかった。もう数回引金を引くが、弾は出ない。どうやら動作不良を起こしたようだった。その決定的な隙に、リーダーの消えかけた闘志に火をつけた。
「うおおおおおおっ!!」
叫びながら突貫するリーダー。突然の出来事に驚いた襲撃者は反応が遅れ、真正面からタックルを受けてしまった。
襲撃者の小さな体が吹き飛び、飲みかけの酒を散らかしながら転がる。その先は先程まで宴会をしていた広間、そして昼間に攫った銀髪の女が転がされていた。
「仲間の仇っ! 死ねぇ!」
散弾銃を構え、即座に放つ。決して避けられないタイミングだった。が、
襲撃者は少女を盾にし、銃弾を防いだ。
「何っ!?」
突拍子もない防ぎ方に思わず困惑するリーダー。流れ弾が酒のこぼれたコンクリートの上で跳弾し、火をつける。
襲撃者は少女を盾にしたまま立ち上がり、勢いよく駆けてきた。リーダーが慌てて銃を構え直すも遅く、二人分の体重を乗せたタックルで弾き飛ばされる。
「ぐ、ぼっ!」
押し倒されると同時、鳩尾を思い切り踏みつけられて嗚咽する。揺らぐ視界の先では、小さな襲撃者が拳銃を構えているところだった。
「て、てめぇ……何者だ。殺し屋か?」
「殺し屋なんて……そんな連中と一緒にしないで欲しいな」
その問いに、呆れたような声で、襲撃者は自らの名を語る。
「ボクはシヅク……蘇生屋『命のシヅク』だ。今は休業中だけどね」
「なっ……シズク……!?」
もう話は終わりだという代わりに襲撃者は銃の引き金を引く……が、やはり弾は出なかった。
彼はやれやれと言いたげに銃のバレルを握ると、銃床を勢いよくリーダーの頭に振り下ろした。
燃え盛るビルの中で、少年は少女を担いで走っていた。
「ゴメンよ、ミサキ……」
少女の服には穴が開いて赤く染まっていたが、穴から覗く素肌に傷はなく、軽い寝息を立てていた。
煙と熱気が容赦なく少年の行く手を阻むが、火が回る前に何とか建物からの脱出に成功した。他にも何人か囚われていた女性がいたようだが、いつの間にか騒ぎに乗じて逃げていた。
が、そこで力尽きた少年は少女を背負ったまま倒れ込んだ。煤で真っ黒になった肌を汗だくの腕で拭うと、腹の虫が鳴いた。もうこれ以上歩けない。このまま死ぬのだろうかという考えがチラチラと脳裏に浮かぶ。
その時、建物が焼ける臭いとは別の匂いが漂ってきた。それは、肉の焼ける臭い。
背中で眠る少女を起こさないよう必死に這いずって辺りを見渡すと、先程の爆発で焼け焦げた遺体――否、肉があった。
あぁ、と。少年はその『肉』へと這っていく。最早迷いはなかった。
――いただきます。
少年は大口を開け、目の前の肉にかぶりついた。
◇
翌朝、店の前に人だかりができていた。昨晩この店を占拠した流れの暴力団が何者かに壊滅させられたらしく、黒焦げた店の中や正面には大量の遺体が転がっていた。中には身体の一部が不自然に欠けた遺体も見られたが、そんなことは先住民たちにはどうでもよかった。それよりも彼の店の店主が殺されたことで、中にある火災を免れた物資が彼らの手に行き渡ったことの衝撃の方が大きかった。
更には食料だけではなく作物の種も一部保管していたらしく、今後はこれらを植えることで飢えることがなくなると希望に満ちあふれた声が次々と湧いてくる。その中には、先日殺されたはずの女性が、胸に子供を抱いて涙を浮かべて喜んでいた。
そんな彼らの後ろを、年若い旅人が通り過ぎて行った。その場にいた何人かは、これが彼らの仕業だと気づいただろう。だが、誰もその背中を追う者はいなかった。
「…………?」
「心配しなくても大丈夫だよ、ミサキ……」
一方その頃、居住区の外れで少年少女は旅支度を済ませていた。ただ、少年は腹を抑えて気持ち悪そうにえづいており、訝し気に覗き込んでくる少女に必死に取り繕っていた。
のろのろとビル群を抜け、居住区に入るとどこからか子供の笑い声が聞こえてきた。
「おとーさーん! あそぼー!」
「ダメだよ、まずは家のお片付けをしないとー!」
黒く焦げた家の向かい側に、随分年の離れた一家がいた。
旦那と思しき老人は旅の二人の姿を見ると、家族に家に入っているように言った後、二人の方に歩き出す。
老人は両の足でしっかりと大地を踏みしめ、少年少女に向き直る。
「もう……行ってしまうのかい」
「えぇ。必要なものは頂きましたし、ここはボクたちのいるべきところじゃないですから」
それを聞いて、名残惜しそうに、老人は慈愛に満ちあふれた表情を浮かべた。
「ご家族とお幸せに……それじゃ、さようなら」
少年が深々と頭を下げると、少女も続いて頭を下げる。そして街の外へ向かって歩き出した。
「昨日の家の裏手に向かいなさい。私にはもう必要ないが、君たちに必要なものを集めておいた」
最後に少年たちの背中に老人が声をかける。言われた通りに、老人が暮らしていた家の裏手に回ると、そこには小さなバイクと、そのシートの上に小さな箱が置かれていた。
箱を手に取ると、見かけによらずズシリと重い。開いて観ると、中には拳銃のパーツが沢山詰められていた。ついでに、バイクには昨晩も見た仕込み杖が立てかけられていた。
「……ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
大切に蓋を閉じ、荷物にしまう。そして今度はバイクの方に視線を移す。
「これ、動くのかな」
キーは刺さっていたので、試しに跨ってキーを回してみると、ぶぉんと爆音がなった。どうやらこれのメンテナンスもしてくれていたらしい。
一旦降りて後部に荷物を縛り付けると、ミサキの手を引いて後ろに乗せる。
「行くよ、ミサキ!」
腰に回された腕を合図にアクセルを踏むと、少年と少女を乗せて、黒い単車は草原を走り出す。
彼は誰時の、朝露を散らして。
ここまでの読了ありがとうございました。以下、雑記。
1.タイトルの破鏡落花とは、「落花枝に帰らず、破鏡再び照らさず」という諺が元。意味は『失われたものは戻らない』。
2.登場人物
シヅク。一応主人公。
この世界で『蘇生屋』と呼ばれる殺し屋の派生が生じる原因となった『命のシヅク』その人だが、彼自身はその名前を襲名した数代目。なおシヅクの名前は口頭でのみ伝えられた結果、シズクと間違えて覚えられている。
現在は蘇生屋としては活動しておらず、後述のミサキが安全に暮らせる土地を探して各地を旅している。
ミサキ。一応ヒロイン。
シヅクと旅をしている銀髪の少女。
生まれつきの障害で喋ることができず、故郷では腫れもの扱いされていた。
火災で故郷を失った際に近くにいたシヅクに助けられ、以後共に旅をしている。