経験の記録
2005年のある月、母の痛みを引き換えに俺が生まれた。
愛情が込められた名前を授けられ、人生が始まった。
一歳二歳三歳四歳と歳を重ねるごとに成長し、歩けるようになったり、言葉を覚えて話せるようになった。
幼稚園に入った。初めて同じ同級生達と触れ合う時。
すぐ拗ねる俺に手を焼いている先生達....思い通りにいかないとすぐに投げ出してしまう俺に、先生達は相当苦労しただろうな....。
進級していく事に友達も増えていき、己の欠点も直すことが出来た。完璧じゃなくとも、限りなく。
年長になっても大したことは起きなく、平和に時間は過ぎていった.....訳ではなく...一大イベントが起きた。
ー1.離婚ーーーーーーーーーーー
家で過ごしていた夜頃のある日、突然コップが割れた。
パリンッ!と音を立てて割れ、おそらく今晩の食材であろうジャガイモが割れたコップの近くで潰れかけて
いた。
そしてその奥...台所の奥を見るとそこには........母が床に座り、体育座りでうずくまって動かない....泣いているようにも見えた...。
うずくまって微動だにしない母、怒り怒号をあげる父
そしてその状況を見て涙を流し泣き喚く俺....。
まさに人生のどん底って感じさ。今だって思い出すと泣きたくなる....。
数日後には家を離れた。車の窓から見えたのは...遠ざかる家と、我々の車を見送り手を振る祖父と祖母の姿.....
おそらく俺はそこで人生初めて人との「別れ」を感じたんだろう........分かるか?離れたくない人と、S極とN極のように突き放されるのがどれだけ辛く苦しいか......子供には辛すぎることだったな....。
新しく家に来た日は快晴だった、まるで我々の入居を歓迎しているように。
俺は何も思わなかった...この家でこれから過ごしていくことの不安も、意気込みのような思いも........。
ー2.義務教育ーーーーーーーーー
程なくして園を卒園して、小学校へ入学した。
小学校の雰囲気というのは、見た感じ古いというか昔からある学校という感じがする.....。
正門を入って左に石碑が置いてあり、そこに刻まれている文字を見ると....「昭和〇〇年開校」と書かれていて、見た目の古臭さの理由が分かった気がした。
教室へ入り、自分の名前が貼られた机に座る。
続々と生徒達が席に座り先生が教壇に立つと、学校のこれからについて等を話し始めた。
話が終わり、次は教科書の説明をしだした
国語の教科書はこれだ。算数の教科書はこれだ。みたい感じで、簡単かつ雑な説明だったよ。
諸々の行事が終わり、家に戻ったが明日から始まる学校生活に胸を躍らせていた。
一年二年三年四年五年と学年を重ねていくごとに成長し、様々な勉強を覚えていった。
漢字も数多く書けるようになり、社会もかなり覚えてきている。
友達もかなり出来て充実した生活を謳歌していた....でも、幸せってのは長くは続かない....。
ある日俺は魔が差して深夜部屋を出て母親のバッグから財布を取り出し、クレジットカードを盗った。
カード番号をスマホに入力し課金したゲームは
「モンスターストライク」
誰もが知っているソーシャルゲーム
課金額は20万。全てをガチャに溶かした上に、クレカ使用発覚を恐れた俺はアカウントのバッグアップも取らずにアプリを消去した。
ふぅ....これでバレる心配は無し...よし、寝るとしようか....。
数日経ったある日の夜、親から呼び出された。
リビングに向かい見せられたスマホの画面に映った請求書のような写真には、俺が20万円分の課金をした....
いわゆるレシートが映されていた。
俺の必死の弁明虚しく、スマホ没収&スマホ買いません条約を結ばされた.....。
自分の行いを今更後悔しながら日々を過ごしている間に小学校の卒業式だ。学校へ行ってない俺は何をすればいいか全く分からない。
入場から着席、開会式。フッ...思ったより簡単だな。
卒業証書授与式では一人一人壇上へ上がり、大きな声で自分の夢を叫ぶ。
16番目に呼ばれた俺は言ったよ
「小説家になって!本を書くことです!」
言ってやったぜ感を存分に出し卒業証書を貰い壇上を降りた。
それから旅立ちの日にを歌い、低学年が用意してくれたアーチを潜り退場していく。
教室へ戻り、最後に先生からの最後の言葉を聞いた
そして最後の学級通信を貰い、学校を後にした。
その後に皆で打ち上げをしようという話があり、しゃぶ葉に行くはずだったんだが....俺だけ行けなかった...。
具合が悪いから?金が無いから?
親から「だめ」と言われたからだ。金がなかった訳じゃない....部屋の片付けをしろと言われた。
「母からパクった金で買った物全部捨てろ」ってね。
酷く落ち込んで、自分のせいとはいえ最後に皆に会えないのか....と思うと心が寂しく感じてくる....。
結局その日は皆に会えず...部屋の片付けをして終わった....。
ー3.新生活ーーーーーーーーーー
4月5日AM12時快晴
中学の入学式にドキドキしてやまない新1年生
鼻につまる鼻水を力一杯ティッシュに吐き出し、親と向かう学校。近づく度に緊張感が増す。
小学校で友達だった子もいたりしたが、殆どが知らない顔で初めましてだらけだった。
鼻が詰まっていたせいで間抜けた声になりながらも初めての校歌を歌い切った。
歌の後は離任式も行われた。上級生の数人はしくしくと泣いていたが、我々から見れば誰やねんと思いながら話を聞いていた。まぁ...時期に辛い気持ちが分かるだろうけどな...。
その後数分の休憩時間があった時に、1人の先輩が俺の方にやってきて話しかけてきた
「お前部活何に入るんだ?」
俺は「バスケ部ですかね...バスケ好きなので...」
そう言うとその先輩が心配するような声で
「バスケ部はやめといた方がいいぞ、顧問くそ怖いぞ」
そう言うと先輩はどこかへ行ってしまった....どういうことだ?....まぁ、今はいいか......。
教室へ行くと、保護者の人らが多すぎて閉鎖的だった。俺の鼻も鼻水のせいで閉鎖的だったよ。
当時根っからの陰キャだった俺は、その日誰とも話さず行事が終わるとそそくさと家へ帰った。
次の日は普通に登校していたが、その次の日から早速学校に来なくなった。
最初は「起立性調節障害」なるものによる欠席だったが...年の中盤になるにつれて面倒になってきた
長く休んでいたせいか、ある日行こうとするも体を起こすのがだるくなってしまった。
学校へ行かなくなったのは一概にそれだけとは言えない。他にも理由があってな....。
俺はバスケ部に入っていて、そこには友達もいた。
そもそも部活に行かなくなった理由っていうのが....
「自分の体力に合っていないのに、好きという理由だけで入ってしまったから」
その頃に思ったのは....
「好きという気持ちだけで辛さを誤魔化すことは出来ない」ということだ。
体を動かすスポーツでは「体力」が無いとやはりダメなのかと思って諦めたよ....。
あとはシンプルに人間関係が合わなかったから辞めたってのが理由かな。
諸々の理由が重なりますます居づらくなった俺は、いつしか部活に来なくなった....。いわゆるバックれだ。
ある日の部活なんて先輩に「歯医者がある」と嘘ついて先輩に嫌な顔されながら部活を休んだこともあるくらい部活に居ることが嫌だった。
数日経ったら顧問に呼ばれて、顧問の前で「辞める」と言ったことで正式に部活を辞めた。正直気分は良くなかった....。
それからの1年は凄まじい年だった。
ろくでもない恋愛をしたり、愚かにも俺が友達の金をパクろうとして見つかった挙句縁を切られたり、シンプルに周りから嫌われまくって散々な一年だった。
殆どが自分のせいとはいえ、よく心折れることなく生き抜いたと思っている。
そんな激動の一年が過ぎ、中学2年生となった。
出だしは最高だ、友達がまたもや沢山出来て充実した
"1ヶ月"だった....。
またもや行かなくなった。もう障害云々関係無いただの怠惰だ。
行かなくなったことに理由は毛頭無いが、後々理由になることが起きた。
簡潔に言えば嫌われた。多くの人に、嫌われた。
どうやら自身の振る舞いや言動が嫌われた多くの理由だったようだ。イキリ陽キャとも言われた。
そう言われてから直そうと努力し、なんとか嫌わなくなってくれたものの結局俺のことが嫌いな奴は結局嫌いなままで、どうしようもないまま学校生活を送ることになった。
その先でも何回か嫌われ、その度に直してきた。
俺は今まで人に嫌われたら「相手がそう思ってんなら直そうとしてもしゃーない」と思っていた....が、直そうとする試みは悪くないと思い始めていた。
「嫌われない努力」ではなく「好かれる努力」を中学二年の中盤辺りで意識するようになった。
当時そう思うまでは、大してトークも面白くなくボケもツッコミもダメダメだった....だがそう思った日以降は人と話す時に意識するべきことを覚え、ボケとツッコミを積極的にしていこうと努力した。
その努力が功を奏したのかだんだん俺の事を嫌う人が減り、楽しそうに話をしてくれる人が増えた。
「自分を変えるのになんの躊躇も要らないんだ」
そう思った。
ー4.閉幕と開幕ーーーーーーーー
自分に変化をもたらすことが出来た年を越え、中学3年生となった。
味を占めるが如く新学期の数日だけ来てあとはずっと休み続けた。無論面倒臭いからだ。
休み続けて時間を意味無く潰し続けたある日の昼....
12時頃に起きた俺は風呂に入った。
5分程度で風呂から上がり、髪を乾かし終えたら部屋へ戻り机の椅子に座る。
俺は思った
「俺、何してんだろ」
俺が寝ている間に皆は授業を受け、起きた時でもまだ授業を受けている。
風呂から上がってボケーッとしてる今この間に皆は班の人らと話しながら飯を食っている....。
俺は部屋に1人で、冷蔵庫にあった食べれそうなものを机の上に置きスマホでYouTubeを見ながら無言で飯を食ってる....。口を動かすのは飯を食う時だけ....。
ふと思った自分の今の生活が"死んでいる"と思って涙が出そうになった。人と話したくても連絡する気も起きない上に学校に行く気にもならない。
そのくせ「人と話したい」なんてわがままを独り言で吐き散らしている。バカみたいだろ?ホントあほらしいよ....。
ある日の夜にInstagramに投稿された1つのストーリーを始めとする一連の出来事が起き、友達を1人減らすことになった。
何故か?...今になって言えばどうして縁を切るに至るまで事がでかくなったのかは分からない。
ただ1つ言うとするなら
「自衛の為ならいかなる理由においても"嘘をつく"行いが正当化されるかどうか」だ。
そこに関する価値観の違いが事をあれ程までに大きくしたんだろうな。
相談しにいった先生はこう言っていた......
「自分の知られたくないことを知られたなら、咄嗟に嘘をついて隠そうとするのは仕方ないことだ」ってさ。
当時の俺はそれを聞いてどう感じただろうな。認めたくない正論でイラついたんかな....無理やり正論をねじ伏せてでもその友達のことを遠ざけたかったんだと思うよ。まさしく子供だ。
学校に行かないくせに家でスマホをいじる生活もそろそろ終盤に差し掛かってきた。
志望校も決まっていない以前に高校に関する事を何もしていない...."高校へ行かずにバイトをする"なんて甘い考えをしていたが、先生2人と親に本気で止められた。
当然だ、中学生を雇ってくれるバイトなんてそうそうないだろうからな。今思えば人生の崖っぷちに向かおうとする俺の肩を、力一杯掴んで引き止めてくれていたんだな。
なんとか志望校も決まり、願書も出し後は受験を受けるだけというとこまで落ち着いた。
しかし俺は受験日にとんでもない事をしでかす....。
受験日の朝、7時頃....朝目が覚めて体を起こそうとすると頭にズキッと痛みが走った。
言うまでもなく頭痛が俺を襲う訳だがそれだけじゃない....吐き気もする....。
けど今日は1年に1回しか来ない上にチャンスは1回あるかないかの貴重な瞬間...."休む"なんて判断、普通の人はしようなんて思わないだろう....。
けど当時の俺は違った。なんと休んだんだ。電話も入れた上で休んだんだ....!
するとどうなったか....志望取り消し手続きの云々を学校へ行ってやらなくては行けないんだ....!
取り消ししたのなら一年の間高校へ行けず家で適当に過ごすのか?と思うだろ?違うんだよ、俺にはまだチャンスがあったんだよ。
通信制だ。通信制に通うというのなら受験日もまだ先で尚且つ願書の締切もまだ先で間に合う!
ならば!と思い再度願書を作り学校へ提出へ行き、受験日を待った。
そして来たる受験日
内容は"作文"...という名の質問回答だった。
4つあるなら質問の解答欄を、余すことなく全て埋めて回答した。
結果は合格。難易度は高くないものの嬉しかった。
安心して家へ帰りその日は寝た。今後の高校生生活を夢見ながら....。
ー5.孤独ーーーーーーーーーーー
入学式を終え俺は立派な新高校一年生になった。
嬉しさ反面友達が出来るかと不安もあった.....。
初登校、1番早く教室に着いた。張り切り過ぎたのか皆が遅いのか......そう思っていると一人のクラスメイトが教室に入ってきた。男だ。
心の中でめちゃくちゃ考えていた。
(おいおいどうすんだこの状況!!!何となくでこの学校!登校時間になっても全然人来ないやんけ!
くそ〜どうする〜?!話しかける?いや無理無理無理!!!でもここで逃せば今後一人で学校生活を送らなくちゃいけない.....それも無理〜!!!
ふぅ〜落ち着け俺〜呼吸を正して〜顔は自然に〜)
「おはよ、何時に家出たん?」
焦りまくった俺から出た言葉はそれだった。
しかし反応はすんなりしていて、流れ良くLINEの交換まですることが出来た!
やれば出来るやん俺!とか思い1日友達が出来た喜びに浸っていた。
思ったより悪くない高校生活を続けて数週間たったある日、俺はふと思った
「寂しい」と。
新学期が始まってからというもの、中学の友達と話してなければ遊んでも無いし顔を合わせてすらない....。
忙しかったとはいえ一人で居すぎて突然孤独感が襲い、泣きそうにまでなっていた。
けれど幸運にも俺には相談に乗ってくれる友達がいた
話を聞いてくれたお陰で、心が軽くなり気持ちも晴れた。
人との別れに慣れないせいか...人と話さない時間が長ければ長いほど不安になってしまう......
今まで自分から人に話に行くことが殆ど無かった俺は
そういう孤独感を感じないように、自分からも人に話に行くことを心がけようと思った。
高校生活に不満はなかった、なぜなら殆ど行ってなかったからだ。同じことの繰り返しだ。
そんなアホくさい生活から一年が経ち、現在。
まだ始まったばかりだが今のところはちゃんと行けている。6.7月になってもちゃんと行けていればいいがな。
今の今まで心の底から「学校行かなくて良かった」と思ったことは無かった。けど生まれて初めてそう思ったことがあった。
ある日の日曜日
朝8時に目が覚めたがどうも体調が優れない.....正直そっとしておけば昼にでも行けるくらいだったが、友達も体調が悪いと言って休むと知ってから行く気が完全になくなった。
今日はPM12時にハウスクリーニングが来ると聞いた。エアコンの掃除をしに来るらしい。
待つこと数時間....12時きっかりにインターホンが鳴った。
入ってきたのは男一人に女一人の2人
家にはエアコンが3つあって、まずどの部屋から掃除するかを親が話している。
その間に俺は、本来学校で食うはずの弁当を家のテレビを見ながら食っていた。
時々談笑しながら仕事を続ける掃除屋を横目に、飯を食いながらテレビをボーッと見てる俺にふと話題が振られてきた。
「将来の夢はなに?」
掃除屋の女性が聞いてきたが、この手の質問は慣れた。
「小学生の頃から小説家になりたいと思ってます」
と答えると掃除屋の女性は目を大きく見開いて、
「えー!凄い!頑張って!」と言って応援してくれた。
掃除屋の男性も聞いてきて同じように答えると色々真剣に話をしてくれた。
「小説家に関して色々動くなら今のうちにやった方がいい。大人になってからだと「もしかしたら無理かもしれない...」
ていう"固定概念"に囚われて動こうにも中々動けない。」
その他にもオススメの漫画やアニメの話をして盛り上がっていた。
めちゃめちゃ楽しかった雑談だったが、次の現場の時間が迫っているらしく話を終わらせざるを得なかった。
お礼を言い、掃除屋は次の現場へ向かって行った...。
掃除屋が行ってからも俺はずっと会話の内容を思い出していた。
(自分の半生を小説にするのもいいし、自分が思ったことを書くのもいい。自分の書きたいように書くのがいい!)
その言葉を思い出したその日の夜、俺はメモアプリを開いて題名を考えていた.....。思いついた題名は.........
〜記録と記憶〜
〜記録と記憶〜 いかがでしたでしょうか?
自分で書いた小説を皆に見せたことがないので少々恥ずかしい上に句読点や言葉の表現等しっかり出来ているか不安ですが、この1歩も小説家になる為と思えばなんともないでしょう。
さて作中に語られていた部活の話ですが、バスケ部へちゃんと行った回数はたったの"3回"のみでしたw
ちょっとしたミスで「おいてめぇ何やってんだよ!!!!!」と怒鳴り散らされるので怒られた時はホントに「あ、俺死んだわ」と本気で思いましたw
自分が辞めていってからも、続けて7人バスケ部を辞めていって最終的に14人ほどいたバスケ部(男)には6.7人しかいなくなってました。
連載か短編かどちらにしようかと思った時に、僕は何を思ったか「連載」にしてしまいました。アホですわ。
まぁとりあえず、次の作品も是非ご覧下さい!!!
ありがとうございました!