店を出した理由
「なんでと言われると、定職に就きたかったんですよね」
ごくごくあっさりと、リクハルドはそう言った。
「定職……」
「何かになりたかったんです。その日暮らしじゃない、確かなものが欲しかった。俺は昔から何をしてもそれなりに器用にこなす上に、努力するのも苦にならない性格なんです。あれを実現するためにはこれが必要だなとあたりをつけたら、すぐに調べるし勉強もする。ただそういう時間の使い方をしていると、自分が本当は何をしたいのか、ときどきわからなくなる」
「いろいろできるのは良いことだと思いますが」
「悪くはないんだけど、それって『いまの職業はパン屋だけど、ひとより歌が上手いって気づいちゃったから、もっと練習して吟遊詩人をやってみよう』みたいな話でもあるんです。パン屋をするって決めたなら、生活できる分だけ毎日パンを焼いて売らなくちゃいけないですよね? いくら歌が上手くてみんながほめてくれるからって、歌の練習している場合じゃないよね? っていう」
リクハルドの言わんとすることを掴みかねて、アッカは慎重に相槌を打った。
「パン屋さんになれるだけパンを焼く才能のあるひとが、吟遊詩人に転職したとしても、他人から責められるようなことではないと、私は思います」
(たくさん才能があって、そのための努力をできるというのは、悪いことのはずがない)
しかし、リクハルドは厳然と首を振る。
「他人に責められなくても、俺の中では『違う』と思ってしまった。案外、周りは褒めてくれるし応援してくれるんですよ。『多彩な才能』なんて言って。でも多彩さは一途に及ばないと悟る瞬間がたびたびある。俺は年をとったときに、パンを焼き続けてきたひと、歌を歌い続けてきたひとに自分は全然かなわないと思い知るんじゃないか。そう考えたら、やっぱり『器用は貧乏』なのかなって……。それでひとつのことを頑張ろうと思って、地に足をつけた生活をすべく店を出すことにしました。素材の見極めや武具の調整に知識はあったから、それを専門にして」
アッカが初めて会った時、リクハルドも店を始めたばかりの時期で、一人で切り盛りをしていた。それが今はこうして、飛空艇に乗り込むことになったわけだが。
「リクハルドさん、本当は地上に下りたいと考えていましたか。私が頼りなくて、あなたを空に連れ出してしまって……」
もしかして自分はリクハルドの人生に対して取り返しのつかないことをしたのではないか。
その思いからアッカが恐る恐る確認をすると、リクハルドは「いまの状況は自分で望んだことです」とはっきりと言い切った。
「器用は貧乏だと思ったこともあるけど、今は少し考え方が変わってきました。たくさんのひとの間で生活をしていると、器用さが重宝されることもありますよね。料理ができる、機械をわかっている、交渉事に慣れている。ひとりで暮らしているときはやらなきゃいけないからやっていただけだけど……。いま、アルマリネで暮らす中で、あそこが足りていないなとか、俺はここを受け持てばいいのかなって思ったポジションに入って、全体が円滑に進むようにしています。そういうときに、一点突破の実力でなくても、自分は十分周りに必要としてもらえるんだって、わかったから」
膝を抱えて、リクハルドの顔を注視しているアッカに対し、リクハルドは満面の笑みを浮かべて告げた。
「アッカさんの船で暮らせている俺は、幸せなのです」
「……地上に下りたいと言われたら、どうしようかと動揺してしまいました。私には、リクハルドさんのいない生活がもう想像つきません」
頼り切っている事実に気づいているがゆえの、本音。
あはははは、とリクハルドは声をあげて笑ってから、立ち上がった。
「出て行けと言われない限り、ここにいますよ。考えてみると、俺が最初に店を出したのもひどい辺鄙なところで、全然お客さんいなかったですから。空飛ぶ素材屋になって正解。仕入れが楽だし、アルマリネで買取もしてくれるし出先でも商売できる。店主としても最高の環境です」
言いながら、アッカに手を差し伸べる。誘われるようにその手を掴むと、勢いよく引かれて、立つのを助けられた。
並ぶと身長差が歴然。立ったのに相変わらず見上げる形になったアッカを見下ろして、リクハルドは不意に目元に甘い笑みを滲ませた。
「俺も、自分の人生にアッカさんのいない生活、もう想像つかないです。末永く一緒にいたい。このままずっと」
「リクハルドさんのこと、こんなにたくさん聞いたの初めて。話してくれて、すごく嬉しいです。私も、ずっとリクハルドさんと一緒にいたいです!!」
掴まれたままの手に手を重ねると、リクハルドが「アッカさん」と呻きのような低い声で囁いてきた。
その次の瞬間、どん、激しい衝撃に船が揺れ、足元に並べられていた銃器がざざっと傾いた床をすべって片側に寄った。
体幹が強く揺れには動じないアッカであったが、それはリクハルドも同様。アッカの手を強く握り、足を踏みしめて衝撃をやり過ごしながら、一転して鋭いまなざしで天井を仰ぎ見る。
「何かありましたね。行きましょう!」
アッカは叫ぶなり、リクハルドの手を振り切って駆け出した。