王宮にて
この世の天のすべてを知る者――飛空艇姫アッカ。
四方の空を飛空艇アルマリネで駆け、天地を喰らうモンスターを撃つ。その腕を買われ、召し抱えんとしたある国の王の誘いをも蹴り、アッカはならず者の手下どもを引き連れて、今日も空の上。
自由でまつろわぬ、誇り高き空賊。
その姿は、光り輝く天上の美姫。戦う姿は神話の戦乙女の如く。
強く美しいかのひとを、人々は畏敬の念を込めて「姫」と呼ぶ。
飛空艇姫アッカ、空の覇者と。
* * *
「アッカ。今日も綺麗だね」
廊下を曲がったところででかち合った相手を前に、アッカは笑みを強張らせた。
ところは王宮。相手はこの国の王太子オスカル。赤銅色の髪に水色の瞳。やや勝ち気な印象ではあるが、美男子。
遠慮のない、ぶしつけで舐めるような視線をアッカに向けてきていた。
(苦手なんだよね~、殿下。いつ顔を合わせても口説いてくるんだもん。婚約者くらい当然いるでしょうに。私はこの国での身分はあってないようなものだけど、遊びの相手と見られているのがすごく不愉快)
アッカは長い黒髪に青い瞳の淡麗な容姿もさることながら、その物腰の優美さはまさしく「姫」の如く。荒らくれ者の頭領というイメージを裏切る、瑞々しい乙女。二十歳にも満たぬ少女ということもあり、空にあれば「飛空艇姫」とも呼ばれているが、地上に下りて歩けば好奇の目にさらされ、こうした勘違い男に声をかけられることもしばしば。本音を言えばさっさと空に帰りたい。
「殿下。急ぎますので、これにて」
まつろわぬ者と人口に膾炙する身とはいえ、アッカは生活のために適宜依頼仕事を受けている。その相手は多岐に渡り、王宮に招聘されることもある。
この日は、国境付近の魔物掃討依頼で呼び出されていた。王国の正規の空軍が手も足も出ない件があるという。仕事を受けるかどうかは話を聞いてからで、無駄な時間を過ごしている場合ではない。
オスカルが行く手を塞いだことで、アッカを先導していた従者は脇に逸れて待っている。謁見室への到着が遅れれば咎められかねないだろうに、王太子相手に「陛下の客人です」と言うこともできないらしい。そのせいで、アッカ自ら断りを入れねばならなかった。
なお、完璧に非友好的態度を貫いているはずなのに、オスカルには何ほども効いた様子がない。
「会食の席をもうける。謁見が済んだらぜひ立ち寄ってくれ。今日こそ君とじっくり話したい」
「忙しいです。無理です」
「つれないことを。そうやって男を翻弄するのが君の手口か? 俺を弄ぶのはほどほどにしてくれよ。もしかして知らないかもしれないけど、これで俺は王太子だ」
ぴし。
こめかみに青筋が立つ感覚があった。アッカがそれでも笑みを保っていたのは、ただ単に、表情を動かすことすら面倒だっただけだ。
(何から何まで勘違いですけど、どうなってるんでしょうかこの男。私を弄ぼうとしているのはそちらで、私は迷惑しているんです)
オスカルはといえば、よもや「これで俺は王太子だ」という自分の発言が冗談として面白かったのか、妙にしてやったりの顔でにやにや笑っている。
アッカは、さらに拒絶を口にしようとした。そのとき、アッカの背後に控えていた男が初めて声を上げた。
「時間が惜しいので、もう行きます。会食には参加しません。王太子であろうとどなたであろうと、艦長を拘束する権限はありません。この方は誰の部下でもありません」
オスカルが、すうっと目を細めた。
「お前には、口をきくことを許可した覚えはない」
「はい。許可を求めた覚えもありません。それが何か?」
声は、頭上から聞こえる。アッカはほんのわずかに背後を伺うように視線を向けた。自分より頭ひとつ背の高い青年。
茶色髪に翠瞳、黒縁眼鏡。朴訥そのものの印象の、飛空艇アルマリネの非戦闘員リクハルド。通称・参謀殿。普段戦闘に加わることはないが、口を開けばさすがに空賊たる者、好戦的な物言いをする。
さらりとした口調ながらしっかり噛みつかれたオスカルは、不快そうに顔を歪めた。
「何者だ」
「飛空艇アルマリネに間借りしている、素材屋です。主に戦闘で出たモンスターの死体から、人間が加工して使える部分を剥ぎ取って換金する仕事に従事しています。人呼んで空飛ぶ素材屋――」
「ふん。汚れ仕事専門というわけか。お前のような輩が歩き回れば王宮が穢れる。誰ぞ、つまみ出せ」
居丈高に吐き捨て、オスカルはあたりを見回す。何人かの文官や武官が周囲を取り巻いていたが、何ぶん相手は国王陛下の客人、アッカの連れ。優先すべき命令に迷ったように、一人も動かない。
その様を見てアッカは、オスカルに優しいまなざしを向けた。
「彼は私の大切なビジネスパートナーです。依頼を受けるかどうかも、彼と相談して決めているんです。陛下に会わずに帰れというなら、こちらはそれでも構いません。殿下はどうですか? 帰ってもよろしいですか?」
ぐうの音も出まいと思うと、心に余裕が生まれる。思わずアッカはオスカルに微笑みかけてしまった。その笑みを目の当たりにしたオスカルは、毒づくのも忘れたように見入っていた。