3.
冒険者ギルドの一階は、この街でも、ご多分に漏れず、入ってすぐの場所に飲食スペースが設けられており、その奥に各種の受付カウンターと関連設備が構え付けられている。
俺は、たぶんハーフエルフなんだろう美幼女に続いて冒険者ギルドの建物の中へと入り、広大なホールとなっている一階の大部分を占める飲食スペースの中でも出来るだけ人が疎らな一角にあるテーブル席を選び、よっこらしょと陣取った。
給仕担当のギルド職員がこちらに気付くのを大人しく待ちながら、肩の力を抜いて一息入れる。
しかし、まあ。
と。この街に着いてから次から次へと続く予想外な展開に、嘆息。自分自身の直近の意外性に満ち溢れた運勢に、ついつい我がことながら感嘆してしまう。
これまでの比較的平穏だった俺の人生は、何処に行った?
いや、まあ。天涯孤独になって心機一転と生まれ故郷を離れた十五歳の誕生日以降は、確かにある意味で濃厚な日々を過ごしてきたのだが、ここにきて一気に急加速、じゃないだろうか。
まだ、これからの人生は波乱万丈を求めて冒険三昧な日々を過ごすと決めた訳では無いのだが、この調子だと、問答無用でジェットコースターに乗せられたかのようなスリル満点で濃厚な日々を過ごす境遇に陥りそうな雲行きだった。
俺は、思わず、現在の心境に合わせて視線を少し遠くの方へと飛ばした。のだが、偶然にも、給仕のお姉さんとバッチリ目が合ってしまった。
ので。丁度良いとばかりに、飲み物を注文すべく、見るからに営業用と判る満面の笑みを浮かべたお姉さんに合図を送ってみた。
「は~い、ご注文は何にされますかぁ?」
「えっと、俺は、温かい紅茶を」
「は~い。そちらのお嬢さんは?」
「...」
「ああ。っと、その君は...」
「フレデリカ、です」
「おお、可愛いらしい名前だね。フレデリカちゃんは、何が良いかな?」
「あの...」
「蜜柑ジュースとか林檎ジュースなんかもあるし、冷たいミルクや暖かい蜂蜜入りのミルクもあるみたいだけど、何が良い?」
「えっと...では、温かいミルクで」
「は~い、蜂蜜入りで良いですかぁ?」
「は、はい」
「じゃあ、それでお願い」
「畏まりましたぁ~。暫く、お待ちくださ~い」
なかなかに独創的な喋りをする愛想の良い給仕のお姉さんが、テーブルの間を縫うようにして厨房の方へと向かって行くのを見送り、俺は、フレデリカちゃんに微笑みかけた。
そして。シッカリと、彼女の顔を見る。
うん。話に聞いていた通りの、エルフさん、だね。
中性的な感じの、美人さん。と言うには、少しまだ幼いけど、間違いなく美形だ。
確かに、耳は少し尖った感じはするけど、それ程は長くない。ので、ハーフエルフさん、という奴なのかな?
しかし。この世界に存在するとは聞いていたけど、初めて会った。感動、だね。
しかも。本当に、美形で美少女さん、だ。
ボンきゅんバンが大好きな男性諸氏にとっては少し魅力に乏しいのかもしれないが、俺はどちらかと言うとスレンダーな女の子の方が好みなので...。
いやいや、勿論、俺に幼女趣味はない。俺の恋愛対象は、成人女性のみだ。
ただ。割と子供好き、だったりもする。
特に、女の子は良い、よね。まあ、生意気なクソガキの方は、あまり好きではないのだが...。
おっと、イケない。
あまりマジマジと興味本位に見てしまうと失礼、だよね。
「いや、すまない」
「えっと...」
「ジロジロと見るつもりは無かったんだが、エルフ族の人と初めて会ったもので、ついつい嬉しくなって。申し訳ない」
「いえ、大丈夫です」
「本当に申し訳ない。まあ、フレデリカちゃん程の美人さんだと、周囲から注目を浴びるのには慣れているかもしれないけど、気分は良くないよね」
「いいえ、本当に大丈夫です」
「そうかい?」
「はい。けど、えっと...」
「ん?」
「あの、お名前をお聞きしても?」
「ああ、ごめん、ごめん。重ね重ね、申し訳ない。俺は、クリストファーだ。クリスと呼んで欲しい」
「はい、クリスさん」
「うん」
「クリスさんは、ハーフエルフがお嫌いでは無いのですか?」
「うん、嫌いじゃないよ」
「そうですか...」
「そうだよ。綺麗な人に好感を持つのは、普通だと思うんだよね」
「...」
「えっと。耳が少し尖り気味なのは、個性の範囲内、だよ。俺は、特に変だと思わないかな」
「...」
「あ、ああ。あの、先程のオジサン、かい?」
「はい...」
「あれは、ね。少し、誤解があったようなんだ」
「...誤解、ですか?」
「うん。勿論、あの発言と態度は、ダメな奴だよ。間違いなく」
「...」
「けど、根は悪い人でも無さそうだったんだよね」
「...」
「本人の努力では如何にもならない身体的特徴や属性での差別や非難は許されない、っていうのは世間一般での暗黙のルールだし、この街では罰則付きの誓約事項だからねぇ」
「えっ、そうなんですか?」
「うん、そうだよ。俺が、ほんの少し前に、この街の衛兵さんから念入りに説明を受けたばかりの規約の内容だから、間違いない」
「そうですか...」
「あのオジサンは、深く考えずに周囲の甘言に惑わされ易いタイプ、なのかな。残念ながら、個人的な恨みや嫌悪の感情にまで他人が口を挟むのは難しいけど、公衆の面前で公言して良いような内容でないのは確かだね」
「そうなんだ...」
「うん。だから、先程のことは気にしなくても良いよ」
「はい」
「ちょっと乱暴なオジサンと出会い頭に衝突してしまった、くらいの感覚で忘れてくれると嬉しいかな」
素直に頷く、フレデリカちゃん。
いや~、可愛いね。
ツンデレな美少女にも是非お目に掛かりたいものだけど、素直な美形の女の子も、良いよね。
大人用の椅子にちょこんと可愛く座るハーフエルフの美幼女なフレデリカちゃんに、ほっこり。
タイミングを見計らったかのように注文したドリンクを持って来てくれた給仕のお姉さんにお代を渡し、フレデリカちゃんにホットミルクを勧め、俺も紅茶の入ったカップに口を付ける。
うん。座って寛いで温かい物を口にすると、気分も和らぐよね。
けど。
あまり世間の荒波に揉まれてない感じがするフレデリカちゃんには、念のため、厳しい現実についてもキチンと伝えて釘を刺しておかないと駄目だよな。と、少し気を引き締める。
そう。
理想と現実、誓約や法律における規定と実運用。
この二つの間には、時と場合によって、或いは場所により、大きな乖離が発生するケースが多分にある。そんな、現実を。
俺は、肩から少し力が抜けて寛いだ雰囲気になっているフレデリカちゃんに、ニッコリと笑い掛けて再び、口を開く。
「フレデリカちゃん」
「はい」
「先程のオジサンのことは気に病まなくて良いけど、世の中には急に理不尽なことを言ってくる人も存在する、という事は忘れないてね」
「...はい」
「例えば。俺は、見ての通りの黒目黒髪、なんだけどさ」
「...珍しい、ですよね?」
「そう。けど、黒目黒髪って、地域によっては忌避される色の組み合わせらしくてね」
「え?」
「迫害って言ってしまうと大袈裟になるけど、この外見を理由に、よそよそしい態度をされたり意地悪されたり、時には無視されたり、といった扱いを受けた経験はあるんだ」
「...」
「世の中、なかなか理想通りには行かない。と言うか、色々と理由を付けては部外者を排除しようとする行為が後を絶たない、のが現実なんだよね」
「そう、ですね」
「そうなんだ。だから、卑屈になる必要など全く無いけど、周囲と外見が明らかに違う目立った特徴のある人は、常に用心しなければいけない。そう、覚えておいてね」
「...はい、分かりました」
「うん。良い子だ」
思わず、頭をナデナデしそうになって、グッと堪える、ガマン、我慢。
うん。残念ながら、まだ、そこまで親しくは成れていないから、スキンシップは控えるべきだよね。
少し考え込みながらも暖かいミルクをちびちびと美味しそうに飲む、フレデリカちゃん。
俺は、そんな美幼女なハーフエルフさんの様子を眺めながら、何故だか今日になって突発的に浮き上がってきた前世の記憶らしきものに含まれる知識を反芻するかのように引っ張り出してきて、ちょっとした思索に耽る。
二十一世紀初頭の日本で、次から次へと亜種が作られていた、なんとかハラスメント。
マイノリティを尊重しよう、といったエルジービーティに関する啓蒙活動。
多様性を重視しよう、といったダイバーシティだとかインクルージョンなどといった横文字そのままな関連用語の数々。
これらの、続々と話題になって盛んに耳にすることで暫くは記憶に残り、説明されると頭ではその理念を理解できるし確かに正しいのだろうと納得はするのだが、何故だか何となく違和感が残るような、もやッとする部分が何処かに残る、そんなスローガンのオンパレード。
そんなものを、俺が、何故だか唐突に思い浮かべてしまったのは、頻繁にその手の指導を受け、それらの啓蒙活動も潤沢に目にする機会があったお陰で、食傷気味になっていた、だけかもしれないが...。
と、まあ、それは兎に角。
人種差別はダメ。これは、多少の意味合いは異なるような気がしないでもないが、この世界でも同じだ。
人を、肌の色や外見だけで勝手に優劣をつけて差別するのは、論外だろう。
ただ、まあ。立場が代われば見方も変わる、というのは、ある意味で至言なのだろう。
見ず知らずのレアな存在からの主張にも耳を傾け意見を尊重すべき、と思い至って実際の行動にまで反映できるようになるには、自身が置かれている境遇や生活に余程の余裕がないと、困難だ。
更に言えば。自身がこれまでの人生で培ってきた良識や常識や感覚の埒外や真逆の考え方や新たなものの見方を是として咄嗟に受け入れる事など、凡人には全くもって不可能なこと、だと思う。
だから、まあ。
先程、筋肉ムキムキな厳つい如何にも冒険者といった感じのオッサンが間違った行動をしてしまったのも、今後は改善されるのであれば良しとすべき、なのだろう。
幸いにも、この子に怪我はなく、トラウマになるような事態へと至ることも回避できたようなのだから...。