1.
ここ、エレンの街は、流石に今この近辺で一番勢いのあるラッセル王国の王都だけあって、彼方此方に目新しい建物や物品や人波が溢れて活気に満ち溢れていた。
色ボケ英雄の王国か、或いは、弱肉強食の帝国か。
小規模な王国やら公国やら自治都市やらが群雄割拠し、入れ代わり立ち代わりの繁栄と衰退が繰り返されているこの近隣でも、比較的安定して順調に勢力を広げている国の一つが、このラッセル王国だったりする。
こちらの王国は、美男美女が集まり天才や奇才も数多く輩出する傾向にあって、裏では色々あるとも言われてはいるが表向きには友好的かつ穏やかに周囲の国家を吸収併合して版図の拡大を続けている、絶賛売り出し中の国家だ。
一方の帝国は、ガチムチ厳つい外観の人物が多く集い体育会系の実力主義を標榜する強権国家であり、強引かつ非情な態度で腕力にモノを言わせて周辺国を併呑中の、これまた急速に規模を拡大させている剣呑な国家だった。
当然、ただの平民でしかない上に自身の武力には欠片も自信がない俺は、選択の余地なく、新たな生活の基盤を置く場所として、こちら側のラッセル王国を選ぶことになる。
うん。ガチな体育会系の物理的に弱肉強食が日常とされるような環境で、俺が生き残っている未来なんか全く見えない。はっはっはっはは。
と、まあ。そんな思惑などもあって、ここエレンの街へとやって来た俺は今、本当にこれで良いのかと思う程に呆気ない手続きを経て、目出度くもこの街の住民となった。
うん、流石、色ボケ英雄の国とまで揶揄されるだけあってか、雰囲気は柔らかくラフでゆるゆるな、規律の温さがチラホラと目につくお国柄、だった。
けど。よくよく注意深く見てみると、ここは決して生易しい場所などではない、という事実にも気付く。
街への移住に際して署名を求められる誓約書に記載の規約には、事細かな数々のルールと違反時の厳しい罰則規定が、ずらずらと列挙されていた。
しかも。虚偽の申告は、速攻で相当な重罪になる。と、何度も何度も繰り返し警告と説明を受け、更にその上で、この国やこの街にとって益とならない人間だと判定されれば瞬く間に放逐されても異議すら申し立てが困難な各種の厳格な条項への同意を、問答無用で義務付けられている。
そう。賑やかな街の雰囲気に浮かれてフワフワと無為に過ごし、ハッと気が付けば、いつの間にやらこの街を放逐され当分の間は城門すら通して貰えない身の上になる。といった恐れが、十二分にあるのだった。
恐るべし、色ボケ英雄の王国。
やはり、伊達に勢いがあるだけの国ではない、という事なのだろう。
たぶん、にこやかに微笑みながらも腹黒く冷徹な判断を下して大鉈を振るう優秀な人材が、キッチリばっちりと良い仕事をしているに違いない。
いやはや、怖い恐い、怖ろしい。そんな危険な人物たちに駄目な奴とレッテルを張られないよう、真面目に頑張ろう。と、心の内で固く誓う俺。
ほんの少し浮かれ気味だった気分を引き締め、俺は、注意深く周囲の様子を見ながらも、まずは、当面の活動の拠点とする宿屋を求めて、旅人を相手に商売する店舗や宿屋が集まるという街の一角を目指し、歩みを進めるのだった。
が、しかし。エレンの街は、広い。
だから。目的地への道のりもまた、遠かった。
賑やかで活気ある街の様子を不自然にならない程度に注意深く眺めながら、俺は、この街のメインストリートの一つであろう立派で道幅も十分にある大きな通りの左側の端を、ゆっくりと歩く。
先程からずっと唯々只管に辛抱強く、てくてくと、歩き続けている。
通りに面した様々な店舗の垣間見える様子をそれとなく観察しながら、街の人々の会話に耳を傾け、一見するとノンビリのほほんと散歩しているかのような態度で大通りをゆったりと歩きながら、情報収集に精を出していた。
う~ん、やっぱり、街の住民は皆が忙しそうで、何処も彼処も人手不足な感じ、だな。
多くの店舗や商会で、それなりに求人がされているようだから、興味のある仕事や業種に絞って飛び込みで就職するのもあり、なんだろう。
けど、まあ。常識的に考えると、やはり、まずはこの街の冒険者ギルドで雑用的な仕事を請け負って俺個人の信用を積み増ししておいた方が良い、ような気もするんだよなぁ。
いや、まあ、ね。確かに、公式には、冒険者ギルドのランクを示す識別票であるバッチは偽造不可だと世間一般に知れ渡っているし、大まかな経歴と大きな成果や大よその貢献度などは記録が引き継がれる仕組みとなっているのも周知の事実なので、冒険者ギルドに一筆もらって他の街での過去の実績を添えれば、ある程度の信用は得られる、とは思う。
けど、まあ、残念なことに、長距離通信もインターネット回線もクラウドも存在しないこの世界では、他の国や街での記録には眉唾とまで行かなくともある程度の疑念は持たれても致し方ないのが現実なので、やはり、この街での実績があった方が良い、というのは歴然たる事実なのだ。
勿論、冒険者ギルドの方でも、独自に不正防止のための裏付け調査や情報交換など厳格に実施していると公言しているし、引き継いでから一定の期間が経過すれば虚偽の申請や改竄された申告などもほぼ確実に訂正される旨は周知されているのだが、俺はまだ、この街に着いたばかり、だからなぁ。
懐に仕舞ったままの、前に少し滞在していた町にあった冒険者ギルドの支部で発行して貰った連絡票の所在を、それとなく確認しつつ俺は、軽く溜息。
この連絡票には、新たな街を訪れる度に届け出て、その街の滞在中に更新され、その街を去る際に再作成された、俺の冒険者ギルドの一員としての略歴と主な成果と貢献度や素行など諸々が、簡略化されて記載されている。のだが...残念ながら、その内容はかなり薄い。
大物を討伐した記録もなく、国や街やギルドに大きく寄与した事案もなく、徹頭徹尾にコツコツと地道に小さな貢献を積み上げてきたという経歴のみ。なので、記載内容は、至ってシンプル。
継続的な貢献、素行優良。といった記述と、俺が渡り歩いて来た冒険者ギルドの支部名が、ずらずらと多数並ぶ。ってな感じなのだ。
そう。不可もないが、可もない。特徴がないことが特徴のような、経歴だった。
ちなみに。俺の、冒険者としてのランクはDなので、総合的にはそれなりに良い方の評価ではある。
災害級の魔物を討伐したり特記すべき価値ある多大な貢献があったりといった特段の実績もないのに若くしてDランクまで至るには、当初から継続的に素行が良いと認められていなければ不可能なのだが、この点については世間にそれ程は知れ渡っていないので、アピールポイントとしては微妙だ。
しかも。魔物討伐を主体としたガチな冒険者たちは、リスクも高いがリターンも大きいため、高ランクを保持する者たちの中には素行が良いと言えない者が一定数は含まれていたりするので、現実問題として、ランクの高さと信用度が比例するとは言い難かったりする。
だから。やっぱり、この街の冒険者ギルドで、雑用的な仕事を暫くは地道に請け負って堅実にクリアして、俺個人の信用を積み増すことにしようと思う。
ちょうど、街の人たちの会話から漏れ聞いたところによると、その先に冒険者ギルドの支部があるようなので、都合も良いしね。
エレンの街のメインストリートの一つであろう賑やかで活気のある大通りを、半分以上は物見遊山な気分で眺めながら、俺は、歩き続けている。
そう。目的地はまだまだ先、のようなのだ。
物珍しいそうな素振りを少し意図的に披露しながら、のんびり歩いていると見えるように歩行速度を調整しつつ、周囲からの情報収集を惰性で続ける一方で、つらつらと自身の思考の中に沈み込む。
目出度くも、異世界(?)で過ごした前世(?)に関する記憶が覚醒したところで、今世の、これからの人生における目指すべき方向性についても再検討が必要となった、俺。
天涯孤独になって心機一転、初めて訪れる縁者も知人も誰一人いない未知の国の見知らぬ街に移住する、と決めた訳だが。前世の記憶が戻った(?)となると、当然ながら、少しばかり状況は変わってくるのだ。
新参者にも住み易く開放的な気質を持ち活気のある街だと噂に聞いてこの街へと来た訳だが、一度は二十一世紀初頭の物質的には豊かな日本で過ごし衣食住に困らない生活を十二分に満喫したとなると、ただ単に生活に困らない境遇を得ても仕事に追われまくって潤いの無い人生となってしまっては全く意味がない。などと考えてしまうのは、致し方のない事だと思う。
いや、まあ。平穏な生活は万々歳なんだが、冒険者たちが活躍する剣と魔法のファンタジーな世界にせっかく生まれて来たのだから...なとと、少しばかり考え込んでしまうのだ。
勿論、平々凡々な自分の能力や現在の立ち位置など総合的に考えると、自分で自分を諫めたくなる状況であるのもまた事実ではあるし、前世の記憶らしきものも明瞭で鮮明な自己主張が激しいものでなく、今世では以前からあった平穏でそれなりに豊かな生活への憧憬も皆無とまでは為っていないので、そこまでハイテンションに血沸き肉躍るような冒険を求めている訳ではない、のだが...。
とは言え。別の苦労や苦難は多々あったものの豊かな暮らしを日常として享受していた記憶を持ってしまうと、単純に豊かな暮しのみに憧れるという感覚は無くなってしまった、というのも偽らざる現在の心情ではあった。
いや、まあ。前世の記憶らしきものが生えたからと言って、俺は俺であり、俺の性格や趣味嗜好が大きく変化した訳でもない。
うん、まあ。現実問題として、過去と現在を目の前に並べて客観的に比較できる訳ではないので、本当に以前と全く何も変わっていないと言えるのか、と問われてしまうと、自信など全くない。
けど、まあ、何だろ。色々と前世の記憶と繋がったことで霧が晴れたかのようにクリアとなった感覚は多少あるが、他人の意識が勝手に同居してきた感じでもないので、俺は俺のまま、なのた。
俺と周囲との間で微妙に齟齬があるように感じていた原因が前世(?)で培われた感覚に起因していたんだなぁ、などと納得するような事柄も無い訳ではない。が、俺自身が大きく変化したといった感覚は、全く以って欠片もないのだ。
つまりは、まあ、何と言うか...少しばかり、新たな経験が増えて精神的にも少し成長した結果として、とも言えるだろうし、知識が増えて視野が広がり物事の見方がレベルアップした、とでもいった感じで、これからの俺の人生における目指すべき方向性についての再検討が必要となった、といった状況なのだった。
はあ...。何だか、疲れた。
自分で自分を納得させるのに苦労するとか、徒労感が半端ない。
けど。急に変なタイミングで余計な記憶が増えてしまったんだから、仕方がない、よね。
俺は、いつの間にやら直ぐ目の前まで迫って来ていた、冒険者ギルドの年季は入っているが十分に立派で風格のある建物を、何とはなしに見上げてから、その出入口付近へと視線を向けた。
う~ん。毎度の事なんだけど、冒険者ギルドに足を運ぶのは、緊張するんだよなぁ。
結構お世話になっていて、いい加減に慣れても良さそうなものなんだけど、慣れないのだ。
どうしても、一定数はいる粗野な雰囲気を持ったガチな冒険者さん達とは、住んでいる世界が違うというか、あまり共感できない点がそこそこあったりするので...。
はあ。やっぱり、俺には、平穏で静かに慎ましく過ごす人生があっている、ような気がする。
どダンッ。
「きゃっ」
ドッ、どすっ、ズざざざざざざざっ。
「...」
ばダンッ。
「汚らしい半端者が、こんな所を彷徨いてるんじゃねぇ!」
筋肉ムキムキな厳つい如何にも冒険者といった感じのオッサンが、冒険者ギルドの入り口の扉をぶち開けて顔を出し、仁王立ちになって吼えた。
そして。
俺の目の前には、可愛らしい小さな女の子が、ブッ飛ばされてきたままの体勢で尻もちをつき、涙目で茫然としているのだった。