プロローグ、の中途。~取り込み中~
例え架空の物語といえども、人が大量虐殺されるのは勿論、親しい人たちが悲劇の果てに亡くなって悲嘆に暮れるのは、嫌だ。
だから。人は必ず転生する、という世界。
魂の輪廻、とでも言うのだろうか。
その仕組みや理屈については諸説あっても良いと思うけど、唯々、事実として、人は必ず転生すると広く知れ渡り、一般常識として転生が認知されている世界。
そんな世界であれば、死は永遠の別れでも滅びでもないのだから、決して別離の悲しみが無くなる事はないけれど、全く救いがない訳ではない。と、思いたい。
勿論。その一方で、大量虐殺が正当化されたり、人命が軽視されるような風潮があってはならない。ので、転生が約束されてはいても前世の記憶が保持されない、のが基本であり、意図して保持するには厳密な条件がつく。
本人が強く望み、特定の条件さえ満たされていれば、一つ前の人生までは記憶を保持することが出来るのだ。
そんな転生が、日常として存在する世界。
他者の生命を尊重しない不届き者や、自殺か他殺に拘わらず死への願望が強かった者は、転生時に記憶の保持を望んだとしても決して叶えられる事はない。
そんな法則や理が、様々な理由や根拠と共に多くの実例が列挙された上で懇々と説かれ、人々に固く信じられていれば、不幸な事態も防げることだろう。と、愚考した。
そして。仮に、望み通りに記憶を保持して転生することが出来たとしても、何故だか、転生前と転生後では体力や魔力や技量や生活環境が異なる境遇になってしまう。のであれば、転生が悪用される事もない筈だ。などと、考えた。
チートは、あり得ない。神様が与えたからと、万能で節操がなくそれが成立する仕組みも原理も説明が付かないような応用自在で何でも実現できる特殊能力など、ご都合主義が過ぎる。と、頑なに思う。
だから。何事にも努力が前提、となる世界。
才能に恵まれたのだ、と感じさせるような優れた人物が現れる事もあるだろう。
だが。その人物が保有する能力も、実際には弛まぬ鍛錬の成果であり、何の努力もせず才能に胡坐をかいていて得られるモノでは決してない。
その人物には元々の素質があった、のかも知れない。が、本人の自己認識は別として、身に付いている技能や能力は、継続的な積み重ねにより得られた努力の賜物でしかないのだ。
とはいえ。努力をすれば必ず報われる、という訳でもない。
残念なことに、得られる成果は、続けた努力の内容や質にも大きく依存し、有用性の有り無しや効率の良し悪しと多少の運不運なども影響する。それらの各種要因の僅かな差が少しずつ積み重なった結果として、個々人の間での能力に微妙な格差が発生はするが、意味ある努力なくして得られるものなど何もない。というのが、現実だ。
ある意味で残酷ではあるが、機会均等という意味合いでは確かに公平であり、違和感のない世界。
そんな世界であれば、悔しいことも多々あるだろうが、最終的には諦めもつく筈に違いない。などと、漠然と思う。
それから。次に...。
と。まあ、こんな感じ、だった。
いや、まあ、何がかと言うと...たった今、思い出してしまった俺の記憶。
何故このタイミングでこの内容、と思わなくもないが、思い出してしまったものは仕方がない。
で。まあ、その、何だ。
それが何なのか、と言うと...ははははは。
自身が執筆する場合の理想とするファンタジーな世界の設定、だったりする。
こんな世界であれば、平和ボケした現代日本から剣と魔法の世界へと異世界転生したとしても、良心の呵責に囚われること無く、思う存分に波乱万丈な冒険者としての人生を違和感なく楽しめるに違いない!
うん。完璧だ。
そんな感じで一人悦に入っていた前世の自分を、俺は今、盛大に罵倒してやりたい気分だった。
おいおい、俺。何のフラグを、立てているんだ?
と。
思い出せた範囲内での記憶によれば、それは、アマチュア趣味レベルで投稿サイトの片隅に慎ましく生息する個人的お楽しみの枠内に収まっていた。ので、この設定は決してご大層な代物ではない、とは思う。
のだが、何故か。現世での前世(?)の記憶を思い出す以前の十数年間に渡る俺自身の人生経験と身につけた知識たちが、俺が現在進行形で過ごし生活しているこの世界と前世の俺がノホホンと空想小説を妄想するために組み立ていてたフィクションの世界観が合致している、と告げていたのだった。
うん。意味不明、だね。
ちなみに。一部、現在の俺では検証する事が事実上は不可能ではないかと思えるような設定も、その中には混じっていた、ような気がするのだが...。